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4)梁昌植会長に送る公開書簡

2011.11.27  金白山

梁昌植会長!ついに勇気を出して束草霊界メッセージに対する真実を明らかにしてくださり、本当に感謝いたします。3年という歳月、私は世界の統一家を揺るがすこの問題が、このような解明として現れたため、一方では虚脱した思いにならざるを得ません。

梁会長!私は会長の真の父母様に対する信仰的忠心を疑いません。私たちすべてが信仰者として、そのような姿勢を持ってきたことは事実だからです。ただ、会長と私たちの違いは、実体のご父母様の傍で侍っているかということについての違いでしょう。実際、私は真の父母様の近くに行くことができる立場にはありませんが、常に心情の中ではご父母様が教えてくださった、神様のみ旨と摂理のビジョンを大切にして生きていると思っています。

梁会長!私は会長と80年代からの一時代を、熾烈に左翼の学生運動圏と闘争してきながら生きてきた思い出があります。その当時、私たち皆が持っていた食口としての熱い情と愛、そして摂理を成していこうとする戦士としての自負心は、私たちが生きる力であったのではないかと思います。

会長!実際、私は今までこのカフェに文章を書いたことはほとんどありません。顯進様と、至近距離ではありませんが、それでも共に働く者として、私が書いた文章が顯進様の考えを代弁するという誤解を受けることを願わなかっただけでなく、一つの時代に同じ役割を果たした者として、同じ食口として生きてきた方々に、心の傷を与えないように強く自制してきました。カフェ成立の初期に、1~2回、書きこんだ記憶もありますが、それ以後はほぼ文章を書いたことがありません。実際、文章というのは観点によって解釈が異なり、人を説得するのに限界があるからです。一つの論理に対する反駁と再反駁を経る過程で、論理は消え去り、感情だけが激化して、結局は私たちの心情が意固地になってしまうからです。このような理由から文章を書く事を自制していたところ、私と共に働く人たちは、このような私に「少し文章を書け」と、冗談めかせて言ったりもしました。実際、私の文章は、いまだに運動圏と闘争したあの時代の記憶の中から自由になれないでいます。私がみても、ある時には私の文章が強すぎるように感じることもあります。文章を書いてみると、事件の真偽を明らかにするために、やむを得ず批判しなければならない立場に置かれるからです。

実際、私は会長の今回の霊界メッセージに対する長文の文章を読んで、多くのことを考えました。文章を書くべきか、書くまいかに対する思いから始まってです。しかし、会長が発表した文章を見ながら、全体的に疑問が湧き、共感できない部分があると判断し、このように公開書信をお送りするようになりました。

1.3年余りの歳月が過ぎた後に束草霊界メッセージに解明される理由に対して、誠実さを感じることができません。

会長は最近、霊界メッセージ論争が膨れ上がってきたために事実を明らかにするとおっしゃいました。しかし、実際、束草メッセージ問題はカフェでも論争になったことが1度や2度ではありません。2009年、束草事件直後からこれまで、途切れることなく論争になってきた問題です。今になって論争が増幅しているととってつけた説明までされながら真実を公開するとおっしゃる真意が疑わしく思われます。実際、3年間、顯進様に対する非難がどれほどたくさんありましたか?世界的に、言葉では表現できない非難と人格殺人教育が進められた結果、多くの食口たちはいまや、顯進様に対して形容できないほど多くの誤解をしている段階にきています。財団と協会側では、言葉では顯進様が戻ってくることを期待すると言いますが、一方ではとてつもない非難を浴びせかけ、告訴と告発を濫発しています。顯進様が戻って行ける道を開くのではなく、むしろ一つ一つ、妨害してしまっていました。

