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2)2006年4月真の家庭会議以降発生した状況に対する整理

-文國進理事長、法定陳述完全に覆す

 

2012.04.21  匿名討論部屋

真のお父様(以下、お父様)は2006年4月、世界のすべての財団をUCIが直接、管理・監督することで、世界的基盤の運営を効率的にしなければならないと宣布された。お父様はバラバラに散っている統一家の世界的な基盤を心配され、世界のすべての財団がUCI世界財団を中心として結集し、効率化して、南北統一と天一国創建に投入されてこそ、2013年までの残る7年間、ご父母様の大きな念願と目標を成すことができるので、そのように体制を準備してこられたのだ。

4月に断行された決定を通して、お父様が見られる観点は明確になった。お父様は天宙平和連合を2005年9月に出帆させられて、すべての教会内の組織と機関をまとめ、モデルアベルUNとしての役割を果たせるよう統合してくださり、また2006年4月にはUCIを中心として世界のすべての経済基盤を統合してくださった。

お父様は顯進様に、法的な理事長の職位を持って、お父様が基盤を築かれたすべての国に積極的に介入しなければならないと語られた。また、國進様には、顯進様の下で副理事長として働かなければならないという決定を下してくださった。ところが國進様は、お父様の決定を絶対に受け入れられず、辞任すると反発した。お父様の指示を拒否する國進様の行動は、到底、理解できないものであった。さらに、その会議[2]においてお母様が介入されて、お父様が下された決定を覆そうとされたことは非常に驚くべきことであった。

会議の翌日の訓読会で、お父様は郭会長を立てて、今後、すべての経済基盤をUCI財団の管理・監督下におくということを再び天命され、またヨイドプロジェクトがどれほど重要であるかを強調された。ところがその時、顯進様が財団理事長を歴任することと、國進様が副理事長の役割を果たすことに対してはっきりと説明されなかったため、そのすべてのことを明確にするために顯進様は、お父様とお母様が一緒にいらっしゃる時に降りていってお尋ねになった。その場でお父様は、顯進様が韓国財団理事長に就任し、國進様はCEOとしての責任を持ってヨイドプロジェクトに確実に協助をし、顯進様の下で働くという体制に対して快く決定してくださった。その当時、顯進様は、國進様がこのような決定を感情的に受け止めて、最後まで争う可能性がある性格だということをよくご存知だったため、組織的、法的にお父様の決定に従い、協助することがきるよう、すべてのことを明確にされようとした。

ところがその日の夕方、お母様は一人で静かに顯進様を訪ねていかれて、理事長職を國進様に譲歩するようにと懇懇とお願いされた。もしそうしなければ、國進様は辞任して去っていくだろうとおっしゃった。顯進様はお母様に、國進様は立ち去ることはないと語られながら、それは、國進様がお母様に心配させて自分が願うことを貫徹させようとする方法だと説明された。しかし、お母様は続けて理事長職を譲るように頑なに主張されながら、顯進様はすべてのものを持っているが、國進様は何もないとおっしゃった。そして顯進様がどうしても理事長職を引き受けて國進様が韓国を去るようになれば、食口たちは顯進様のことを「弟を追い出した兄だ」と悪口を言い、真の家庭を恥ずかしい立場にするだろうと語られた。

顯進様は、このようなお母様の説明に同意することができなかった。なぜなら顯進様はその時まで、責任を任されていた分野を自分のものだと考えたことが一度もなかったからだ。顯進様は真の家庭として責任を任された公的資産を増やし、管理して、摂理とみ旨の前により寄与するようにつくらねばならないと常に考えられた。そして顯進様が理事長になったとしても、國進様は韓国を離れることはないだろうし、もし実際に離れたとしても、秩序が正されれば再び戻ってくることだろうと考えられた。むしろ、お母様が國進様をかばえば國進様の我執だけが強くなり、お父様の指示も無視する息子になる可能性もあった。顯進様が最も憂慮したのは、國進様に理事長職を譲った時に、國進様がお父様が指示された内容に果たして従うだろうかという点であった。果たして「ヨイドプロジェクトの成功のためにすべてのことを協助するように」というお父様の指示に従うだろうか、また、お父様の指示通りに上位機関であるUCIを尊重し、兄を上官として受け入れるだろうかが憂慮された。

このような事情から、顯進様はお母様の要請に簡単に同意することができなかった。しかし、お母様の頑固さのために、どうしようもなく三つの条件をお母様に提示された。三つの条件とは第一に、國進様はヨイドプロジェクトが成功するように全面的に協助しなければならない。これをお母様が責任を持って説得する。二番目に、UCI所有であるセントラルシティーと龍平はUCIが管理・監督し、韓国財団はその活動をUCI世界財団に定期的に報告する。三番目に、顯進様が兄としての役割を果たすことができ、秩序を立てることができるよう、お母様が協助する。この三つの内容に同意し、神様の前に約束することができるならば、理事長職を譲歩すると語られた。

