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4)山本忠彦家庭の良心宣言文

2011.10.28

 親愛なる統一家食口の皆様

 この度、皆様の前に祝福中心家庭であること以外に何の資格もない私達ではありますが、危機に瀕した神様のみ旨を前に、止むに止まれぬ心境でこのような文面をお捧げするに至った事情をご理解頂ければ幸いです。

 ここ数年、統一家を襲っている分裂問題をご存じない方はいないと思います。しかし、この問題に関して、正確な情報が公式に伝えられることはありませんでした。この問題を理解するにあたり、あらゆる先入観を取り払う必要が有ります。既に現指導層によって多数の訴訟が提訴されているということは、提訴する側にとって不利益な情報が公式発表されることはないということです。

 2008年に実体復活されて以降、お父様は子女が責任分担を果たすのを見て間接主管される立場に立っています。ここで言う子女とは、それぞれの中心的な立場に立たれている真のご子女様と全祝福家庭および食口を指します。実体復活以降、お父様は、基本的に新しいみ言は語られていません。全て語ったとおっしゃっています。D-dayを前にみ言の審判が進行しています。亨進様の全食口が罪人であるという考えは、祝福の価値を否定するものであり、結局、真の父母の価値を否定することになり、到底受け入れられません。また、國進様は、ご自身の兄をサタンであると語りましたが、そうすると、ご自身はサタンの弟、ご父母様はサタンの父母になり、到底受け入れられません。摂理的に困難な役割を担う國進様と亨進様のためにも、祝福家庭として到底容認できません。お父様はみ言の実体であると強調されています。

 今日の問題の本質は、神様のみ旨である天宙復帰を果たそうとするお父様に対して、統一教会という一宗教を維持できればいいと考える現指導層が起こした陰謀です。

 それを知るためには天一国摂理を理解する必要があります。

2001年1月13日に「神様王権即位式」をもって天一国が出発し、真のご父母様が父母としての責任分担を終えられ、子女が責任分担を果たすべき時代となりました。祝福中心家庭は自らの名で「報告」することが求められ、エデンの園で1つだった戒めに2つが追加され三大鉄則が与えられました。

すなわち、血統を汚すな、人事措置を間違えて人権を蹂躙するな、公金を盗むな、であり、逆賊として追われて死ぬようなことがあったとしても、この法を守って生きれば、間違いなく天の国の皇族圏となって、どこにでも自由、統一、解放の家庭になると語られました。一番目は天一国の天法一条であり、説明不要ですが、二番目と三番目は主として公職者、責任者に向けられたものです。平信徒は人事権を持つことはないし、公金を使う機会もありません。

 しかし、2008年4月6日、第四十九回「真の父母の日」の記念式典におけるみ言を見れば、それらが守られなかったことが明らかです。

 *エデンの園に宗教はありませんでした。国はありませんでした。ですから、宗教を片付けてしまうのです。この宗教が、カイン・アベルで血を流すようにしたのであり、そこに相対する立場のつまらない文化に乗って世界を支配しようとしました。それは違います。(本来は)文化は、正午定着し、昼の時間になって影が無くならなければならないのですが、歴史と共に正午定着していない文化が広がり、その文化にそのまま乗って自分の所有権を継続しようとしたので、統一教会がここに引っ掛かっています。

 周知の通り、お父様はもともと宗教をつくるご意志は有りませんでした。そこでお父様は、統一教会を清算する決意をされ、清算されるべき宗教の相続者として亨進様を世界会長に任命されました。数日前に公開された文亨進様世界会長就任式の「祝祷」の韓国語版を見ると、第2段落先頭の一文が日本語の翻訳から漏れていたことが分りました。あまりにも衝撃的だったので、翻訳時に削除されたものと思われます。

*統一教会されなければならないものは一つも有りません。

 この言葉にお父様がどれ程の決意で今の時に臨まれているか窺い知ることができます。

公金問題や人権蹂躙問題の元を辿ればその一端は日本にもあるのではないでしょうか。

統一教会は長期間に亘って不浄な万物とドグマに汚染されて来ました。

 1980年代中頃に当時の責任者から聞いた2つの言葉を記憶しています。

 一つは「荒野時代が終わればマナとウズラは止む」というものでした。お父様が語られたのか、誰か責任者が語られたのかは分りません。しかし、その後定着時代に入り新聞やテレビ報道を目にする度に「まだ止んでなかった」と何度思ったか知れません。直接それに関わるか否かに関係なく、そのような負債感は教会を証すことを躊躇させます。ある広報部長がテレビで信徒の職業選択の自由に言及し、商売であることを自白した時、犯罪行為であることが社会的に確定したのです。それを今も公式見解にしているようです。荒野時代までは迫害と呼べたものが、定着時代には外的粛正になっていました。伝道しない教会は滅びると語られた会長もいましたが、教会とメシヤの名前を「実績」のために汚したことは省みられませんでした。

 もう一つは「日本のアベルカインは間違っている」というものでした。お父様がそのように仰っていると、当時の責任者から聞きましたが、どこがどのように間違っているのか明確な回答は得られませんでした。カインの責任が強調されアベルの責任が軽視される傾向にあると聞いても、学生中心の原理研究会では皆が兄弟姉妹あるいは先輩後輩関係にあり、中心者は圧倒的に先輩なので、特に疑問を感じることもありませんでした。