いまや顯進様は教会食口たちに、お母様を告訴する背倫児、教会財産を盗んだ人、そして、最終的に堕落したアダムと断罪されました。教会を通して、ほぼサタンとして冒涜されるようになった顯進様が、いまや戻って行ける道がどこにありますか?本当に顯進様が戻ってくることを、会長をはじめとする教会指導者たちが願われたのなら、このような無毛な人格殺人と断罪はご自身の良心をかけて防がなければならなかったのではありませんか?会長はこのカフェを指して、50年間の統一家の共同体にいなかった幽霊たちが横行していると言われたのですが、果たしてこのような抵抗がどこに由来しているのか、まったくその原因を分からないとおっしゃるのですか?教会組織と食口たちを掌握した教権主義者たちの誤った行動に対抗する最低限の抗議手段と民主的論議の場であるカフェをこのように冒涜しながら、私たちの共同体が本当に疎通することができるとお思いですか?全斗煥暴圧政権よりもさらなる言論統制を、今の統一教会指導部が牧会者たちと食口たちに行っていることを、会長は二つの目で見ることができないというのですか?食口たちが互いに監視し合うようにし、牧会者たちを日本婦人たちを通して監視させ、報告させるようにするその態勢は、果たしてどこから来た文化だというのですか?

2.霊界メッセージだと誤解する、手続き上のミスだと言及したことを理解しがたいです。

束草霊界メッセージが3年の間、統一家に与えた傷は、言葉では癒すことができません。会長は、そのメッセージがお父様の指示事項を整理したものなのに、発表当時、孝進様の霊界メッセージと合わせて読んだために、人々が誤解したものだと主張しました。そして、前半部分、孝進様の霊界メッセージ部分に対しては知っていることがないと主張しました。であるならば、私が一度、お尋ねします。果たして会長は、真の父母様に侍る関係を離れて、ご自身の良心をかけて、神様の前にこれを事実だと言うことができますか?巷では、このメッセージは梁会長とピーター・キム補佐官が書いたものと話題になっているのですが。私の分析からすれば、初めの部分は、文体上、ピーター・キム補佐官が作成したものと推測され、後半部の真の子女の使命についての部分は、会長が作成したのが明らかであるようにみえます。そして、後半が霊界メッセージではなく、お父様の指示事項だと主張されるならば、なぜ導入部に「敬愛する天地人真の父母様」とおっしゃったのか、到底、理解ができません。万一、真の父母様の指示事項であるのなら、必ずしもこのような形式を用いて発表される理由がないのではないですか?このような事例は、真に前例のない怪異なものではないでしょうか?このメッセージの作成過程において、果たしてお父様の直接の指示事項が、霊界の孝進様のメッセージより権威がないと思われた方は誰でしょうか?このメッセージを自ら作成された方々が、お父様の権威を否定し、霊界の力を借りて、亨進様の相続者としての権威を正当化するためのものではなかったのか疑わしく思います。

私の所見では、その当時、もし顯進様に対する問題を霊界メッセージという形態で発表するのではなく、お父様が直接、指示した形態でおっしゃったならば、最小限、そのような状況は発生しなかっただろうとみます。実際、顯進様は、霊界メッセージ、またはお父様の指示事項だという文献内容に憤怒されるよりは、(憤怒された理由は)その文献が作成された経緯を信頼できないためであると思います。顯進様はその当時、自分たちの目的のために霊界メッセージまで操作した人たちに憤怒され、摂理のためにこれを必ず正さなければならないと切迫さを感じられたものとみています。実際この問題は、私たちすべての問題でもあります。信仰の本質と良心の問題であり、私たち統一家の正体性と定義の問題でもあります。手続きや動機が正当でないならば、どんなに結果が良かったとしても何の関係があるでしょうか。旧約時代には通じたタマルとリベカの逸話、そしてエソウとヤコブの逸話のような物語を、成約時代を超えて天一国摂理時代に正当化させる摂理的な名分はないと思います。復帰された真の家庭の中において、便法で長子権が入れ替わって相続権が確定されるという、そのようなことは到底あり得ないことであると思われるからです。

