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6)郭錠煥会長の特別証言

 

                                   2012.03.31   忠清南道保寧

 

皆さん、お会いできて嬉しいです。本当に久し振りにお目にかかる方々が大部分です。これまで皆さんに会いたくて、会って話もしたかったけれど、口をつぐんでいるしかないような寂しくて退屈な時間を私なりに過ごしてきました。皆さんも直接・間接に私の為に心配をして下さり、私のためというよりも全体のみ旨について憂慮しながら、この場へ来ることも容易ではなかったでしょう。今この場で私に会ったということは、皆さんはサタンに会ったということなので、皆さんが心配です。(笑い)

これまで最高指導者たちの中で、自分たちが威張って見せつける為に私に会おうという人がいたり、私がぜひ会わなければならないという人に会ったり、私に会う理由のない人が真の父母様の指示だという理由から会ったり、そんな期間がありました。ところが戻ってみると、全部が私に会ったことを中心として自分たちなりに勝手な報告がされたような説明になっており、それが妙な話になってしまっていて、それで私が下した結論は「会わないのが一番だ」ということでした。こうして本当に私を大切に思って、或いは慰労する為に会おうという方々にも、私が会う機会を差し上げることができなかったことをこの席で全体的にお詫び申し上げます。

今日、何よりも神様の摂理と真の父母様を中心としたみ旨の現状況を見ると、とても心が痛み、あまりにも解明できない困難があるために、そういう困難と暗澹さを前にして、皆さんよりは先輩である立場から、兄弟の立場から、また師なら師の立場から、責任者なら責任者の立場にいた者として、まず最初に本当に申し訳ないと言いたく思います。本当に済まなくて、申し訳ありません。今日の統一教会の事態をめぐっては誰一人としてその責任から免れ得る人はいないでしょう、統一教会の中において。そんな中でも、長年にわたり責任を負う立場にいた者として、そういう心の痛みは勿論のこと、真の父母様に畏れ多いことは言うまでもなく、皆さんの前にも気の毒で申し訳ない心を禁じ得ません。

そのように思いながらも、初めは「時間が少し経てば黒白が現われ真実と偽りが現われてくるのではないだろうか」という意味から、少しだけ待てばよいのではないかと思っていましたが、容易くは解決されないでいます。今日このような席に顔を出すようになったのは、責任者たちが私を訪ねて来てみ言を語るように依頼したのですが、アメリカに出発する前になっても私が返事できませんでした。何故そうなのかというと、私の境遇がそういう状況だからです。そうでしたが、今日ここへ来る勇気を持つことができたのは、法廷にまで引っ張って行かれて証人台に立って話したり、検察に呼ばれて何回にもわたって全て話した立場なので、そういうことなどが一つ残さず全て公開されるでしょう。そういう立場なのですが、気になる皆さんの前に出て「事実そのままを話す時が来た」と思われ、私が勇気を奮って来たわけです。

私がどういう人々の前で何の話をしたらよいだろうか、ここに来られている皆さんの中には原理を知らない人は誰もいないだろうし、お父様のみ言を貴重に思わない人は誰もいないはずです。お父様のみ言は或る面から見ると、聖書のみ言よりもその幅と深みと内容がより複雑で広範囲で根本的です。それゆえお父様のみ言をめぐって論争を起こすなら、立場によっては限り無しに論争することができます。そういう様々な状況を勘案すると、私がここで原理的な結論を下したり摂理的な結論を下すよりも、それをまたどういう角度から解釈をするのかということが重要だと思われます。多分皆さんもそれに劣らず自分自身が今日の統一教会の事実をめぐって歎息しているかも知れません。

私が統一教会に入教してから54年になりました。満22歳の時にみ旨の道に入って来て、この年になるまで脇見する時間も後を振り返る時間もなく、お父様の前にあって、光で言えばあまりに熱すぎて、ただ指示に従って行くだけでも忙しかったのです。それゆえ私は多くの人々から郭会長は「冷たい人だ」「人情のない人だ」「私たちのことは考えてもくれない人だ」といった言葉が沢山言われたことも知っています。しかし通り過ぎた道を振り返って見ると、本当に人間的に見たら忙しくて疲れるだけの大変な道でしたが、それでもそれを忙しいとか、大変だとか、難しいとは感じなかったのは、真の父母様の愛がとても大きかったからです。原理を知ったことの感動があまりにも大きかったので、横も後も振り返らないで、感謝してこのみ旨の道を走ってきたのです。

そういう立場から今日まで私が知っている摂理、私が知っている原理、私が知っている真の父母様のステータスと価値があったのですが、今日の統一運動と統一教会の姿を見ると、どうしてこんなことになり得るのか、と思わされる無念さと残念さの中で私はこれまで過ごしてきました。そんな中で自分なりの結論が得られ、摂理と原理観を立てて自分なりに整理したので私が生きるのであり、そうでなかったら私がどうして何日か生き永らえるでしょうか。

