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5.宣言文は、真の父母様の名誉を汚す妄想の所産

 

 

金スンジュ

5月25日に所謂「真の父母様宣布文」という公文が公開された。その宣布文には、それまで統一教財団と UCI間で問題になっている主要核心的な事項に対する真の父母様の指示が盛り込まれているが、その中では一方的にUCIが断罪されている。食口たちがこういう真の父母様の宣布文を伝え聞いたなら、これからどれほど UCIに対して否定的な考えを育てていくことか、極めて憂慮される。実に卑怯で低レベルな行為だ。

宣布文には財団と協会の全ての意図が入っている。彼らがこういう種類の宣布文を作って真の父母様の署名を受けたのは、黄善祚会長に降伏文書を突き出して署名を強要したことと大差がない。食口たちは真の父母様宣布文が真の父母様の意志でありみ旨であるため、黄善祚会長の場合とは違うと理解するかも知れないが、しかしその内面を見れば本質的な差がないことを発見することができる。

真の父母様宣布文の場合は、表面的には真の父母様の自発的な意志による署名となっているが、その深い内面を覗いてみると、財団と協会が一方的に歪曲された情報を報告し、それを受けた真の父母様が UCIを誤解して出てきた結果物に他ならない。事実、社会通念においては、歪曲された情報による証言や署名は客観的に認められず、事実上違法なものとして記録される。果して真の父母様の周りに UCIについて客観的に報告を申し上げる人が唯の一人でもいるだろうか。

今回の宣布文の脚本は既に前から予定されていて、真の父母様は彼らの脚本に手を挙げて             署名なさったものに過ぎない。しかし、たとえ彼らが真の父母様の署名を受けて UCIを不順従の群れとしてサタンとして断罪すると言って、それが普遍的な事実になるわけではない。事実でない虚偽が事実になれないように、真理でないものが真理になることはできないのだ。勿論、過去の歴史の中で事実と真理は権力闘争において勝利した者の戦利品であったが、今は過去とは違う。民主主義社会においては法と正義が生きていており、全ての人々はこの範囲を超えることができない。

これは真の父母様の場合にも同じである。真の父母様が超法規的な存在ではない以上、世の中の法を超えることはできない。たとえ真の父母様が真理でないことを一瞬の誤解により真理として宣布するといって、世の中でそれが真理として通用することは到底あり得ない。これはただ真の父母様の絶対性を教義とする統一教内部でのみ有効なだけだ。井の中の蛙に見える全てが真実ではないのと同じことである。ここで統一教人たちは絶望するしかない。自分たちの考えが世の中では普遍的なものとして受け入れられないことに失望するだろうし、だから一つの回避方法を捜すわけだが、それは自分たちの意志に反するものを邪悪なもの、サタン的なものとして規定してしまい、いつかは無くすべきものとして心に刻み込むことだ。しかしこれは、一介のドグマに囚われた自己欺瞞であると同時に虚偽意識であるに過ぎない。私たちは世の中が統一教内部よりも常識的で道徳的であり得る可能性を排除することができない。最近起きていることを見れば、統一教人たちが世の中の良心的な人々より道徳的に優越している点を見つけるのは決して易しくないようだ。

今まで統一教が世の中からあらゆる批判と迫害を受けてきたことについて、私たちは世の中のせいにばかりしているが、しかし本質においては、世の中の無理解よりは我々の内部に問題があった。世の中に対し普遍的な寄与と愛を実践することができずに、ドグマに囚われた虚構ばかりを追求してきたからだ。これまで統一教は口先だけは愛を叫んで来たものの、他の宗教団体に比べ奉仕と愛を実践することを惜しんできた。為に生きる真の愛を最高の教義にしてきた統一教がこういう面を見せるしかなかったのは、実に皮肉なことと言わざるを得ない。それゆえ、社会的貢献に消極的なこういう統一教に対して、人々は「統一教は宗教財閥だけに、お金だけは多い集団」という印象を持ってしまうのだ。

統一教が普遍的に社会的規範とルールに反する行動をしておいて、世の中がそれを受け入れないと不平を言うのは実に愚かな事だ。統一教が未だにこういう迷妄から目覚めていないなら、人々にとって統一教は永遠に似非カルト集団としてしか残ることはできない。そして、さらに進んで統一教の全ての行動が社会的通念とルールに反するとしたら、それは深刻な代価を支払わなければならず、極端な場合には、統一教の存廃自体にも関わる大きな脅威になり得る問題を引き起こしかねないということを知らなければならない。過去に数え切れないほど登場しては消滅していった欺満的な終末論や宗教的な狂信行為が最後には社会的審判を受けて消えていったことを教訓にしなければならない。真理はあくまでもそれ自体として絶対価値を持って存在するのであって、人の好き嫌いによって変わるものではない。これは神様も自分が立てた原理と公法を変えることができず、その中で運行なさるのと同じ道理である。

