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1. 統一教会は財閥ではない

“後継構図云無意味なドラマに過ぎない” (文顯進月刊中央)
月刊中央 2010年9月号

(特集1ページ目)
特集2) 統一教文鮮明総裁長男
文顯進UCIグループ会長への初インタビュー

(特集1ページ目)

統一教は今、世代交代論争が話題だ。6月5日、統一教側は、文鮮明総裁の「相続者は7男」だと自筆署名文書を公開し、注目を受けている。国内に留まっている7男、亨進が実質的相続者となり、4男國進は統一グループを率いている。このような後継構図から外れて、自分の道を黙々と歩いている息子がいる。それまで、海外有数のマスコミの注目を受けてきたが、一度もインタビューに応じず、ベールに覆われていた文顯進UCIグループ会長だ。現在、文総裁の実質的長男(長男孝進と次男興進は死亡)でもある彼が国内外のメディアで初めて<月刊中央>と出会った。インタビューはシアトルの現地で計3回にわたって行われた。アメリカで苦労した幼年時代、海釣りを共にした父、文鮮明。ジュリアード音大出身のピアニストの妻との間に生まれた9人の子女との家庭生活の団欒。アラスカとアフリカを巡りながら、熊とライオンを狩猟した話。「統一教」のしがらみを脱いで、超宗教運動を展開している理由を詳細に明かした。文鮮明総裁の子女としては初めて証す統一教の内部と、父、グループの隠された生活に関する話だ。

アメリカシアトルで三日間、単独取材…彼が明かした追憶、生活、夢

「統一教は財閥ではない。後継構図云々は無意味なドラマに過ぎない」

子供のころ、アラスカに釣りに行き、海に落ちた。

釣糸を引っ張って、やっと上がったが、父はずっと釣りを…

日本の支援金が切れて1年間、ワシントン・タイムズが不当な負担を抱えて

世界の主流宗教の普遍的価値は90%同じだ。

統一教の枠を超えたグローバルな活動を展開する

韓国に来れば、「田舎飯床」という食堂の常連

子供たちは、アメリカでドラマ<人生は美しい><隣の家ウェンス>を見る

文顯進UCIグループ会長は1969年、統一教文鮮明総裁の3男として生まれた。現在、グローバル・ピース・フェスティバル財団(GPFF)議長兼UCIグループ会長だ。UCIグループ傘下にはUPI通信とワシントン・タイムズがあり、国際的水産物流通販売業者トゥルーワールド・グループ(TWG)も含まれている。韓国のJWマリオットホテルを始め、セントラルシティーと一成建設を運営しており、南米パラグアイでは約60万ヘクタールに及ぶ土地を開発中だ。4歳の時、父についてアメリカに行き、それ以降ずっとアメリカで生活した。コロンビア大学で歴史学を専攻し、ハーバード・ビジネス・スクール(MBA)を卒業し、以降、統一神学校(UTS)で宗教教育学修士学位を受けた。1988年、ソウル・オリンピック、1992年、バルセロナ・オリンピックでは乗馬種目で韓国国家代表として出場した。アラスカとアフリカを回って狩猟をし、キャンプをするのが趣味。1987年、結婚した郭全淑氏との間に9人の子女がいる。


(本文はここから)

「4歳の時、父についてアメリカに来てからは、これまで1年ほど、韓国にいただけで、主にアメリカで生活しました。兄弟間では、主に話すのが楽な英語で対話しますが、父の前では必ず韓国語で話します。父は小さい時から韓国語を忘れないように教えて下さったからです」

「レバレント・ムーンの影として息子らは思い出される」(Rev.Moon: A Revival?) 今年4月、アメリカ ボストン誌アジア版が扱ったカバーストーリーの題目だ。今年2月90歳の誕生日を迎えた統一教文鮮明総裁が自分の後継者として末っ子の7男文亨進と4男文國進がそれぞれ宗教と企業を引き受ける適任者として考えているというのがその主な内容であった。海外ヨーロッパのマスコミフォーブス誌の表紙を埋めつくした文鮮明総裁の顔の風刺を通して分かるように、統一教の世代交代は国内だけでなく世界的関心を集めているニュースである。

