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6)分捧王を免職された権ヨンアン会長の文書


 

文顯進長の大会に先を争って参加しなければならない

 

2010.10.06  権ヨンアン

統一教会の歴史は神様から始まり真の父母様が来られ、全世界の食口が使命を受け、摂理をすすめ、今では統一教体制そのものが2世の時代へと継承され、跳躍されなければならない重要な時に来ている。そして私達は、半世紀以上、世間から理解されず、激しい迫害を受けながらも勝利した一時代の義人として、真の父母様と神様の摂理に従って、人類救済の使命のために選ばれた者であると信じている。

そんな使命を受けた歴史的な義人となるのか、それとも歴史的に失敗した者、反逆者となるのかという岐路に立っている。この重大な時に、代を引き継いだ新しい跳躍の転機を迎える、新しい希望と共に困難を克服しなければならない時であると考えられる。今、全く新しい願望の道を選ぶのか。危機を迎えるのか。知恵を発揮する時であるとも言える。もしかしたら、今が統一教の最大の危機であるとも考えられる。この危機を賢明に越えれば、真の父母様の時代よりももっと大きく発展することは間違いない。

60年前のお父様の創業時代よりも世界的な基盤の上に立ち、お父様よりも若い兄弟たちがおり、彼らは、世界的な感覚を持っており、実力とノウハウを持った指導者が補佐し、そして英語を充分に駆使できる実力と学歴まで備えているからだ。また5-60年前にくらべ、迫害のない時代であり、世界的にも受け入れられ、世界的に働くことができる条件が備えられた時代であり、摂理的な蕩減時代が過ぎ去ったからである。ただし、兄弟がお父様と一つになって、体と心で、心情的に、霊的に固く団結して、一つの姿として意気投合し、一糸乱れずに働く時だけに可能である。

しかし、今日のように、核の中の核である兄弟が争い、これに伴う指導者の分裂により、食口は「なぜ、このようなことが起こるのか」不安な気持ちで「本当にこれが原理的なみ旨であり、真の道なのか」という疑問が沸き、「私達は、別の人を待たなければならなのか」という思いにより、行く道が険しく、難破船となるかもしれない。そして世間の目も、肯定的なものから否定的なものへと、再度、背を向ける結果となるだろう。キリスト教は、毎週「統一教は兄弟の主導権争いで分裂の危機に向かっている」と、おもしろおかしく宣伝する状況であるということを知るべきである。

「結局、統一教も世間の父子や兄弟と違うところがない」と非難するものであり、お父様の業績をダメにし、私達はまた5-60年をイメージの改善と、再び、開拓の道を行かなければならない。宗教は救いが目的である。ところが「自分をも救済できず、争っている統一教に、何の希望があるのか」と烙印を押されたら、その回復が50年ではなく、100年かかると思われる。だから私達は、この難関を早く克服しなければならない。個人的な感情や利権、権利、権力、感情的な争いをしている時ではない。

今が、和解する絶好の時である。韓国協会の指導者たちが積極的に協助して、大会が成功するように努力し、文顯進会長を感動させなければならない。今日の姿は、剣や金棒を持って来いという「エソウ」のように、あらゆる手段を持って妨害している姿であるが、それは悲劇的で悲しいことだ。どうして統一しようという私達自らが、相生ではなく相殺の道を行くのだろうか。残念だ。

もし最後まで妨害するならば、食口の後遺症は深刻である。公的には考えず、私心を表にだせば、結果的に文亨進世界会長も後悔することになるだろう。牧会者にとって心情や霊性の核心は愛である。希望がどんなに大きくても、信仰がいくら良くてもどうしようもない。結局、真の愛が、一番であり優先されることを知るべきである。

真の愛を叫ぶ統一教の指導者らしく、大乗的な仕事をしなければならない。愛を叫ぶ牧会者文亨進牧師は、兄一人愛せず、許すことも理解もできないのに、どうして「兄弟を愛し許せ」と説教するのか。行動せずして「愛せ」とだけ説教するのなら、それは偽善である。結局、文亨進牧師は牧会をやめなければならない。偽善の牧師は、牧会をすることができない。なぜなら偽善者だからだ。説教者はいつでも、心情が、霊性が、み言と良心の幅が広く、自由でなければならない。

文亨進牧師が、自らヤコブのような「アベル」であるとするなら、兄を訪ねて行き「お兄さんに会えて、神様を見るように感謝と恵みが溢れてきます」と友情のある説得をしなければならない。お兄さんである文顯進会長も、心の扉を開けて、弟を愛と友情と兄弟愛で、熱い抱擁で迎えなければならない。これがお互いに共存して発展する道であり、お父様を喜ばせるものであり、長生きしていただく道である。

36家庭のK某先輩が、文亨進会長を訪ねていき「お兄さんを訪ねて行って和解してください」というと「どうして私が先に謝罪しなければならないのですか。間違っている人が来るべきでしょう」といったという言葉を聞いて残念に思ったが、愛の心情さえあれば、他人でもなく下の者でも弟でもないお兄さんなのに、自尊心が傷つけられることでもなく、むしろ、お父様からも、すべての食口からも、認められる良い機会となり、牧師として良いイメージを与えることになるはずなのに、こんなに硬直した姿は、自分で真の牧会者であることを放棄したようで、彼の後に続く食口が痛ましくかわいそうに思える。

一般的な2世の牧会者でも、大義を先に考えるなら、早々に受け入れられるのに、「これができない文亨進牧師は信仰とは何か、道とは何か、愛とは何か、真の父母様の心情とは何なのか、神様の摂理がどこにあるのかを知らない方だ」と考え、「私達の前途は険しい」と感じた。文亨進会長はハーバード出身で、私達食口が持っている期待もハーバード級である。人物もハーバード級、実力もハーバード級、み言もハーバード級、霊性もハーバード級、心情もハーバード級、愛もハーバード級にならなければならない。ところがそれに及ばなければ、失望が大きくなることは仕方がない。

お父様は「偉大な指導者は、まず与え、打たれて許し、愛することが真の牧会者だ」と言われた。そして結局、兄弟が一つになれば、お父様(神様)のすべてを継承し共有できるのである。その継承は物質だけでなく、心情と愛の継承でならなければならない。ところが争えば、兄弟が主張することができないものとして、神様がすべてのものを持って行くかもしれないということを真剣に考えなければならない。

三兄弟以外に、補佐官とその他の周囲の人々は、お父様のためという名分でお父様を欺瞞し、自分の取り分を確保することに目の色を変えているという事実を知るべきである。そして兄弟の戦いを煽っていることを、兄弟たちは早く知らなければならない。兄弟は、真の勝利が何かを知って、是非、理由の如何を問わず「お兄さん」である文顯進会長の大会に参加することを勧告し、和解と許しで美しい再会の場になることを願うものである。そして私達は先を争って参加し、大会を成功させなければならない。お父様がどれほど喜ばれるだろうか。結局、このすべてがお父様の事ではないのか。

 

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