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6)悲しいクリスマス物語 -パトリシア・ローレンチェン

2012.09.20   P. Lorentzen

ニューヨークでの出来事は、何人かの人たちによって多くが報告されていますので、実際に何が起こったのかについて、これ以上語ることはありません。ただ、いくつかの細かい点が欠如していますので、それらについて語る事を勧められました。

私が強調したいことは、子供たちや私は決して犠牲者では無いという事です。嘘をついたり、騙したり、欺いたり、権力を乱用した人達こそが、その行為の本当の犠牲者と言えるでしょう。この2週間の間に頂いた多くの手紙とお祈りに感謝します。その多くは元教会員の方からでした。

外部にいる事で安心できる、そのように感じるようになってしまったこの運動にもう関わりたくありません。私たちはこの事で神への信仰や感謝の気持を失ってはいません。結局はそれが一番大切な事だと信じています。神様が良いと考えられる時に、全てが明らかに晒されると知っていました。それに3年・・・。

私達が2009年のクリスマスに、ニューヨークにいるベンを訪問すると決めた時、彼に、ニューヨーカーホテルに部屋を取れるかどうか尋ねました。返事が来るまでに何日もかかり、明らかにインジンは私が来ること、ホテルに泊まる事を承認していない様子でした。最終的には部屋を取ることができました。ニューヨークに到着して分かったのは、飛行機代のみならず、全ての旅費(食事、交通費、観光費など)を自分で払わなければならない事でした。ベンは収入を得ておらず、私達のために、何も払う事ができませんでした。

今のところ、まだ、4000ドル掛かった費用の払戻しを受けていません。払い戻しの請求をしていますが、返事をもらっていません。

私達は12月17日に到着しましたが、その時点ですでに何かおかしいと感じていました。私達が外出中に何度もインジンから電話が掛かってくるし、子供たちとベンにはクリスマスギフトだと言って100ドルをくれたのに、私にはなかったり、など。数日後、偶然に、ベンとタチアナ・パク(インジン)の間に交わされたメールを発見しました。性的な内容は伏せますが、二人の間に浮気が始まっている事は明らかでした。私は直ぐにベンのところへ行き、二人で話をしました。ベンはその事実を認め、それは最近始まった事であると言いました。その時の彼の最初の質問は「これで、恐喝するのか」でした。 私は「この事実を誰かからお父様に報告してもらう、それだけです」と答えました。私が報告をした人が、これをしてくれたかどうか、今までのところ分かりません。

ベンはそれ以前にも何人かのガールフレンドがいたので、誰かと浮気をする事自体は驚きではありませんでした。ただ、私が不愉快だったのは、相手が既婚女性であったこと、さらにそれがインジンであった事です。 当時13歳だった私の息子は、二人の間におかしな関係があることを察知しており、私が子供たちの前で「どうして既婚の女性と付き合えるのか」とベンに詰問した時、英語がそれほど分からないにも関わらず、その女性が誰のことかを理解していました。子供たちはマットレスとカバンをもって立ち上がり、部屋を出て行きました。その時に一人が「何が起こっているのか分かるから、出てゆく」と言っていました。それが、ベンが子供たちを見た最後となりました。子供たちは彼と会う事をそれ以来拒絶しているのです。もう彼を父親とは思わないし、その事を家に帰った後で、彼に伝えました。

その夜、私達3人はマットレスが2つしかない小さな部屋に取り残され、毛布も足りなかったので、靴下、タイツ、ジャンパー、コートを着込んで眠りました。その部屋はそれほど寒かったのです。ベンにもっと掛けるものは無いのかと尋ねると、カーテンをくれました。ランドリールームから掛けるものをもってくるために、カギを貸して欲しいと頼みましたが断られました。私達はこのような扱いを受けたのです。滞在中、ただ一人、私達に良くしてくれたのは清掃係の人でした。彼の名前は「エンジェル」でした。