最近の統一家において真の父母様の名誉を途方もない妄想で台無しにする輩らは、正に真の父母様の権威を利用して自分たちの邪悪な目的を果たそうとする人々だ。霊界メッセージ捏造という原罪を持っていながらも、反省するどころか無数に自分たちに有利な宣布文を濫発し、甚だしくはその証拠もどきのビデオを撮って世の中に曝け出す愚行を繰り返している。元々出発からが間違っているので、もう戻ることもできないのだ。唯一神様だけが霊界メッセージ捏造事件に対し審判の刃を突き付けるであろう。統一教の全ての根が火に焼かれ去るとしても、神様はその審判の手を引き下げることはないであろう。何故なら神様はこのような偽りの摂理の基盤の上にこれ以上天一国の摂理をなさることができないからだ。

協会と財団を中心に不法を行う者たちは、世の中においても後ろめたい訴訟を起こし、結局は勝利する自信が無くなるや、最後の手段として真の父母様を引き込んでいる。こんなことを続けていくと、結局は彼らは UCIを自分たちの手の内に入れる為に、真の父母様まで法廷証人に立てる様相だ。米国では宗教関連訴訟においては、創始者の意図が決定的な役割をするということに基づいているようだが、しかし全ての宗教の自由が保障された米国において、それも陪審員たちによって判決が左右される法廷において、UCIに対する訴訟で真の父母様に法廷証人として出廷していただくとしても、勝利を保障することはできないことである。むしろ逆效果になって訴訟で敗訴となって世の中のお笑い草にもなりかねない。こうなったら真の父母様の名誉が地に落ちることは明確である。最初に米国法院に UCIに対し訴訟した当事者たちがこういう可能性を念頭に置いていなかったとしたら、彼らは能力不足を通り越して純真過ぎるとでも評するしかなかろう。訴訟を主導している弁護士もこういうことを知らないはずがない。

実際に宗教的自由が最大限に保障された社会においては、国家権力や裁判所が宗教内部の問題に介入することを禁止することは不文律のようになっている。統一教財団が世界の食口と公職者たちを動員して、法廷証拠資料を作る為に映像を撮り署名をして米国の裁判所に提出したからといって、それがそのまま証拠として認められるわけではない。事実そういう証拠が、絶対多数の統一教の食口と指導者たちが強圧的でない状態において、自由意思によってそういう証言をしたのかを証明する方法は何処にもないからだ。こういったものが証拠として認められ得ると思った人々が自らの愚かさを証明するだけだ。

宣布文に出ている訴訟は UCIが先に取り下げるべき立場にはない。ほとんど全て財団と宣教会財団の側がその原因を起こしたものだからだ。我々の社会は不法送金と背任、横領行為をそのまま放置しておかない。私文書偽造も同じだ。いつか宣教会に検察の査定の刃が迫るかも知れない。しかし、財団と協会はこういう危険に真の父母様をそのまま晒しているのだ。過去に米国において、参謀たちの些細な間違いで真のお父様が遭われたダンベリーの獄苦を忘れているようだ。

 そして、真の父母様の指示によって合法的に締結されたパークワン建設契約を一方的に破棄した後、契約無効を主張しながら無理を言ったところで、それが法的に受け入れるわけでもない。国家と社会に約束した公的開発は必ず守られなければならない。こういうことを統一教財団の私的利益の為に覆すことはできないのだ。不法を行ったことに対する法の審判は峻厳だ。WTA不法送金は元の会社に戻し、非合理的な汝矣島開発中止関連訴訟は今すぐ取り下げて、これまでの工事遅延によって受けた損害を自ら賠償すれば問題はすぐに片付くであろうに、そうはせずに時間を引き延ばして訴訟を続けるなら、結局のところ残るのは、統一教は常識が通じない集団として一層世の中のお笑い草になるはずであり、統一財団は物凄い訴訟費と損害賠償費用の為に破産の運命を免れないであろう。そして、敗訴するものと明かに予想される法廷訴訟に、決して真の父母様を引き入れてはいけない。真の父母様を法廷に立てて世の中のゴシップにしてはならない。もしかしてこのような宣布文が、真の父母様を世の中の法廷に立てようとする証拠の文書を獲得する作業だと考えているのなら、どうかぜひ止めてもらいたい。これ以上真の父母様を悲惨にさせてはならないし、その名誉を愚かな妄想によって汚してはならない。

 真の父母様の周囲に幾重もの人垣をつくって、誤った情報によって摂理を誤導するような者たちは、絶対順従からはあまりに程遠い。親の傍にいて親を利用することは決して親に順従することではないことは世の中が全て知っている道理である。彼らは親からこれ以上かすめ取るものがないと思えばすぐに親から去っていく存在に過ぎない。彼らには神様の国、天一国の実現の夢など全く存在していない。むしろ見せかけだけの信仰の仮面を被って親の傍にべったり座っているようなことは止めなければならない。本当に彼らがそういう高尚な夢を持っているなら、幼子のように父母様の傍で「何かちょうだい」と駄々をこねるようなまねは止めなければならない。そして、専ら父母様のみ言が自分たちにのみ有利に発せられるように工作するようなことは止めなければならない。

朝変夕改する父母様のみ言と指示に一喜一憂する俗物根性を捨てなければならない。寧ろそうするよりも、父母様の周りにだけ纏わりつかないで、その巣穴から出て、もっと大きい世界に出て神様と父母様のみ旨を実現しようと死に物狂いになる方がもっと男らしくて人間らしい。

 

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