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6)懲戒処分の結果の通知を受けて-金ドンウン

                  2012.07.20  金ドンウン

 私は去る7月17日に統一教の協会懲戒委員会から内容証明で送られてきた懲戒処分結果通知書という郵便物を受け取った。

協会ではこれに先立ち去る5月中旬頃に私宛に「5月25日までに協会に出頭せよ」との協会懲戒委員会の名前による召喚状を、やはり内容証明で送ってきており、私は即刻2度にわたり「公職者ではない一般食口に対し、封建主義時代にしかあり得ないような召喚状を送り付ける根拠が何なのか」と、公開質疑形式の返事を送ったことがある。

そして、その根拠になるという~今この時間までも未だ公開されていない~<定款>と<内規>を送ってくれたら誠実に召命に応じると丁重に要求した。

ところが予想したとおり、私の正当かつ素朴な要求は一言半句なしに徹底的に無視され、以下のような懲戒処分結果の通知が送られてきた。

<懲戒処分結果通知>

対象者 : 金ドンウン

懲戒結果 : 除名処分(協会員格剥奪)

「・・・・・中略・・・・・ 2012年7月5日午後7時、協会本部において実行委員である協会長、協会室・局長7名、全国教区長13名及び諮問委員である元老、摂理機関代表12名、祝福家庭会長代表7名など合計40名から構成された懲戒委員会会議を開き、会議の結果、懲戒委員の満場一致により貴下の除名処分(協会員資格剥奪)が決定されました・・・・・・・・・・・・・

中略・・・・・・・もし貴下が自分が行ったこのような行為に対し真心より悔い改め真の父母様と統一教に戻ろうとするなら、・・・・貴下を迎える準備が出来ています」

恐らく以前のようだったなら、こういう通知は私にとって死亡通知書に等しかったはずだ。率直に言って、寝ていてもむっくと起き上がり髪を掻き乱して四方を歩き回りながら狂いそうになって跳び回るに違いない。それほど私には我が教会と協会の一員であることは誇りそのものであり自負心だった。

確かな記憶はないが、1960年6月2日に中学3年生の時に入教し、家庭、親戚、学校、社会から迫害と蔑視に遭ってきながらも、協会員番号が「1642番(?)」位で、他人達よりも些か早いことに対する内心の自負心が大きかったことだけ見ても分かることだ。

しかし今は違う。いや、その自負心が変わったのではなく、全ての価値の本質になる神様と真の父母様に向けた私の心は揺るぎなくそのまま留まっているからだ。百度尋ねられても私は(教会を)離れたわけではない。

離れてもいない人を見て雑多な理由を付けて条件付き召命の機会さえ封鎖されたまま強制追放しておいて帰って来るなら受けてやろうとは一体何のことだろうか。

今日の統一運動は間違っている。間違うには随分と間違った道に行っている。真の父母様の核心の教えである「真の愛」と「為に生きる生き方」は極端にその本質が歪曲させられている。いや、単純に歪曲させられているだけではない。

方向感覚を喪失し、度量不足の核心指導者たちによって人為的に毀損させられている。真の家庭の長兄の位置におられる方を堕落したアダムとして、母親を告訴した無頼漢であり悖倫児(背倫者)に追い立て、一生涯を信仰の模範として真の父母様に影のように侍ってきた元老先輩をサタンに仕立て上げて陰湿な攻撃する、想像を超える魔の手が横行する現実であり、これを直そうとする如何なる努力と試みも非原理的な教理注入によって指弾したり、不信仰的な敵対感情と反逆者の汚名を着せて隔離している実情だ。

どうしてここに、我が教会に、神様の愛と恩恵が臨むことができようか。

ああ、どうしてこういうことが生じ得るというのか。

今更のように除名処分通知を受け取ってみると、過ぎ去った半世紀が走馬燈のように目に浮かぶ。

半世紀を越える満52年間を、成和学生時代の61年、62年、63年の遊び好きだった少年時代から、夏休み冬休みを問わず飢えも辞さずに夢にも見たことのなかった再臨メシヤの指示とみ言に順従し啓蒙・伝道に通った日々、卒業後は大学進学を諦め伝道に出た日々、1年休んで成均館大学に入学し原理研究会を創立し、勉強しに来たのか活動しに来たのか分からないほど狂ったように大学4年をひたすらみ旨に向かう心情一つで、髪を掻き乱して通いながら時間さえあれば旧青坡洞本部教会や明洞4街の伝道所に行き、チラシを配ったり友達を連れていって、安昌成、崔ヨンソク、黄ファンチェ、韓インス、李ジェソクなどの大先輩たちの熱のこもった講義に心酔して涙を浮かべた日々も全く古い昔の事のようではない。

