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5)霊界メッセージ論争は信仰的良心と食口の人権にかかわる問題

                                                            2011.12.2  金白山

梁昌植会長の束草霊界メッセージの顛末に関する解明と、幾つかの疑問点に対して質問した公開書信に対するカフェ会員たちの熱い反応は、統一家にまだ信仰的な良心が生きている方々が多いということを反証してくれる。

しかし、文章に対するカフェ会員たちの一般的な反応とは異なり、数名の批判的な方々の論理は、私が指摘しようとする本質的な内容とは距離が遠いものに過ぎない。彼らの批判は、大部分、お父様がそのように決定して発表したことに異議を申し立てるのは、非信仰的で傲慢な態度だと指摘している。メッセージ作成過程と発表動機に関係なく、ご父母様が認定したことは、超越的権威を持つのだと主張している。そのような理由で、メッセージ作成手続きに対する問題を提起するのは正しくないと主張する。これらの中には、付け加えて、歴史上の聖人たちの中にも、目的のために嘘をついた人もいるという例えも挙がっている。

しかし、このような論理は普遍性を獲得しにくい、似非宗教においてのみ通用する無理な論理に過ぎない。目的のために手段を正当化したり、動機が不純であるのならば、それは善なるものではなく低レベルの正当化と宗教的狂信に過ぎない。これは、天のみ旨を実現し、人類最高の良心を志向しなければならない宗教の根本の教えに一致しない主張である。

私たちが束草メッセージの真偽論争と手続き的正当性に対して、最も重要な点として提起するのは、それがご父母様の承認を受けたことの有無に関することではない。本質は目的と動機、そして、手続きが善なるものであったのかという問題だ。この問題は当事者たちの信仰的良心と、真の父母様に従う正しい信仰を実践しなければならない、私たち祝福家庭と食口たちの人権に対する問題でもある。

束草事件の前後の事情を知らない食口たちに、すべてのことをご父母様の指示事項だと公表し、これに絶対服従するようにという教義が通じることはあり得るが、事件の前後を知っている者には、これは本当に卑劣な無理強いであるのみだ。果たして、信仰的良心を持つ者として、どうしてこのような非常識的な行為と状況を容認することができるだろうか?大部分の食口たちはどうしようもなく、教会で主張する絶対服従の教義に従うしかないとはいえ、摂理に対して心配する目覚めている食口たちの胸の中には、抑えることのできない憤怒が湧き上がっている。

再度、強調するが、束草・霊界メッセージ捏造は、私たち食口たちの信仰的信頼を裏切った天人共怒の蛮行である。そのどんな内容も正当化することはできず、必ず本来の状態に戻されなければならない。これは線路を脱線している摂理の道を正す道であり、私たちすべての霊的生命を生かす道だ。

私たちが束草事件の真実を知りたいのは、正義と善であることを追求する人間本性の指向性に基づいたものだ。不義で、善ではない行動に対して目をつむって通り過ぎるのは、良心が許さないためだ。このような本性的な行動は、教権が絶対服従の教理をどんなに強要するとしても絶対に消えることはない。誰が言わなくても自然発生的に現れて、抑えればさらに強くなるのがまさにこれである。これは、歴史の中において文明の進歩の土台になるだけでなく、宗教を中心とした神様の摂理を一次元高めていく原動力だ。イエス様とルターがユダヤ教権主義に挑戦し、中世キリスト教の宗教的堕落を撃破するために険しく困難な道を行ったようにである。

今の時期の私たちの抵抗は、ご父母様の摂理に対する不服従ではなく、偽りの報告とインチキで染みがついた統一家の共同体を生かし、摂理の正しい道を開拓する中で、天に対する忠孝の手本を再び立て、神様とご父母様を解放する動きだ。天の切迫した摂理が、非良心的な少数の群れに揺るがされて破綻することを防ごうとする使命感から湧き出してくる自発的な動きである。

私たち祝福家庭は、すでに世俗化して信仰の本質を忘却した彼らに、霊的生命と信仰的運命を抵当に入れることはできない。彼らは、お父様の権威に頼り、教権を笠に着て、限りなく絶対服従を強要するが、教権主たちが押し出す絶対服従の教義は、摂理の正しい方向と何ら関連もないものであり、ただ、教会権力を強固にし、自分たちのヘゲモニーを強固にするためのものであるのみだ。

冷徹にみることができなければ、容易く見過ごして、私たちすべての信仰的自主性と人権が侵奪される結果をもたらす以外にない。そして摂理の正しい方向を立てられないことはもちろん、一段階、跳躍できないようにする障害物となるようになり、結局、天一国の理想は白昼夢となってしまうだろう。また、永遠に少数似非宗教の分派として人々に記憶されながら、差別を受け、無視される運命の中から抜け出すことができないようになるだろう。

教会権力の核心部にいる者たちは、あらゆる豪奢と恩恵を享受する中で、食口たちが窮乏し、悲惨に生きている姿はいまや眼中にない。韓国にいる大部分の多文化家庭は、平均以下の生活をし、経済的に非常に窮乏した生活をしているのにもかかわらず、無分別な献金摂理で彼らをさらに追い立てている。経済的窮乏のために献金をちゃんとできず、教会に通うこともできないようにつくる状況、このために自ら罪人という自己恥辱感に陥り、食口たちと交流することもできない状況が多くなっていっている。このような状況にもかかわらず、教会権力者たちは、ただ教会のためだけに献金を強要し、自分たちの位置を守るためのデマを宣伝することに血眼となっているだけだ。彼らは食口たちの抵抗を反摂理的であり、非信仰的なものと規定し冒涜するが、真に反摂理的で非良心的な姿は、彼らが持っていることを否定できないだろう。

摂理は私たちすべての祝福家庭が主人精神を持って出ていく時、より力強く前進する。今この時期に、摂理がどの段階に来ており、正しい方向に向かっているかに対して、苦悩せずにただ従っていくことを美徳とするのは、自らの運命を他人に預けることに過ぎない。

私たち祝福家庭に、天一国は自動的に開かれている所ではない。清平に行って先祖を解怨し、入籍したとしても、地上に天一国が成されない限り、天国の門は決して開かれることはないだろう。地上に神様の下の人類一家族理想、天一国理想を実現できない限り、真の父母様、真の家庭をはじめとする祝福家庭の誰であっても神様がいらっしゃる天国に入ることができないであろう。これが原理であり、天の公法だ。

過去、金孝南・訓母様と金英順夫人の間に、李相軒院長の霊界書信をめぐり真偽論争がさかんに行われている時にも、お父様が訓母様の反対にもかかわらず、金英順夫人が書いた、李相軒院長の霊界メッセージをそのまま認定された事例を、束草事件の首謀者たちが利用した可能性もあるとみる。霊界メッセージといえば、いったんはご父母様の立場から認めざるを得ない、そのような心情を自分たちの目標達成のために利用した事例が、まさに束草事件の本質となるだろう。しかし、その責任は、そのまま彼らに永遠に讒訴条件として残ることであろう。

 

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