それで、こういう集まりで何か語ろうかというので、「どんなに悪口を言われても、何一つ反論しないから、多くの人々が『何か臭い部分や引っ掛かる部分があるからそうだ。財産を隠しておいたから、そうなのだ』という人々が多いので、難しいでしょうが会長の事情を聞きたい」という言葉を私が聞き遂げることにしました。

果たして郭錠煥が父母様の財産と天の財産を盗み食いながら、あらゆる仕業をやらかしたのか、という問題をめぐって、食口たちが果たしてそう信じるのか、と言うと、私は初めはそのように思いませんでした。それでも我々の食口たちなら私のことを知っているはずなのに、私についてそういう嘘を聞いて私についてその言葉どおりに信じるだろうか、と言う時に、私は事実そのように思いませんでした。ところが時間が経ってみると、時間が経っても私が口をつぐんでいるので、多くの人々がそうなのです。そうだと思い込んでいる人がはるかに多いのです。それでも、いつかは真実が現われるはずであり、偽りはすぐに全て暴露されるでしょうが、しかし皆さんが気になったりもし、皆さんが多くの人々に道案内になってくれなければならないので、私が語ることにしましょう。

そういう私を本当に悪意的に捐毀し、扇動してサタンに仕立てて追いやり、あらゆる天の財産を横領して不正を働き背任したという人々が主張する要旨は「私が汝矣島と世界的な父母様の財産を盗んで行った」ということなので、事実は何時間でも足りませんが、要約して申し上げます。

想像に難くないでしょうが、IMFの当時は困難が迫っており、あの当時もう一つ難しかったことは、銀行に借金が沢山あったのですが、93年度から5年間の「絨毯爆撃」が入ってから、或る第1金融圏から融資を受けたものを延長してくれませんでした。そうするうちに例えば 500億を借りると、安い利子だと、第1金融圏において統一教会に関係したお金は延長ができないのです。それで第2金融圏からお金を借りて利子だけ払い、それもだめなら第3金融圏から借りて、というふうにしていたので、一つも返すことができずに莫大な借金が生じてしまい、やたらと膨張したのです。それゆえ難しい状況にあったのですが、そういう中でIMFに遭ったわけですから、どうなるでしょうか。全ての統一教会の土地や建物、財産の全てが担保にされてしまいました、企業体で。それで汝矣島の土地が第1担保権から第5担保権まで担保に設定されていた額が1,690億でした。私たちのグループ自体が1998年11月末に不渡りになりました。そうした時に、あらゆる借金まみれの人々が集まって競売してお金がもらえる地が正に汝矣島の土地でした。一口で言って、汝矣島の土地については本当に天佑神助という言葉を実感をします。神様が助けてくれました。汝矣島の土地が 1999年初に飛ぶように高騰したのですが、それを捜し出したことが正に天佑神助です。ただ私は棒切れのように唯その最中につっ立っていただけなのですが、神様の助けのお陰で、出来るはずもないことが出来るようになりました。

その時に大韓総合金融から汝矣島の土地に対し負債を沢山持っていたので、債権を沢山持っているから、そこで競売を申し込んだ後一ヵ月経てば全て飛んでいくのですが、その場合にはお金を沢山出す人にそのまま移ってしまうようになります。時間がいくらも残っていなかったので、先が真っ暗でした。私の肩書きが財団の責任を任された立場でしたが、その立場でお父様にお会いすることができるでしょうか。その貴重な土地がすぐにも飛んでいってしまうようになったのですが、どうすることもできませんでした。そういう切迫した状況の中で何とか捜し出したその案というのが、一度に1千何百億を出さなければならない状況でした。その頃は私たちが 50億のお金も拝むことが難しい状況なのに、どうしたらよいでしょうか。それで、その時の案というのが、外国に投資会社を仕立て、その投資会社の名前でお金の一部を出しながら債権者たちを安心させるというアイデアでした。外国投資者がこの最も要の土地に開発すれば、将来開発利益が沢山出るはずだから、そうなれば貴方たちは何の心配も要らない、ということで、お父様が承諾して下さり、少ないお金で競売を退けながら何とかやり遂げたのです。開発すると言ったので、何とか開発する形式を踏まなければなりませんでした。

ところが私たち統一教会の名前では許可が下りないのです。汝矣島の土地を1971年に買って1978年から建築許可申請を出し始めました。公式的に4回建築許可申請を出しても駄目だったので、仕方なく毎年ごとの更新を8回しました。4回やった上に8回加えれば12回建築許可申請をしたのと同じです。それゆえ許可しないという言い訳は沢山あっても、本当の理由はたった一つ、統一教会が作るから駄目ということでした。そういう立場だったところに、これから外国投資者が来て開発をすると言うので、話が揉み消されてしまい、結局、過去30年間許可が出なかったのです。その場所は開発をしてこそ土地も活きるし、お父様のみ旨も成し遂げなければなりません。お父様の購入した土地が利川や盆唐や清平にもありますが、汝矣島は開発してお父様が使われ世界を主管できるお父様の本部事務室を確保するのです。それゆえにお父様が許諾なさったのが汝矣島の開発なのです。