大学卒業後は職場も関心外のことだったし、まっすぐに釜山に行き、いくつも歳の差がない大学生を指導すると言って何ヵ月か留まってから軍隊に入って猛虎勇士として派兵の経験もし、除隊するとすぐに着の身着のままで黄ファンチェ先輩に挨拶を兼ねて協会に立ち寄るや、今すぐ蔚珍教会の教域長として赴任せよとの厳命に応じて牧会の道に入った後、中央大学校や成均館大学などソウルでの学舎教会長生活もしながら 1975年に1800家庭の祝福を受ける恩恵も受けた。

その後私は、最近聖和され霊界に逝かれた厳徳紋会長に仕え、政府からすぐにでも汝矣島聖地工事許可が出るものと期待されていたので、その準備作業の一環として創立された現在の (株)一誠建設の前身である一誠建業(株)に入社し、統一財団管理部長、一誠コンド企画理事、ソンド産業代表理事、そして最後に不渡り直前の統一重工業の代表理事を最後に職場生活を締め括った。これももう 12年前のことだ。

私は今、信用不良者(自己破産者)の立場だ。

その当時、会社の代表理事が前任者の全ての債務を承継させる慣行をそのまま受け継いだからだ。この為に私は財産上の多くの試練と法的な苦痛を受けた。家族に及ぼした困難も少なくなかった。現在ではこのような状況は一生ついて回るようだ。

また私は前科者だ。

前科者といえば誇るべき前科者はいないものだ。違法行為があったからだ。それにも関わらず、敢えてここで前科者であることを取り上げるのは、直接・間接に私の懲戒処分結果と全く無関係ではないからだ。

私が前科者になった顛末は簡単だ。

会社が不渡りの危機に晒された時、私は誰も行きたがらなかった統一重工業の社長に就任した。言葉だけは社長就任であって、その実は死滅への入口だった。

口で言うのとは裏腹に、私のような下っ端の1800家庭が、平常時のような正常な状況ならば我がグループの最高会社に代表として行くということは思いもよらないことだった。

当時は真の父母様を含めた核心幹部たちは皆ブラジルのジャルジンにおられ、財団では、風前の灯火の危機を乗り切るには力不足の、実質的裁量権もない新進の若手が理事長や事務総長などを歴任しているところだった。

いずれにせよ私が社長として赴任した統一重工業は社長室が過激な労組員たちに占領されており、一ヵ月を経て何とか辛うじて社長就任式を行うほどだった。

結論的に私は社員たちに月給を与えることができなかった悪質事業主の代表という烙印を押され、民労総の支援を受けている労組員たちの告訴によって勤労基準法違反という罪目で未明に宿所で逮捕令状を持って来た勤労監督官に手錠をかけられ留置場に護送された後に裁判を受けた。もう一つは、やはり会社のことで証券取引法違反で告発され、特捜部で受難を受け裁判に回され、実刑は免れたものの執行猶予でやはり前科者になった。

どうして私が物心両面で受けた苦痛を今更明らかにしてどうするのかと思われようが、このような試練も私が神様と真の父母様が自ら受けられた受難の万分の一でも体験できるという恩恵だと思って耐えて来たが、慰労と褒賞はできないとしても、財団責任者が変わり現指導部が欲しいままにする破滅行為に苦言を呈したからと言って除名処分とはどういうことか。

これは私と私の家族と二世、三世になった息子娘、壻、孫息子や孫娘に限った痛みだけではない。私を眺める一家親戚と親しい知人たち、さらには祝福家庭の先輩・後輩全員の痛みでもあるのだ。しかし、こういう痛みは真実が明かされ正義が実現されれば、すぐに過ぎ去り得るものである。

問題は我々の現実が、そして私たちの未来がこのような偽りの虚像によって暗い影で覆い隠されて、息急くほどに焦る思いと、摂理の完成に向けた神様と真の父母様の哀切な訴えが、彼らが悔い改めずに持ち堪えている限りは、容易く解決されそうではない状況にあるということである。

 

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