このように申し上げた理由は、第一に、國進様がこれ以上ヨイドプロジェクトを遅延させることなく協助して、お父様の指示に従うようにするためであった。第二に、UCIが所有権を持っているセントラルシティーや龍平リゾート等を直接、管理・監督しようとする理由は、韓国の為替管理法上、UCIが大株主であるセントラルシティーは、その収益が一旦、外国に出るようになっているのであって、韓国財団にそのまま入ることができなかったためだ。また。米国の法でも、UCIは大株主として、収益がどのように活用されるかを必ず点検し、戦略的決定をしなければならない責任と義務、即ち信託者の法的義務(fudiciary duty)があったためであった。UCIが相当な持分を持っている龍平の場合も、経営を國進様と韓国財団が単独で決定せずに、必ずUCIと相談して決定しなければならないのが正常であり、原則であった。第三に、兄でありながらも直属、上官として共に働きなさいとおっしゃったお父様の指示に従って、世界経済基盤をよく管理し、発展させるための正しい業務関係を立て、併せて正しい兄、弟の関係を定立して、真の家庭を安着させるためであった。

お母様は、この三つの内容に対して顯進様に約束され、それを土台として顯進様は理事長職を國進様に譲られた。顯進様は、お母様を100%信じていた。國進様が果たしてこのような内容を実行するか疑問ではあったが、お母様の協助があれば解決するだろうと考えられた。状況が難しくなる時は、お母様が責任を持って解決してくださるだろうと信じた。また、お母様の協助の下に、國進様にも機会を与えて、兄弟間の信頼を構築されたかった。

顯進様は、この内容をお父様に申し上げて尋ねたかったけれども、お母様は、その必要はなく、お父様はお母様と同じ考えだと強くおっしゃった。顯進様は、お母様と世界巡回に出発しなければならないため、お母様との関係を難しくすることができない状況であり、結局、お父様に直接、報告することはできなかった。ところが残念なことに、心配した以上の最悪のシナリオが展開した。

國進様は理事長になった直後からヨイドプロジェクトに対して非協助的に出られ、プロジェクトを遅延させた。顯進様は、お母様が協助してくださるだろうと信じたので、そのような事実により呆れられた。ヨイドプロジェクトは、2005年の初めだけをみても、競争相手のAIGより6ヵ月先駆けて優先権を握っていた。しかし國進様の持続的な妨害で、むしろAIGより6ヵ月遅れをとる状況となり、競争相手に大きなチャンスを与えることになった。その上、新しい建築法が適用される前に建築許可を得なければ、莫大な税金を不必要に支払わなければならない状況にも関わらず、ずっと非協助的な態度に出てこられた。顯進様は仕方なく、郭会長を通してお父様に報告し、お父様の介入でやっと推進が再開され、法的期限の最終日に建築許可をようやく得ることができた。

顯進様は2006年6月、天正宮・入宮式行事で韓国に来られた際、UCIが世界財団として各国の財団を管理、監督しなければならないというお父様の指示を履行するために韓国財団の指導者たちとセントラルシティーの申社長と会議を持たれた。この会議において、顯進様は第一に、韓国財団がUCI世界財団に送るべき報告体系を立てようとされた。顯進様は分期別の財務表と経営管理資料を要請した。第二に、韓国財団にUCIを代表する人を理事として派遣し、財団の状況を把握することができる処置を取った。第三に、お母様と協議した内容を土台として、UCIが大株主であるセントラルシティーは、社長がUCIに直接、報告するように指示され、セントラルシティーの収益を國進様が韓国財団を通して勝手に決定できないと通報した。そして第四に、UCIが相当な持分を持っている龍平も、國進様が単独で収益と経営を決定せず、UCIと韓国財団が互いに協議下ですべてのことを推進すると明らかにされた。

これに対して國進様は、すべての内容を拒否し、すべて履行できないと言われた。その上、ご父母様との昼食席上で、お母様は突然「これから國進がセントラルシティーと龍平に責任を持つ」と宣言された。お母様は約束を破られたことはもちろん、顯進様と一言の相談もなく、國進様の言葉だけを聞いてそのような決定を下されたのであった。その時、顯進様は何か抗議しようとされたが、お父様が直接、介入されて止められ、またその時は天正宮・入宮式をおいて家庭が一つにならなければならない時期であったため、全体のために顯進様はその場でそれ以上、問題を提起されることはなかった。

[1]この文章は、2006年8月1日付の書信を土台に、一部、内容を再構成したものだ。いつか原文が公開される日が来るかもしれない。

[2]2006.4.6会議。参加者はご父母様、顯進様、國進様、金孝律補佐官、後で郭錠煥会長も相席。

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