もう一つ、お父様がその開発を許諾なさった別の理由は、政府では汝矣島を金融ハブの中心として捉えていたのですが、この土地は「国家公益の為にも使えるようになさいますか」と尋ねると、お父様は「そうせよ」と答えられました。お父様は教会より国の為に貢献できるように開発が為されるということで喜びながら承諾して下さいました。

その後、大韓総合金融に1億ウォンだけ投資するよう言ったのですが、その大韓総合金融が不渡りになってしまいました。衝撃的でした。汝矣島の土地に絡んだ事情と曲折が多いのです。お父様は私を見て、「どんな事があっても汝矣島の土地は活かせ」と語られました。この何の取り柄も無い者に対し「汝矣島の土地だけは活かさなければならない」と言われたのです。そういう事情を経ながら開発しようということで、3年、4年を経て開発するということで一段落したのが 2004年でした。それで開発するという計画を全て出して、そうしながら開発会社名を変えてきました。何故なら開発会社が条件に合わなければ変えざるを得ないために、そうして何度か変えていき、結局は、Y22という会社を創設したのですが、その Y22が郭錠煥のものであり、その理事たちが郭錠煥の息子娘だというのです。

もしかしてこの席に汝矣島の起工式をした時に参加した方がいらっしゃるかも知れませんが、あの起工式の時にお父様と真の子女様全員が来られ、幹部たちも皆いた中で、「この地をめぐって開発会社を立てて息子娘の物だと言いますが、そうではありません」というような説明を申し上げました。お父様が立てた外国の開発会社がすると言っても、名前だけ変えて実際は統一教会と言って許可されるでしょうか。開発ができるでしょうか。周辺では純福音教会が全て見ているのに、隣人たちが同意してくれますか。ソウル市から許可が出ますか。何も出来ないのです。それゆえ話の分かる何人かにだけ説明しながら進めてきたのが、そのプロジェクトでした。それでもお父様はどれほど喜ばれ、多くの期待をされ、どれほど満足なされたか分かりません。お父様は現場へ来られて何回も見回わられ、鳥瞰図や全てにサインして下さいましたが、それを全て口を合わせたように、私が黙っているのをよいことに、それが全て郭錠煥のものだと言うのですが、これをどうすべきでしょうか。

さらには、私を知っている人もいるし、経験してみた人もいるでしょうが、私はこのみ旨の道をでたらめに歩んできた人ではありません。私が仕事ができなかったとか、人情がないという声は出てくるかも知れませんが、私は「お金をたくさん使った」「横領した」とだけは絶対に言われまいと歯を食いしばって生きていた人間です。

私が世界日報社長になった時も随分と異常な噂が立ち、また私を苛める人がいて、その噂が真の父母様の耳に入ったりしたようです。或る日のこと、私が外で仕事をして家に遅く帰ると、私の家内が、「うちの姉が言うには、今日真のお母様が来られたと言っていた」と言うのです。それなら電話しなければならないではないかと言うと、お母様が電話をするなと言ったというのです。少しの間立ち寄っただけだと言われるので、電話も差し上げられなかったというわけです。話を詳しく聞いてみると、突然お母様がいらっしゃったそうです。突然いらっしゃったので、驚き慌てたことでしょう。「ソファ-にお座り下さい」と勧めると、「座るまでもない」と、家の中に入られ、奥の部屋に入られ、家の中を回って部屋のドアを全て開けて全ての部屋をご覧になって、お茶一杯も召し上がられないまま、来られてみると幼い子供が一人がいるので家から出て行かれながら、「このように暮しているのか」と言われて出て行かれたそうです。

私は一生涯を通して私の家内が私に「服一枚買ってくれ」とか、「ハンドバッグを一つ買ってくれ」と言うのを聞いたことがありません。私は自分が着る服にも神経を使わない人です。お母様はありとあらゆる噂を聞いて、どうやって暮しているのか見てみようと来られたようです。その翌日、漢南洞公館に行ってお母様にお目にかかり挨拶をし、お母様は笑って何のみ言も語られず、私も笑いながら「昨日はせっかく来て下さったのに何の接遇もできず申し訳ありません」と言いました。ところが朝食会の集まりが終わってから、お母様が私に「ちょっと来なさい」と言われるので、応接室に従って行きました。お母様の傍に座ると、「私は昨日、郭牧師がどうやって暮しているのかと思い、行ってみたけれども、もう少しちゃんと暮したらよいのに、どうしてあのように暮らすのか」と言われるので、「お母様、私はそのように暮しても幸せです」と申し上げたところ、お母様は「私が個人的に郭牧師を助けたいので、お金が必要なら言いなさい」と言われました。それで私が「お母様、何をおっしゃいますか。私はこのままで幸せです」と申し上げたが、お母様はまた訊かれるのです。「お母様、私は何の不足なく感謝して暮しているのに、お母様からお金をもらったら私が心に負債を背負うようです。今後もしお金が必要になったら申し上げます」と言って、下さろうとしたお金ももらわなかったことがあります。ですからお母様は、私がどのように暮してきたのか、或る程度はご存知ではないかと思います。