しかし、このアベルカインが後に献金摂理と結びつき、責任者による支配原理として悪用され、上述したような犯罪行為を強行させる根拠となってしまったと思います。

そもそも、原理講論には「神を中心としたアベルカインの一体化」という概念はありません。アベルカインはサタン分立であり、伝道される過程で霊の親に「自然屈服」して、堕落性を脱ぐ為の蕩減条件を立て、実体献祭を勝利した時点で終了しており、メシヤを迎える基台を造成し、祝福によってメシヤを迎えた祝福家庭およびその子女がカインの位置に立つことはありません。復帰された食口は伝道前線で未復帰圏の人(カイン)を伝道することで、アベルとしての位置が決定されることはあっても、教会内の位置や役職とは無関係です。位置や信仰暦をもってアベルカインを固定化しようとするものは気違いであり、サタンだというみ言があります。今年6月には「皆さんがどんなに精誠を尽くすにしても、原理原則を中心としてアベル的な位置に立つべきです。カイン的な位置に立ってはならないというのが原則です」と語られています。

 一方、神を中心とした一体化は、主体と対象の授受作用によってなされます。大多数を占める食口は兄弟姉妹として一体化すれば良いし、教会長と食口はそれで充分です。そこにアベルカインを持ち込むから、命令と服従の関係になり、心情的な一体化が阻害されるのです。命令への服従を信仰と考えると、信仰によって良心作用が拘束される危険性が生じます。結局、全ての人がカイン(僕)に位置に立ってしまい、命令が無責任・無慈悲に下達されるピラミッド型組織になってしまいます。

 上記のような間違った日本式アベルカインは韓国に輸出され、原理の何処にも書いてない「アベルカインの位階秩序」という形で強化されて韓国統一教の中心に居座り、日本を支配するという皮肉な状況が生まれています。そしてその支配原理によって捻出される日本からの献金が真の家庭を破壊させる訴訟に使われています。

 今や統一教会は権力の亡者が操る幽霊船のようになってしまい、お父様を人質として乗せたまま、み旨という行き先を失って迷走しています。お父様は、み旨に対する最後の希望を顯進様に託し、敢えて荒海に小船を投げ出すような、苦渋の決断をされたのではないかと思います。み旨をなすためには、それまで築き上げてきた業績も捨て、茨の冠を被せられながらも、神のみ旨から不誠実な欲望を分別し、神様が心から取り得る統一家に再生させる道を選ばれたのではないかと思います。誰一人裁かず、自ら責任を負われ幽霊船の船首に立ち続けておられるのではないでしょうか。

 そもそも、1997年に蕩減復帰時代の終焉、第四次アダム圏時代・自然復帰時代への進入が宣布され、2004年にはカインアベル時代の撤廃が宣布されています。未復帰圏に対してもアベルカインを適用しなくても良い、適用すべきでない時代、直ちに復帰できる時代圏に入っており、GPFに象徴される顯進様の活動は、このような自然復帰時代に相応しいものであると思います。One Family Under God は、歓喜の歌声と共に訪れるべきです。

私のブログ(http://ameblo.jp/gildong/)や他のサイトを通じて公開されている顯進様のメッセージのいくつかをお読み頂ければ、この方こそ、神様のみ旨をなすために、真の子女としての責任分担を果たし、ご父母様を勝利した真の父母たらしめるに相応しい方であると確信頂けると思います。このような尊いメッセージが、個人ブログの批判的な記事に紛れて紹介されることを申し訳なく思いながらも、先ずは多くの方に伝えられるべきと積極的に掲載してきました。

 私たち祝福中心家庭は、統一教会という組織のものではなく、真の父母によって重生され神様の血統に接ぎ木されたものです。それは空間的に教会に居ようと、家庭に居ようと、職場に居ようと、学校に居ようと、どこに居ようと変わることはありません。誰も私たちの本心を拘束することはできないので、私たちは自らの良心に従って、この重要な歴史的瞬間に決して敗北者となることがないように、信仰生命を賭けて決断すべきです。

 ある意味、形の上では、ご父母様を裏切るように見えるかも知れません。しかし、お父様は、このような日のために、天地人真の父母定着実体み言宣布大会のみ言で「自らを捨て、王と指導者たちの前でも白衣従軍で命をかけて国家と民族を救った李舜臣将軍」に言及されています。お父様は、どこにいてもみ旨と共にいらっしゃる筈です。神のみ旨はまだ完遂されていないので、み旨を離れることができません。私たちがみ旨と共にある限り、どこにいても神様とご父母様と共にあると言えるのではないでしょうか。

 既に韓国では、昨年、牧会者の人権を蹂躙するビデオ撮影に対して良心宣言をなし免職になった牧会者と共に立ち上がった燕岐教会食口声明書や、最近では、釜山教会食口102名の声明書の証しが届けられています。ただ指示に従って成せる安易な天国はないし、祝福は自らの安逸のためだけに与えられたものでもありません。

 日本にも遠いおとぎ話のようなイエスキリストの話に生命を見出し、その愛を実践する方とともに踏み絵を拒否した名も無き偉大な方々がいます。今日の平和が、再臨摂理を準備する未曾有の大戦の犠牲の上にもたらされたものであることを知る以上、その犠牲を省みずして、メシヤの祝福圏に安住することはできません。顯進様は「死なんとするものは生きる」という聖句を時々引用されますが、歴史上の歩みに比べれば、私たちが越えるべき決断はとるに足らないのではないでしょうか。最後に、お父様のみ言をお借りして・・

 大義に立つ勇気の道は「永遠」の勝利を招く

2011年10月28日

西東京教区・八王子教会 祝福中心家庭 山本忠彦・金良任(6500双) 拝上

 

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