この表面的世代交代構図からすこし外れた息子が一人いる。文総裁の実質的長男であると同時にアメリカUCIグループの会長である3男文顯進会長だ。彼は学業を終えてしばらく個人的な事業もしたが、文総裁により統一グループ内で様々な職務をあまねく経験し、約10年間、後継者として厳しい指導者訓練授業を受けてきた。2年前までは、統一グループの最上位機構といえる天宙平和連合(UPF)の共同議長を引き受けていた。しかし、今はUCIグループ会長職だけ引き受けている。後継構図から外されている状態だ。今、彼の関心はGPF(Global Peace Festival)で代弁される世界平和運動だ。一ヵ月のうち、ほとんど大部分をこの非営利運動のために世界の至る所を回ってニューヨークの事務所にいる時間は一週間もない。

文総裁の実質的長男でワシントン・タイムズのオーナーとして彼の行動は注目を受けて余りあるが、彼は一度もマスコミのインタビューに応じたことがなく、公式行事にだけ顔を見せた。文会長側は、今回のインタビューでも徹底した秘密維持を要求した。記事が出た後、統一教と父・文鮮明総裁に及ぼす影響まで格別に神経を遣った。文会長は、<月刊中央>とのインタビューに応じた表面的理由は、GPF活動を韓国に知らせるためだという点を繰り返し強調した。

形式的な話だけだったらどうしようかと心配していたが、彼はインタビュー二日目から徐々に心を開き始めた。思っているより気さくでしゃきっとしたスタイルであった。

4歳からアメリカ生活をしたせいで、韓国語が上手でなく95%英語で進行した。時々、話しながら韓国語も出たりしたが、彼は自分の下手な韓国語がもしや誤解をもたらすのではないかと心配して、公式的なコメントは英語で行うことを願った。彼が駆使する英語は政治家のように流暢で吸引力があった。3日間ずっと総9時間以上、インタビューを進行したが、彼は始終、熱意を見せた。

韓国系アメリカ人ドクタームーンと彼の母国語

初日、インタビューはシアトル空港近くのホテルのコンフェレンスルームで進行した。約束時間に合わせてきた文会長は3人の補佐官と登場した。180cmをはるかに超える身長ですらっとした体つきであった。深い紺色の背広にエメラルド色のネクタイをして来た彼はちらっと見た目にも非常に洗練されて見えた。顔は見栄えよく日焼けしており、握手のために握った手は大きくしっかりしていた。彼は席に着くと韓国語で簡単な挨拶をした。流暢だとは思えなかったが、意思疎通には支障はなかった。

「遠いところまで来られてすいません。うーん……韓国語でインタビューを受けることが出来ず、英語でする点を理解してください。下手な韓国語で語って…うーん…誤解を生むこともあるので。すいません」

緊張した雰囲気を和らげるために母国語に関する質問から投げかけた。

 

-思っていたより韓国語がお上手ですね

「(韓国語で続けて答弁した) 私が父についてアメリカに来たのは…4歳の時です。これまで1年ほど韓国にいただけで、主にアメリカで生活しました。私の兄弟も同じです。英語がより話しやすいのは当然です。兄弟の間では主に英語で対話をしますが、父の前では必ず韓国語で話します。父が我々に対して子供の時から韓国語を忘れないように教えられたからです。私の家族は全てアメリカで生活していますが、韓国人であることを瞬間でも忘れたことはありません。私の妻は私よりもっと韓国人なので…韓国語を私よりうまく話します」