3.霊界メッセージの内容が真の子女様すべてに公平だという内容は、同意し難いです。

いわゆる「霊界メッセージ」という内容を読んでみると誰でも分かるように、顯進様の役割が非常に縮小されていることが分かります。名目上、顯進様がUCIと天宙平和連合の責任者であり、米国総会長ではありますが、結局、亨進様に報告して、重要な事項は裁可を受けなければならず、國進様に監査を受けなければならず、米国内においては仁進様に教会に対する全責任を奪われ、実質的に顯進様が独自的にできる内容がほとんどありません。このような二重、三重の足かせをしておいて、顯進様がどんな役割を果たすことができると思われますか?そして、仁進様が総会長の許可もなく不法に教会理事陣を変えて自分に近い人たちを入れたことに対して、その過ちを正すために処置をしたことを、お父様と敵対したのだと冒涜したことから分かるように、顯進様が米国摂理機関内でできることがほとんどなかったことを知ることができます。実際、顯進様によって招集、進行された理事会が6対5で霧散となったことが、それを証明してくれるのではありませんか?

人の情の常により、どの家庭においても長子は父母の代身です。長男がどんなに学がなく、知識がないとしても、弟たちが勝手に兄を無視できないことは、韓国的な家族の伝統に起因した礼儀範式でもあります。ですから家庭内の大小の事柄を決定する時、常に長男は中心になります。教育の有無や財産の大小に関係なしにです。それが、韓国的伝統の家庭です。ましてや、真の家庭においてはどうしなければならないでしょうか?当然、秩序があるのです。しかし、不義なる手段によりこのような秩序をひっくり返し、弟たちが兄を攻撃することに対して、顯進様にだけ忍耐を強要してはならないのではないでしょうか?それも、いわゆる「ご父母様の指示」という仮面を被ってです。3年を耐えてこられた顯進様は、今日になって食口たちに送るご自身の声明書を発表されました。そのような顯進様の心情を、一度でも察したことがありますか?会長ご自身が、家庭においてそのようなことを弟たちにされたと、一度、仮定してみてください。本当にあきれることではないですか?(中略)

文章を終えながら、お願いします。

会長!私は、すべての信仰路程において本当に貴い記憶を持っています。会長もそうであったように、皆がそうです。そして、そのような思い出と記憶、また体験が、今までこの険しく困難な道を行く動機になり、生命力になっています。信仰が揺らぐ時、常に私たちは皆、その初心を思い出して再び決心したものです。それは純粋なものです。その懐かしい時期の純粋さです。しかし、今の私たちの共同体は、前例のない危機的状況に直面しています。誰もこの状況おいて、よく思う者はいません。もどかしく、一方では腹立たしくもあります。しかし、このすべてのことが誰の責任でもありません。すべて、私たち全員の責任です。真の父母様とご子女様によく侍ることができない私たちの責任です。天の摂理をはっきりと分からず、生活の中で実体化させられない不足な者たちである私たち自身のためです。

私は最後に、一つの場面を回想しながら、この文章を終えたいと思います。私が小学校の時、肉身の母について入教した後、毎日、徹夜精誠の祈祷に通ったことが思い出されます。邑にある教会に行くために、私の村にいる食口たちは遠い道のりを、歩いて教会に通ったものです。徹夜を終えて明け方に帰ってくる道で歌った「園の歌」は、本当に恩恵に満ちたものでした。分別のない小学生時代でしたが、明け方の冷たい空気の中で清明な月の光の下、食口たちと列をつくって田の畦道を歩きながら歌ったその歌の思い出は、数十年が過ぎた今もまだはっきりと残っています。食口たちを慕わしく思い、牧師様に会うということがただただ良かったあの時期が今、本当に懐かしいです。会長!果たして私たち皆が、そのような純粋な時代にもう一度戻ることはできないものでしょうか?

2011年11月27日  金白山拝上

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