子供達と私が、あのような短い時間内で、あの二人の間に何かおかしな事が起こっていると感じる事ができたとすれば、 ほとんど毎日彼らと接している人達やリーダー達が、3年もの間、何も不審に思わなかったことは理解できません。子供達はあのような扱いを受け、そして浮気の事実に大きく落ち込んでいました。私は毎日、私達は大丈夫だと、彼らを励ましました。私達は毎日外出して、最初に計画した様々な場所に行きました。

この事実を発見した日に、ニューヨーカーホテルで、フィリップ・シャンカー(米国教会・副教会長)と面談をしました。私が読んだり見た事の全てを詳細に彼に報告しました。彼が私の言った事を信じてくれたのかは分かりません。でも、もし信じてくれるなら、上の方へ報告しなければならないでしょう、と彼に言いました。フィリップは私の話を信じると言いました。何故なら、私の話には誠意があるばかりではなく、同じような話を以前に聞いた事があるからだと言いました。私は彼がアリスティアの事を言っているのだと思いました。彼は、なんとかすると約束してくれました。その時、彼は何かをしてくれたと思いますが、報告するべき人に報告してくれたかどうかは分かりません。

2010年の1月に彼から私の報告が上に上げられた旨を告げる手紙を受取りました。それが誰のことなのかは分かりません。その後、フィリップから何の連絡もありません。ニューヨーカーにいる間、私はインジンに2回手紙を書いて、会いたいとお願いしました。当然のことながら、彼女からの返事はありませんでした。3通目の手紙に、それなら私はこの事を報告すると明記しました。その日、私が部屋に戻ると、ベンとビル・ミホがドアの前で私を待っていました。二人は何か重要な事を告げに来たという顔をしていました。

私はあなた達と話をするつもりはないと言いました。私はドアを閉めカギをかけましたが、ドア越しにベンが、荷物をまとめて明日の正午までに出てゆくようにと叫びました。私が書いた手紙が原因のようです。もし出ていかないなら、警備員を連れてくることでしょう。長男が「お母さん、ほんとなの?ぼくたちは追い出されるの」と訊いてきました。残念ながら、そうだよと答えるしかありませんでした。

その後、私はベンに、今はクリスマスで他のホテルを探すのは難しいかもしれないから、もう一日だけいても良いか尋ねました。彼はそんなこと知らない、飛行機の便を一日早めて帰るべきだ。変更の費用は自分が払うと言いました。そのお金は未だにもらっていません。

私は荷物をまとめました。子供達は泣いていました。私は子供たちに屈辱を味あわせたくなかったので、ホテルの警備員が来る前にホテルを出ました。子供達に、どうすると尋ねると、一刻も早く家に帰りたいと言いました。その日の夜一晩だけホテルに泊り、翌日の便で帰るように飛行機のチケットの変更をしました。それだけで1000ドルかかりました。ニューヨーク近辺の2人の知り合いに泊めさせてくれないかとお願いしましたが、断れました。ですから、あの時点で、もう帰るしかありませんでした。フィリップ以外のリーダーにはこの事を報告していませんし、誰かがほのめかすような形で、噂話を広めたりしませんでした。

子供達と私は前に進んでいきました。常に前向きで楽観的な態度で生きてきましたし、それに助けられてきたと思います。今日までで、ベンは約5万ドルの養育費と4000ドルの旅費の未払いがあります。この件で彼の両親に連絡を取りましたが、我々には関係ない、と言われました。ちなみに、彼の両親も教会員です。ここ数年間、私は子供達を自分の力と、わずかな支援で養育してきました。離婚の書類を執行するために、もう何度も執行官をマンハッタン・センターへ送りましたが、その度に、「ベン・ロレンツェン」なる人間は、ここでは働いていない、と言われました。私はフィリップに、離婚の手続きのために、ベンがマンハッタン・センターで働いているという供述書を出して欲しいとお願いしましたが、返事は来ませんでした。

私は真実を求める人にのみ、この話をしたいと思います。真実を求める人は何が起こったかを知る資格があると思います。また、私はこのような事が将来に再び起こらない事を望みます。私はただ、あまりにも長い間隠されていた事に光をあてたかっただけです。

Sincerely
P. Lorentzen

 

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