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2)申ドンモ、パラグアイGPF妨害記者会見


パラグアイの記者は、失望しながら退場、文裁の運動に疑心持つ
パラグアイ1

10月25日、申東謀氏がついに問題を起こした。韓国でいう朝鮮日報のような、パラグアイ最大のメディアABC新聞社をはじめとする主要な新聞や放送関係の記者を招請した公開記者会見の場で、彼は、内部の問題を隠すことなく、そのまま世界に暴露してしまった。

その結果は非常にみじめだった。わけも分からなく参加した記者たちは当惑感を隠せず、事案の是非を越えて、このような問題をなぜ今この時点で、パラグアイにまで来て騒ぐのか理解できなかった。ある記者は「パラグアイの人をなぜいに巻き込み混させるのか」と腹立たしく質問した。彼は「このような行動は、結局、お互いの信を失うだけではないか」と反問した。これに対して申東謀氏は「このようなことをすことは、況をさらに化させるだけ」としながら「誰にでも隠さずに話すつもりだ」と、信じられないような回答をした。

パラグアイ2申東謀氏が「文顯進長が行うGPFは、彼の父は認めらておらず、さらにはその活動を禁止した」と説明すると、記者は「GPF行事開催に合わせて、このような話を持ち出す意は何か」と尋ねた。これに対して申東謀氏は、公的な立場にいらっしゃる他の真の子女様と、主な教会指導者たちがサインした顯進様宛に発送された手紙を公開し、この手紙を読むと、文総裁の立場とGPFがどのように違うのかということを理解することができると付け加えた。

申東謀氏は、パラグアイの土地問題を取り上げて、土地の管理者であるビクトリア社が、文総裁のみ旨とは異なる方法で土地を管理しており、カサド地域での住民との関係や自然環境などに、様々な問題を起こしてきたと主張した。さらに、ビクトリア社が環境法を破ったという話までした。そして彼はこう言った。「私達は、この土地の主人として、この土地の問題に対して責任を持って、皆さんに、問題が何なのかを正確に伝えようと思います。そして新しいモデルと新しい出をしたいと思います。そのモデルは、セマウル運動です」皮肉なことに、記者会見の場には、プエルトカサド問題を10年以上担当してきたジャーナリストが参加していた。彼の目に、南米に来てわずか2年しか経たない韓国人指導者が、文総裁の代わりであると称し並べた言葉が、どのように映ったのか見当がつく。一言で言って申東謀氏だけではなく、統一グループ全体がどうしようもないといった感じに思ったであろう。年前の問題が深刻化した状態の中で、顯進様がパラグアイと因縁を持つこととなった事を、この記者はよくえていた。顯進様が、これまでどのように問題を解決し、パラグアイ社全体が、彼をどう思っているのかも詳細に知っていた。ところが顔も知らない韓人が突然現れ、自分が代表であり、主人であるとして、現在の管理者が間違っていたと記者たちの前で家の中の事情を暴露し、人をけなす振る舞いが、どうしようもなく映ったであろう。

パラグアイ3ある記者は「このような問題は、裁判所で解決されるべき問題であり、記者見の場で暴露する必要があるのか」と尋ねた。すると申東謀氏は「私達は、信仰を持つ者であり、この問題を法廷で解決することは難しい」と答えた。記者が「それでは、この問題をマスコミを通じて解決したいのか」と尋ねると、ただ「土地を管理する食口が、真実についてもっと知る必要があるからだ」と回答した。

記者たちは残念な眼差しで席を立ち始め、解散するまで1時間もかからなかった。記者会見質に入って5分も経たないうちに去って行った記者もいた。少し怒ったように、このような話のために忙しい自分たちを呼びつけたのかと問う記者もいた。記者会見が終わった後、ある記者は電話で、文総裁が果たしてパラグアイの平和の指導者なのか、パラグアイに混乱を呼ぶセクト(邪教集団)ではないのかまぎらわしいといった。

結果的に申東謀氏は、あまりにも明確にの父母と統一運動の名を、世界の醜いゴシップに落させてしまった。これはまるで、自分だけが真の父母様の前に最高の忠臣であり、摂理を救う者という傲慢と小英雄心がもたらした寸劇である。彼の自慢とでしゃばりがどの程度のものかは、前日のパラグアイ教会での日曜礼拝を通じてよく理解できた。彼は、自分の冒険談を聞いて真のお父様が感動したあまり、純金の時計をくださったと自慢した。真の子女を埋葬した対価として受け取った金時計である。 7月23日付けのABC新聞のインタビュー写真で、彼が手首にはめていた金時計が、まさにその時計ではないかと思われる。パラグアイ4

彼は英雄にでもなったように、すぐに記者会見をすると食口に話していた。ABC新聞とのインタビューを通じ、真の父母様の顔に泥を塗っておいてもまだ足りず、彼は結局、摂理歴史の前に清算することができない過ちを犯した。彼の理性は完全に麻痺していた。

次の日、パラグアイのマスコミが彼の記者見をどのように報道するのか、食口は両目をまるくして見守らなければならない。パラグアイの言論と記者たちの精神が正常であれば、どこに真実があるのかを直感するだろうし、それは彼らの文章によって表わされる。そしてパラグアイの全国民、特に指導層は、この記事をはっきりと記憶するだろう。どちらに正義があるのかを…

 

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