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3)金ソンイル会長良心宣言文

2011.10.06

  祝福家庭の皆さんへ

愛する食口の皆さん、
私は72家庭の祝福を受け、妻ユドンヒと一緒にみ旨の道を歩んできた金ソンイルです。

過去10年間、私は数十年の公職生活を後にして、み旨の前に責任を全うできない申し訳ない気持ちで静かに蟄居してきました。苦楽を共にしてきた兄弟たちが、まだ摂理の現場で百戦錬磨の闘魂を発揮している姿を見ながらも、一度曲がった思いを再び蘇らせるのは容易ではない歳月でした。

ところが最近、私は顯進様が出版記念会をされるというので、久しぶりに世の中に姿を現しました。み旨の前に身を捧げた祝福家庭として、現在の深刻な状況に背を向けることができず、私の目で直接、顯進様にお目にかかってお話を聞いてみなくては、と決心したからでした。

その日、顯進様のお話は、私に大きな衝撃を投げかけてくれました。しばらくの間、私を若いお父様と一緒に過ごしたあのころに戻してくれました。 60年前に目撃したお父様のような大きな指導者が、驚くべきみ言を語られ、熱い涙を流すのを目撃しました。行事を終えて帰って来て、私は数日の間、祈りと苦悩の中で過ごしました。

「神様、このように孝行を尽くされる息子を、どうしてあなたが立てられた教会が、堕落したアダムとして追い立てることができるでしょうか!」 「一緒に命をかけて開拓してきたみ旨の仲間を、どうしてあのように簡単に排斥し、非難することができるのでしょうか!」

私は、私たちが抱えているこの摂理的混乱が、思ったよりもっと深刻なことを悟るようになり、このように静かに生きて、人生を整理する時ではないという気がしました。私は魂についた垢を静かに洗い流して、残りの人生をみ旨の前にもう一度献身しようと心に決めるようになり、これが今日、この良心宣言文を作成することになった動機となりました。

私がお父様に最初にお会いしたのは高校2年生の時、釜山影島の李ボンウン長老宅ででした。大志を抱いた若い「先生」のみ言を聞き、命を捧げてこの道に従おうと決心したことが数日前のことのようです。日を追うごとに、み旨が途方もないものであることを知って、自ら不足さを非難した時期もありましたし、み旨を成すことができる立派な兄弟たちのために喜んで命を捧げると言って、同志愛を燃やした時期もありました。み旨の道を共に開拓してきた兄弟たちの固い誓いと献身の中で、いつしか真の父母様の当代に、純粋に摂理の道を歩いていく数多くの祝福家庭が生まれ、全世界に統一家を作りました。

ところが、この運動が、神様の祝福の中で世界的に発展すると共に、私たちの中に傲慢さが芽生え、深く閉じ込めておいた私心が発動し始めました。さらにはお父様の周りにもそのような指導者たちが位置を占め、挙句の果てに、その方の心と精神まで混乱するようにし始めました。虚偽の報告で公金を流用したり着服し、いつの間にか、後輩たちまで加勢してお金と名誉と権力を貪りました。今日の統一家がこのように危険な状況に処し、真の父母様のご家庭の中にまで混乱が発生したことは、その誰のせいでもなく、私たちが真の家庭を正しくお支えできず、統一家の文化を守ることができなかったからであり、摂理の指導者として生きてきた私自身から、責任を全うできなかった結果であるといわざるを得ません。

祝福家庭の皆様、
今日の現状について、責任を痛感される方であれば、この問題は、他人が解決してくれるものではなく、私たち自身が責任をもって解決しなければならないということを悟られることでしょう。特に、家庭に問題がある場合、父母や兄弟が最後まで責任を負うのであり、教会に問題が生じれば、当然、指導者や先輩の食口が責任を持っていくというのが基本的道理でしょう。この点で私は、神様がこの統一家を捨てることもありえるという危機意識を持って、すべての祝福家庭が一緒に責任を持って問題を収拾していくことができる知恵を集めなければならない時だと見ています。その知恵の源泉は、原理とみ言に求めるべきであり、根本的動機は、真の愛でなければなりません。生半可な解決のために、相互間に審判と宣布が横行し、社会の法にまで手を伸ばすのは、私たちを永遠の死に至らせる致命的な毒素であることを知る必要があります。いつのまにか、その毒が全身に広がるだけ広がった統一家を、死の沼から救い出すために、我々はどうすればよいのでしょうか。もしも誰かが、兄弟と子供に向かって狙った最後の弓の弦を我々に引けと言う時、万人がその兄弟と子供の側に立って私たちをまず撃てと言えば、果たして永遠の愛の父母としていまし給う神様が、それを許可されるでしょうか。

田舎に埋もれて暮らしていた老いた祝福家庭が、今になって何を言っているのかと言われれば、私は何も言う言葉がありません。しかし、顯進様の出版記念会に参加して、摂理の存亡がこの瞬間にかかっていることを悟り、この村老はすきでも持って、戦場に再び出たい心情でした。今や、私は微弱ではありますが、この問題を解決するために、真の愛に根ざした祝福家庭の知恵と勇気、実践を促すみ旨に出て行こうと思います。良心的で摂理的に正しい視覚を持った指導者が、真の父母様のご家庭に正しく侍り、み旨を広げて行くことができるように、力を添えたいと思います。これが私がみ旨の道を通じて天と真の父母様と食口達の前にお世話になり、借りを作ってきたことに対し、お返しする道だと考えています。

2011年10月6日
韓国・一山にて 金ソンイル 拝上

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