かつて世界日報の労働組合問題によって世界日報の社長を監査する問題が一度ありました。その当時は金大中政権時代で、労組の勢力が強くなって労組に反対する社長を追放する時代でしたが、財団理事長だった私は労組から憎まれたのか、世界日報と財団にもやはり監査がやってきて、大々的な監査が行われ、6ヶ月間も陣を張って調査をしました。その調査をした責任者が来て我々の財団の財務担当局長に対し私について一言言っていったそうです。私は協会長の時に財団理事長兼職の発令を受けましたが、その時に協会の総務局長は私に「協会長、財団理事長の月給は協会長の月給より多いそうです。これからは協会長の月給はもう受け取らないで、財団の給料をもらってください」と言いました。勿論そうした方が自分としては良いかも知れないけれども、しかし私の中に小さな自尊心があって、「それでも私は一生を牧会してきたけれども、月給を沢山もらう為に不足な私が財団に籍を置いて財団の月給を受けてもよいものか」と答えました。それで私は協会長と財団理事長を兼任しながらも財団の月給を受け取りませんでした。金額がより少ない協会長の給料をもらって暮しました。それだけではなく私が財団から交通費すら一銭ももらったことがなく、財団のお金からは接待費一銭も使ったことがないため、その監査たちが財団理事長を標的に調査をしてみたところが、開いた口が塞がらなかったと言うわけです、そんな例がないから。

それだけではありません。IMFの時ですが、これは公式的な記録があるので、いつか時が来れば私が全て明らかにするでしょう。私が幾つかだけ皆さんに話すなら、IMF当時にグループが不渡りになる時点で、グループの財団全体の財産が1兆7,700億ウォンでした。その頃の会社の負債が2兆3,000億で、資本金がマイナス 6,100億でした。全部財産を売り切ると、6,100億の赤字になるという立場がIMFの時の私達の財団と協会の財政状況でした。その状況で借金を返そうとしたら全部飛んでいってしまい私たちは借金だらけになって、何もなくなります。それで私たちが法廷管理に入りました。法廷管理というのは、運営が下手で会社が借金を作ったけれども、会社自体を活かしてそこに携わっている人々を助けてあげるという立場で会社を活かしておき、政府が任命する社長を管理人に立てて運営していき、前のオーナーは退くというものです。それがどうして私たちに必要なのかというと、会社が生きていてこそ、会社に担保にされた物品が一度に飛んでいってしまわないからです。しかし私たちが法廷管理に加わることはできません。大宇や真露を始め物凄い大企業から、最高に有名な様々な会社までが全て法廷管理の申請をしましたが、その中で10大財閥すら全て入れませんでした。ところが私たち財団の規模は小さいのに借金は相対的に多いのですから、到底入ることができない境遇です。

現在、法曹界の最高位におられる方がその当時、法廷管理に入るのか入らないのかを決める高等裁判所の部長判事でした。その方に私が会おうとしたのですが、私たち統一教会がその方の目につくでしょうか。私が高等学校の同窓生を全て動員して、何とか15分間だけその方に会える面談時間を許しをもらって会いました。その時に言ったことは全て忘れましたが、ただ私は涙を流しながら訴えました。15分間しか面会時間を承諾してもらっていませんでしたが、45分間も私一人で全て話しました。その時にその部長判事が「分かりました。 もう一度見直してみます」と言ってくれ、その方が法廷管理することを推薦してくれたので今日があるのです。その時が正に天佑神助でした。神様が感動を与えて役事なさったのです。

そうして法廷管理が全て終わりました。法廷管理とは何ですか。借金を蕩減(帳消し)してくれるのです。1千億の借金があったら、「500億を帳消しにして 500億だけ借金を返せ、それも一度に返さなくてもよいから、段階的に返せ、利子もいつまで利子なしでホールディングして返せ」という制度です。結果的に法廷管理が終わった時に私たちの資本は 1兆230億でした。負債が 9,750億になっていて、その頃の資本が、前にはマイナス 6,100億だったのがプラス478億になっていました。その困難な中でもその負債を全て返して 478億になったのが法廷管理で得たことです。その負債の中で銀行に借りた借金の 60%は銀行が保証してくれますが、それがいわゆる公的資産です。私たちは国家の公的資産を使ったので合同監査を実施しました。検察庁、国税庁、警察庁、銀行監督院など、とても有名な監査官たちが来て陣を張って調査をするのですが、その監査をしてみると、オーナーが公的資産を掠め取って会社を台無しにしたのかどうかが全て現れるのです。それでオーナーが監獄へ行ったり、お金を譲渡したりして、IMF 以後に多くの社長や会長たちが監獄へ行きました。私はその時には財団理事長ではありませんが、ターゲットは私なのです。私がもし財団お金を横領していたら、その頃私は監獄へ行っていたはずです。

