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4)聖和後40日にして「死生決断・全力投球」で

摂理を破綻させる統一教指導部

セビョクビョル(暁星)

 最近我々は「死生決断・全力投球」という言葉を多く聞く。協会長のみ言と公文、牧会者たちの説教と祈祷、ともすると信対委の声明書にもこの表現は欠かせない。「死生決断・全力投球で天一国の基元節を勝利しよう!」という表現自体が持つ悲壮さは薄気味悪い感触すら与える。死生決断という言葉は唯単に最善を尽くすという意味ではない。目標と意志を果たすことができなければ死ぬという覚悟を言う。真のお父様は正に死生決断の生き方を続けられている途中に去る9月3日に聖和なされた。最後の一呼吸までも神様と人類の為に全力投球なさったのだ。我々は真のお父様の生き方を通じて死生決断がどういう意味なのか既に知らされている。

真のお父様が聖和なさって、真のお母様は「中断なき前進!」を宣言された。真のお母様は真のお父様の死生決断・全力投球の生き方を「中断なしに前進なさる」とおっしゃられたのである。さすがに涙が出るほど妥当かつ極めて当然なみ言だ。ところが聖和後40日が経つ前に聞こえてきた消息は「ピースカップ解体、城南一和売却、平和自動車事業中断」だった。私は自分の耳を疑った。ところが既に関係機関に通知され、ピースカップは既に組織を解体する過程に入っており、他の諸機関も同じくそういう手順を踏むことになるという。今からでもこの消息が所謂「郭グループ」(?)の陰湿な攻撃であると明され、そしてこんな文を書いている私の姿が軽率者の姿として照らし出されたらよいと思う。

一体お父様の墓地にまだ草も生えていない前から、お父様があれほど大事にしてこられた摂理機関と摂理事業を中断する理由が何なのか。この時代に必要ではないものだからか。それともお父様がお亡くなりになったから、お父様の趣味生活と身の周りの品を整理するという次元からか。北朝鮮の金日成は1994年に死亡し、金正日から金正恩へと3代世襲のバトンが継承されたが、北朝鮮はまだ今でも「金日成遺訓統治」を先立たせている。20年の歳月が流れたのにである。それ位まで続けるべきだとまでは言わずとも、これではあまりに酷過ぎるのではないか。聖和後 40日もまだ経っていないのに、お父様がしてこられた事業を中断するという現統一教指導部のあまりに忍耐力の欠如した姿は衝撃に他ならない。勿論、より大きい摂理の為に摂理事業や摂理機関を時代によって中断することもあり得るし、また新たな事業を展開することもできよう。この地に永遠なもの、変わらないものなど何もないからだ。しかし一体、何の為に、何の根拠から、どういう論議の過程と合意を経て、このような決定をしたのだろうか。

私の推測では、これは文國進理事長が登場して以後全ての評価基準になった、他ならぬ「経済」と名付けられた物質(お金)のゆえであろう。これは唯単に文國進理事長個人の考えだけではなく、現統一家指導部が共有している価値観である。それゆえお父様の聖和と共に、「待ってました」とばかりに、あっという間にこのような決定が成り立ち実行されても、誰一人異議を申し立てる不協和音が聞こえないのだ。我々は真のお父様が聖和なさる前に何故それほど息苦しがられ苦痛に悩まされておられたのか今更ながら理解させられる。真のお父様お一人だけで摂理に対し死生決断・全力投球の生き方を続けてこられたのだ。周辺の指導者たちは、お父様が愛着と熱意を持って投入し推進した事業を不満に、好ましからず思っていたのであり、結局はそういう彼らの考えが聖和後40日にして忍耐されることなく現われたわけだ。

何が中断のない前進なのか。

お金にならず、お金のかかる事業は全て整理しなければならないと考えるなら、教会と幾つかの収益を出す企業を除いて全て中断し売却しなければならない。そして教会もお金にならなかったり、売ってお金になるものは全て門を閉じて統廃合されなければならないはずだ。サッカー摂理と北朝鮮摂理すら中断した彼らにとっては、中断できないこれ以上の名分のある事業はないだろう。将来は専ら過去の追憶によってでも消えてしまったお父様の痕跡を偲ぶようになるかも知れない深刻な状況に我々統一家は今置かれているのだ。私はこのように死生決断と全力投球の違う意味があるとは知らなかった。死生決断と全力投球でお父様がしてこられた摂理を中断して破綻させているのが現統一教指導部の姿だ。真のお父様は常に我々に「統一教会を犠牲にして人類を生かすことができるならその道に行き、大韓民国を犠牲にして世界を生かすことができるならその道に行くべし」と教えてこられた。真のお父様は財物と財産を蔵や銀行口座に蓄積しておく金持ちになる道を選択なされなかった。全てを神様の摂理とみ旨を果たす為に借しまず投入してこられた。統一教会の企業と財産は公的資産として神様の摂理と全人類の為のものだった。

ところが我々は今このような考え方の変化を目撃している。お父様の聖和後 40日目にして指導者たちのこのような考えが現実問題として現われている。全ての統一家の公的資産は統一教の財産になった。ところで、もうこれ以上お金を儲ける能力がないので、最大限お金を節約して使おうというわけだ。ところが、こういう考えをするに際し、この公的資産を作る為に食べることも着ることも寝ることもしなかった食口たちの意思は見事に抜け落ちている。それも、そのお金は食口たちに対し恵沢として帰ることはなく、統一教指導者と従事者たちが生活する為の食糧代になるだけであろう。唯単に食口たちは虚しいことに騙され翻弄されて人生を無駄使いしてきただけの存在となってしまうのみである。真のお父様の聖和 40日目を迎えて、イエスの復活 40日期間を振り返ってみるとよいだろう。

イエス様は 40日復活期間の間、自分の十字架の死に落胆して散り散りばらばらになってしまった弟子たちを捜し集めるのに全ての時間を過ごしている。みすぼらしいイエスの弟子たちにイエスはそれこそ小銭一枚も残さずに去っていく。残してくれたのは、イエス様が命令されたみ言だけだった。それは「全ての国と民たちを弟子にせよ」という命令であり、そうすれば「私は世の終りの日まで君達と共にいるであろう」という約束だった(マタイ 28:18~20)。イエス様の弟子たちはこの遺言を中心に死生決断・全力投球し、中断なき前進をした。迫害の苦難の道も、死の道も、み言を元手にして福音を伝える為に厭わずに進んだのである。

真のお父様の聖和後 40日を迎えて、真のお父様の遺言の音声を相続される群れたちは現統一家指導部にはいなさそうだ。自分が何を食べようか、何を着ようかばかり心配している輩らに真のお父様の音声が聞こえるはずがないからだ。もしかしたら真のお父様から小銭一枚すらもらったことのない、みすぼらしいボロをまとった祝福家庭たちが摂理の主人として復活されなければならないのではないか思う。摂理のみ旨を相続されて死生決断・全力投球し、中断なき前進をする我々祝福家庭たちと共にこそ、真のお父様は世の終りの日まで共に歩んで下さるという約束を下さったのである。

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