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8)法を新たに制定する人々

以前から天聖経を作り直すという話が聞こえてきている。それだけでなく、真のお母様が基元節までに、真の父母という本を早く作るように指示されたらしい。
ところが2012年11月3日、カフェに載せられたみ言のビデオを見ると、真のお母様は、真のお父様のすべてのみ言を一冊にまとめた新しい本を作っているという事実が明らかにされた。理由は、聖書の解釈の違いから多くの教派が分かれた為、真のお父様のみ言を真のお母様がひとつの体制に整理されるというものである。その本には、すべての儀式はもちろん、真のお父様の祈祷までが編集されたものであり、基元節に天の前に奉献するものであり、いつも身に付けて歩ける本、牧会者たちがこの本一冊を持てば、牧会に自信を持ち、恵みがある、そのような本で、誰にも修正できないようにし、永遠なるひとつの体制を示したものである。
このみ言を何も考えず聞けば、妻が夫のために本を作るという立場から、何の問題もないように思えるが、実際は、深刻な問題である。なぜなら、真のお父様は明らかに「8大教材教本」を作られ、摂理のみ旨の前に、人類が探すことができる重要な教材として、この本の通りに成れば、真のお父様がされてきたことを代わりにすることができ、どのような環境にも合わせることができる中心となって、不足なものがなく、天と地の前に必要な人材となると言われた。それだけでなく、8大教材教本を後天時代の天法とされ、教材を毎日訓読しながら、再度確認し、校正もされながら、よくできていると喜ばれた。
この「8大教材教本」は、真のお父様が一生を通して、6回も生死を行き来する獄苦の中で勝利され、準備された遺言であり、霊界に入っても、読んで勉強すべき重要な本である。また、家庭では、この教材教本を中心として訓読会の伝統を立てなければならない。
つまり真のお父様の遺言によると、教材教本を毎日訓読しながら、愛し大切にし、どこに行っても持ち歩きながら生活し、教育革命をしなければならない。「文鮮明先生御言選集」のようなものは、小冊子を読んで分からない内容があれば参考とし、厚い「天聖経」と「世界経典」から「原理講論」「平和神経」、小冊子として「天国を開く門、真の家庭」「平和の主人、血統の主人」そして「家庭盟誓」に至るまで、あるものは家庭で、あるものは通りで、どこででも見ることができ、持ち運びも簡単に作られ、種類別に分けられたものである。
ところがもし、真のお母様がみ言を一冊の本に整理されようという趣旨が、8大教材教本に代わるような、聖書のような本を編纂されることにあり、それを中心とした一つの体制を作って、すべての食口がその本を一生胸に抱いて、愛し惜しみながら、常に持って歩くことにあるならば、本当に危険な発想である。
一見、これはみ言を大切にしているように見えるが、このような政策では、結局、真のお父様が生死を超えて準備された8大教材教本は、本棚の肥やしとなり、教本教材を準備されながら抱かれた真のお父様の望みも消えることとなる。
もちろん、真のお母様が真のお父様のみ言をよく整理して、美しく感動を与える1冊の本にまとめることもできるとは思う。ところが、真のお母様が計画されるように、果たして、その本一冊を、毎日それだけ見ても基準になるような、すべての体制と内容を記すことができるのかという問題がある。真のお父様も、毎日訓読し研究して、うまく収まる形に合わせて、八つに分けられたのだが、その一冊に八つのすべての内容を収容できる本を作ることができるか。
真のお父様は、基元節までの歴史的なすべてのことが解決できるモデルを作ることができる教材として「真の平和世界と真の父母UN世界の安着」のみ言を紹介され、これが統一教会の核心を提示した教材中の最後の教材だとされた。そして教材をすべて創られた後に、真のお父様はすべてが終わったと言われながら、これを通して入籍するようにと食口に語られた。
また、天法である8大教材教本は、真のお父様自身も、真のお父様の家庭も、その法によって治められなければならないと言われ、基元節が終われば、すべてその法によって生きなければならないと言われた。もし法に従わない者は、袂を分かつと言うのである。
真のお父様は、これから明らかにされることについて知る者がないとされながらも、皆さんは解釈しようとしても千年かかっても解釈できないと言われた。そう言いながら訓読会のたびに、直接解釈し説明してくださり、文鮮明先生み言選集に記録として残しておいてくださったのだ。

つまり、真のお父様のみ言を見たとき、真のお母様と教会の指導者たち、それ以外の誰もが、未だ法を主管することができる立場ではないということである。ところで準備されていない姿で、教会の指導者たちが、天法である8大教材教本を扱って、整理し一冊の本として、真のお父様のみ言の代わりにしようとする時には、原則に反し、天法生活に反する体制の出発として、最終的に天の法の前に、袂を分かつ悲劇をもたらすのではないかと懸念される、恐ろしいことであるというのだ。
どうか、教会が8大教材教本を手本として、真のお父様のみ言と希望の前に、従順に天に仕える財団の役割を、正しく実行してほしいところである。

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