それだけではありません。私が財団を退く前に私の不正を明らかにする為に何人かが続けて私のあら捜しを繰り返しました。近頃は僅かなことでも告訴・告発ですが、私が不正を犯し横領を働いていたなら及びもつかないことです。こういう面では私は悔しい言葉を聞きながらも全ては時間が経てば真実がいつかは明かされるものと思って過ごしてきました。

特に 2005年から國進様が来られ、当時は私が理事長でしたが、その時から國進様は財団理事長室を使われながら財団の全てを主管なさいました。そして私が財団理事長を辞めたのが 2006年5月8日です。その間にもお父様に「財団理事長も辞めたいです」と何回も申し上げましたが、しかしお父様が承諾なさらず、私はその意志を果たせないまま財団理事長という名目だけは持っていました。そういう立場なので、財団に國進様が来られれば何もできないことはありませんが、但し汝矣島問題には関与するなとのお父様のみ言のゆえに関与なされなかったのです。ところが、お父様の前にした約束を破って関与し続けたのです。外国人が Y22を任され担当していました。30年間許可を受けることができなかったのを、許可を取り付けて仕事をしているのですから、どれだけ主張が多かったでしょうか。その人をしきりに苛めようとするから、その人との間が悪くなったのです。ポールという人なのですが。

ところが 2006年2月9日に予告もなしに國進様が(その外国人の)事務室に攻め込んで行き、難しいことを言ったそうです。手を出す直前まで行き、國進様が生まれてこのかた、食口を殴ろうとする時に「お前、殴るのか」と対抗した人などいなかったのに、初めて対抗する人が現われたのです。その外国人を殴ろうとすると、「君が殴るなら、私も殴るつもりだ」と言ったそうです。 外国人たちは利害が食い違ったりすると簡単に引いたりしません。私はそういうことがあったかも知れません。それでその翌日、金孝律氏が私の事務室に訪ねて来て、昨日そういうことがあったと言うのです。そうでなくても仲が良くなかったところに、そんなことまであったのです。ところがその翌日、お父様が郭会長は汝矣島から手を引き、國進様が直接責任を負ってするというのです。その時は汝矣島がどうなるか心配もしましたが、それまでの1年半の間に私があまりに苦悩してきただけに、私があまりに困難な立場にあっただけに、その重い荷物を脱いだので、やっと身が軽くなりました。

それなのにその翌日朝の訓読会に行くと、お父様が私に寂しいことを言われるのです。しかし、これまでお父様からお叱りを受けたのが一回や二回ではないし、何のお叱りを受けても、お父様に公式的に弁解したり食って掛かったことがないので、じっと聞いていました。ところが後で知ったことには、ポールは食口でもないだけに國進様に食って掛かり争おうとしたし、汝矣島開発の件で債権の為に郭錠煥が8,000億ウォン損させたと報告したというのです。真っ赤な嘘です。私のせいでは一銭たりとも損害を被ったことなどないのですが、そのようにお父様がご存知でした。

私は皆さんも周知のとおり任されていたことがあまりに多かったので、その荷物を脱ぐことは良いことでしょう。ところが 2006年4月22日のお父様からの指示は、韓国にいる私と國進様とポールが「急いで来い、明日来い」ということだったので、4月23日に出発してアメリカの日付で 23日にイーストガーデンに到着しました。下の階で待ちながら、お父様が居間に出てこられたという消息を聞いてみると、國進様がお父様とお話中だと言うではありませんか。暫く待った後に國進様ご自身が下りてこられて来いと言われるのです。これは意外でした。お姉さんに連絡させればよいのに、國進様自らが下りてきて来いと言われるので、私が上の階に上がりました。

お父様ご自身が決めて下さるとしておっしゃったことは、「第一に國進様は汝矣島開発について完全に手を引くこと、第二に汝矣島開発の責任は顯進が引き受け郭錠煥がこれを手伝うこと、ポールがしてきたとおりに引き受けて開発するようにすること、第三にその汝矣島の土地は韓国財団のものだが、統一教会の汎世界プロジェクトとして行うことだから世界財団UCI文顯進が引き受けること、全ての汝矣島開発に関することは UCIが管掌すること」ということでした。私は手伝ってあげる立場だから責任がなく、それまでお父様の指示を受けて私がしてきたけれども、これからは UCIが責任を負うというので、私は解放されたわけです。その指示によって Y22の株式と主管が UCIに移行するようになったのです。UCIはお父様の財団です。その時はお父様と UCIの間に問題があったわけでもありませんでした。その時が 2006年4月23日です。ところが Y22の主人が私だと言われていますが、一体全体そんな話がどこにあるのでしょうか。全体的総合的に申し上げる日が来るでしょうが、少なくともお金と関連してなら私は堂々と言うべきことが言える人間です。

皆さんもご存知のとおり、私が世界日報の敷地を購入しました。それを開発するようになったのですが、その開発利益が物凄い額で、2,250億です。それで、そのお金のうちの1千億ウォンで龍坪を買収しました。龍坪がどれほどの価値が生じる所でしょうか、我がグループにとって。その次に残りのお金で財団の借金 5百何十億を返しました。その外にも、世界日報を建てる土地にこれからビルが建てばその3階を私たちが使うようになっています。ところで建物を建てたら、世界日報が3階を使い、その残りは賃貸すれば受け取ったお金で運営するのに助けになると思ったのですが、今は財団名義にしました。

龍坪に千億が投入され、800億を加えて私たちの財産が1,800億になり、物凄い基盤になりました。それだけではありません。龍坪にコンドミニアムを3つ建てて分譲をしたのですが、私が2006年に財団理事長の立場から退きましたが、コンドミニアムを建てて分譲に出したところが、分譲収益金が980億になり、その後に國進様がもう一つ建てて355億になり、それだけでも 1,223億の収益を龍坪で上げました。私はこのぐらい貢献したなら賞はもらえなくても、悪口を言われる筋合いではないのではないでしょうか。(拍手) 実に残念この上ないことです。

或る日、私はイーストガーデンへ行き、全淑氏と顯進様が約婚祝祷を受けたことに驚き感謝して受け容れ、その日の夕方に全淑氏が帰ってきたので、父母様を代身した席に座らせて我々夫婦と兄弟たちが一緒に敬拝を捧げました。私たちは原理的に真の子女様に仕えなければならないのです。父母様の家庭に関する事情を私ほど知る者が他にいるでしょうか。

2009年10月8日に「アメリカへ来い」と言われて行ってみると、お母様はいらっしゃいましたが、お父様はいらっしゃらなくて、お母様が部屋に行こうと言われて行ってみましたが、「顯進様は今モンタナにいるけれども、郭会長の家庭が責任があるから、顯進様を連れて来なければならないではないか」とおっしゃると、お父様が入って来られました。お父様は座るやいなや、「郭錠煥はこの事態をどう見るのか」と尋ねられ、「本当に申し訳なくて言葉で言い尽くせません。何とも申し上げることができません。しかし、お父様が顯進様を抱いて愛し、顯進様も父母様を愛しますから、父母様と子息の間で対話を交わせば解決できないことなどありますか」と申し上げましたが、多くのみ言を語られながら、「お前の責任であり、お前の家庭の責任だ」とおっしゃられるのに、父母様に他に申し上げることもできずに、首を垂れてみ言を聞いてだけいると、「お前は顯進の所に行って連れて来ること、もし来ないと言ったら全淑と離婚させてでも連れて来ること、一人にして置いておけば這ってでも入って来るから、そして珍満を連れて来て、珍満が来ないなら南淑と離婚させろ」とおっしゃられるので、私がとても驚き開いた口が塞がらず、「お父様、どうして離婚ということが言えたり、離婚せよと言えたりしましょうか」と問い返したかったが、原理の主人である父母様の前にそれ以上は訊いてみることができませんでした。離婚をさせてでも連れて来いとおっしゃられたので、その翌日に出発してモンタナに向かいました。

顯進様が祈祷しておられるというので、車に乗って行きながら私が珍満にお父様のみ言を伝えながら、「顯進様が行かれないと言われたら、お前だけでもお父様の前へ行かなければならない」と言うのを黙って聞いていた珍満が、「お父さん、私が真の父母様に逆いながら顯進様に仕えていると思いますか。顯進様が今、真の父母様に逆っていますか。父母様と対話ができなくて寂しく思っていらっしゃるのに、私すらいなければ顯進様はどうなさいますか。私が顯進様に仕えて補助することが真の父母様を逆うとは夢にも考えてみたことがないし、真の父母様に仕える心で顯進様を仕えています」と言う言葉を聞いているうちに私の心の中で、「ははあ、この人は40を過ぎて器が大きくなったようだ」と思えたのは、私の心情の告白です。珍満は「顯進様が今も父母様の為に祈っていらっしゃるのに、その方に仕えることが何故お父様に逆うことなのですか」と言ったのです。

そうした後で顯進様にお会いしました。その席で私がいい歳をして原理的にものを言うものだから、顯進様から「アジョシ」(おじさん)と声をかけられました(笑い)。最近は郭牧師とも呼ばれますが、その頃までは「おじさん」でした。私は今日この時間まで顯進様から舅(義父)として呼ばれたことは一度もありません。幼い頃から「おじさん」と呼んできたからです。その顯進様が「おじさん、おじさんがみ旨とお父様を気遣うのと、息子である私がみ旨と父母様を気遣うのと、いずれがより大きいと思いますか」とおっしゃるのですが、その席で私が何と答えますか。それゆえ私はお父様のみ言が伝える事ができず、ましてや離婚の話など出そうものなら何と言われるかも分からなくて言い出すこともできず、そうして韓国に帰って来てから父母様に手紙を書きました。

父母様に差し上げた手紙をコピーしたものを持って来ました。私がそのまま一度読んでみましょう。

 

「尊敬し愛する真の父母様の尊前にお便り申し上げます。不足な小生が父母様のみ言を受けて西部のモンタナへ行き、顯進様をお目にかかってから韓国に帰って来て、残念な心情でペンを執りました。

小生は天の大きい恩赦により手に余るほどの恩恵の道を歩んで来ました。雲の柱と火の柱に囲まれ、唯み旨のみを眺めながら感謝する心で忙しい人生を生きてきました。罪悪の世の中を解放し、太初の夢である天上地上天国を創られようとなさるあなたのみ旨を奉ずる以上の喜びを私は知りませんでした。下さるみ言によって一日を始め、指示を奉じて一日を走り、一日一日感謝しながら生活しています。下さる指示を果たしていかなければならないという責任感によってみ旨の前に恥ずかしくない姿になる為に最善の努力を尽くして来ました。父母様を誇り愛するその信仰によって生きています。為すべき事毎にみ旨を行いみ旨を立てるその事の他に、為すべきことが何があり得たでしょうか。大いなる父母様の愛によって如何なる羨ましさも不足さも感じないままに貴方だけを望み見ております。ただみ旨の完成体である真の父母様に似ること以外に何のみ旨が有り得るでしょうか。

この手紙を書くようになったのは、もう全ての公職から去らなくてはならないと思うためです。お父様の命令をちゃんと履行できなかったからです。私がお父様の前へ行くとしましょう。私がお父様の前へ行って足を蹴られビンタを受けることが怖いのではなく、珍満の話を聞いて、そういう子息を持ったお父様の立場でどうして公職を引き受けるのか、という立場で私が手紙を書いたのです。

 

愛する真の父母様!

父母様の限りない愛により私の家庭は驚くべき祝福を受けて生きてきたことをよく知っています。真の家庭の一員になる光栄を受け、代表家庭として公職の道を歩いて来ました。あなたの恩恵を知っているだけに、ただ感謝するばかりです。二世たちはあなたのみ旨を奉じ首尾よく成し遂げる為に努力する感心な姿を見せるようになっています。しかし想像もできないことが起きています。筋道が把握できません。何がどうして間違ったのか理解し難い境地で陥っています。これをどうして首尾よく収拾すべきか、答えが見えず糸口が見つかりません。

私ども夫婦は真の父母様と真の家庭に仕えることを至上課題にし、子女たちにみ旨の為に最善を尽くさなければならないと教えてきました。何より真の家庭を優先しなければならないと教えてきたし、自分を犠牲しなければならないと教えて来ました。どのように生きることが真の公道の道なのかを見せてやり、その道に従わなければならないと教えてきました。それゆえ天の召命により孝進様と興進様と顯進様と國進様に仕えるにおいて自分の意思よりも天を中心して仕えようと努力する姿を見て、貴重な子女を下さった天の前に常に感謝しながら生きて来ました。

 

愛する真の父母様!

そういう子女たちが今や私の懐を去ろうとしています。私が父母様に仕えて一生従ってきたように顯進様に仕えて一生を歩んで行くと言っています。顯進様にお供するのが真の父母様のみ旨を実現することと信じています。一なる神様の下の人類一家族の夢を掴むのが真の父母様のみ旨を果たすことだと本当に思っています。顯進様に仕えてみ旨の為に努力するのが父母様の為であると思っています。父母様のみ旨を伝えながら、とても大きく成長したということが分かりました。私の懐の中に留めておくにはあまりにも大きな子息になってしまいました。幼い時に見た珍満ではなく、40歳を過ぎた息子の姿を見て驚きました。私が40歳の頃にはどんな仕事をしてどんな決断をして生きていたのかを考えてみると、それ以上の夢を抱けなかったことを知りました。私たちが父母様に仕えて世界を巡回した時代を二世たちが生きていきつつあります。40代にみ旨を果たさなければならなかった恨みの多いその時代を二世たちが生きていきつつあります。お父様の恨みを解怨する為に世の中とぶつからなければならないと、天の公道を決意しています。天のみ旨を成し遂げる道を進もうと言っています。私はどうすべきでしょうか。真の父母様を全人類の真の父母として仕えるようにしなければならないと言って進もうとしているのに、私がどうすべきでしょうか。私の懐を去ろうとする子息を見ながら、これが人生なのかと思っています。彼らは父母の懐を去って真の父母様の為の道を開拓していこうとしています。

 

愛する父母様!

もう小生は父母様のみ旨を実践していくのが難しいということを感じるようになっています。私が公職を去らなければならないということが信じられません。切ない心だけが胸を満たしています。父母様と顯進様の関係が理解し難いです。私は不足なので理解が難しいです。真の愛の道がどうしてこのように難しくなければならないか分かりません。私はもう全ての公職から脱し、祝福家庭の一人として歩むべき道を行かなければならないようです。氏族的メシアとして自分に与えられた責任を果たします。

 

愛する父母様!

間違いがあったら全ての責任を私に負わせて下さり、父母様の光栄をお返しできる道を許諾して下さいますよう懇切にお願いします。

 

7月10日付けでお送りした手紙でした。(拍手) 拍手しないでください。これは拍手されるべきことでも事由でもありません。

いくら考えてみても、今日の事態を誰に何と説明すべきか分からない残念な現象です。皆さんもご存知のように、私は統一教人としてお父様の指示を受けて仕事をしてきて、ふと気づいてみると、教授世界、宗教世界、平和運動しながら国家首脳、どれほど幅広く、さらには体育界まで合わせて、どこに行っても頭のてっぺんから足の先まで統一教会の名札が付いている人間です。近頃言論でも雑誌でも放送でもしきりに噂されています。私を大切に思ってくれる社会の著名な人士は、私の口で何も語らないから、集まりや食事の席でも何気なく周囲の顔色を窺うだけであって、自分たちから先には言葉を出せないというのです。少し距離がある人々から「その教会では最近何をしていますか」と訊かれる度に何の返事もできず困ったものだけれども、南東佑(ナム・ドンウ)総理とかいった方々は郭会長が口を開かないなら私たちが郭会長に話を聞かなくではならないと言って、その日付まで決めておいたそうです。食事をしながら私の話を聞いてみるというのです。それで私たち状況を世の中の前にどう説明しますか。私たちは誰かに言い訳をしたり誰かについてどうこう言ってはならないのです。

真のお父様はこの地に千年の基盤を築かれ、人類歴史上どの道人も、どの宗教創始者も取り上げて論じたことのない家庭救援の理想を完成した方です。祝福理想を成し遂げ真の家庭理想を成し遂げて私たちに祝福を下さり、天の子息となるように接ぎ木して下さいました。お父様は私たちに語られませんでしたか、「もう私が君たちにこれ以上与えることがない。八大教本が全部だ」と。そうであれば、そのみ言を中心として自分を顧みながら間違った人々を導いてあげてこそ食口ではないですか。間違った人は正しく導いてあげなければなりません。重要なことはそのみ言を成し遂げることであり、 そういう家庭を成し遂げる模範家庭にならなければなりません。私はもしも原理がなかったら自分が死んでいたはずです、こういう難しい中で。一生をその原理だけ見つめながら走ってきましたが、サタンだと言われても、私が尊敬する方々や私が育てた人々からサタンだと言われても、それを原理によって解釈するがゆえに生きているのです。本当に原理が貴重ではありませんか。

原理を見ると、霊界があるではありませんか。私たちは皆、霊界に行きます。地上でどんな生活をし、どんな考えをして、どのように生きたかということに従って行くべき所だすれば、何が恐ろしいですか。父母様の前に、原理の前に、私が如何に生きたのかということが重要です。

なぜ訓読会に行かないのかと私に言う人々もいますが、訓読会! 父母様に仕えて訓読会に参加した回数を計算してみれば、私よりも多く参加した人は多分あまりいないでしょう。訓読会を一日も欠かさずに参加するというのが易しい生活でしょうか。そして、訓読会に私がいつから出なくなったかというと、2009年12月中旬から出ていません。2009年12月までの1年間にあった難しいことは到底言葉にできません。こうもああも言えません。2009年10月からは毎日訓読会の度ごとにお叱りになるのです。立場が責任者なので前の席に行って座っているのですが、私さえ見れば大目玉を下さるのに、私が一度も弁解はしませんでしたが、本当にどうしようもありませんでした。お父様があまりにも私を叱られるので、分別のある人は「お父様がどうしてそうするのか分からない」と言って慰めてくれる人もいましたが、田舍から上って来て参加した幼い食口たちもいるのに、私に対してどう思うでしょうか。顯進様から舅という言葉すら一度も聞かせてもらったことのない人なのにです。

その後に私の全ての公職は切られてしまいました。公職者ではないから、毎日訓読会に参加する理由もないではありませんか。或る日は父母様がちょっと会おうと言われた時に、訓読会を終えて別に残って、「私のゆえに毎日指摘なさってご機嫌を損ねておられるようだし、私としても耐え難いです」と申し上げました。そうでなくても、いつかお父様が「もう出てこないで、洞窟の中にトンネルでも掘って地に平伏して過ごせ」と言われたこともあり、結局 2009年12月中旬から訓読会に出なくなりました。毎日訓読会に行ってきましたが、家で訓読会をして家庭で礼拝報告するのも易しくはありません。それで故郷の教会へ行って礼拝を捧げることなので行ってやってきましたが、郭錠煥が礼拝をしてきたと言って大騒ぎになり、財団から電話があり、「教会長が大変だし教区長も困るので、ぜひ来ないでくれ」と言うのですが、世の中にこんな理屈がどこにありますか。私のゆえに教会長が困難になるのですか。それゆえ故郷の教会にも行けなくて、こうしているのです。

 

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