文会長が言及した「私より韓国人」だという夫人は郭全淑氏だ。世界日報社長と統一グループ会長を経、現在、韓国プロサッカー連盟会長である郭錠煥氏の娘だ。文鮮明総裁は1987年、朴ポーヒー、黄善祚と共に、いわゆる家臣グループとして数えられている郭錠煥氏の娘を嫁として迎え入れた。ジュリアード音大を出た才媛として個人コンサートを開くほどに実力があるピアニストだった郭氏は文会長と結婚して以降、子供の養育と家事に専念している。文会長と郭氏は現在、大学に通う20代の一番上の息子から2歳を超えたばかりの末っ子まで全部で9人の子女がいる。

夫人はシアトルで<月刊中央>と文会長一行との夕食の場に登場した。その時、会った郭氏は自分の食事を夫の口に入れてあげる仲のよさを見せた。そして、記者に笑いながら少し慇懃(真心がこもっていて、礼儀正しい)な言葉をかけてきた。中学校の時、アメリカに来たため、文会長より韓国語が上手だ。

「子供は韓国語を忘れないようにするために二年ぐらいは韓国生活をするようにするのが我が家の伝統です。アメリカでは子供らと韓国ドラマを喜んで見ながら韓国語を学びます。最近、喜んで見る韓国ドラマは<人生は美しい>と<隣の家ウェンス>です」

アメリカで生まれたが、文会長は韓国の味を忘れていない。アメリカのパンとステーキより、ご飯とテンジャンチゲ、チョンガクキムチなどが好きだ。韓国に来るといつも、「田舎飯床」(漢南洞にある韓国伝統料理店)という土俗料理店を訪ねる。このために夫人郭氏は家に家事手伝いがいても、直接エプロンをつける。文会長のために自らキムチを漬け、テンジャンチゲを作るという。

多くの子女を生んだのは、父の影響が大きかった。文総裁も韓鶴子女史との間に14人の子供を生んだ。その中で長男孝進と興進、6男の栄進が死亡し、3男顯進会長と4男國進、7男亨進がそれぞれUCIグループ会長、統一グループ、世界平和統一家庭連合会長を引き受けている。5男の権進はビジネスと宗教活動はせず、個人的にアメリカで勉強をしている。

文総裁は1970年代、アメリカに来た。文総裁が今年最初、国内で発刊した自叙伝<平和を愛する世界人として>を見ると「やっと、戦争の飢えから逃れ、東洋から来た韓国人がどうしてアメリカ人の前で説教するのかという認識と統一教に対する迫害で私のアメリカ生活は簡単ではなかった。子女は警護員なしに学校に通うのが難しいほどに迫害を受け、今、考えると胸が痛い」という箇所がある。本によると国際共産主義者と関係した日本赤軍派の反発もひどく、彼がよく泊まったボストン修練院に侵入したが、FBIの不審検問に摘発されたりした。文総裁の試練は彼の家族にもそっくり伝えられるしかなかった。子供のころの話を気を遣いながら聞いた。

-アメリカの幼年時代はどうでしたか?

「(彼はこの質問から英語で答え始めた) 私の家族は子供の時から『文鮮明の家族』という理由で過度な関心を受け育つしかありませんでした。しかし、私の人生に直面した全ての迫害と挑戦は後悔したり、悲劇的なものではありません。むしろ、人生を生きていくのに挑戦精神を持つようになりました」

-少し具体的に語ることはできますか.

「1973年、私が最初に来た時、アメリカにはアジア人が多くはありませんでした。更にアメリカはベトナム戦争中でした。この戦争は1975年まで終わりませんでした。当然、アメリカ社会は混乱しており、1980年代、韓国で激烈に学生運動が起こったように、アメリカでも学生運動がひどかったです。このような状況でアジア人がどれ程劣悪な位置にいたか想像できないと思います」

「父はアメリカの伝説的イラスト作家ノーマン・ロックウェル(Norman Rockwell)の絵の様に釣りを楽しまれる方ではありませんでした。職業的な釣り人のように険しく荒々しく海と戦われました。私はそのような父の姿を見て、人間の限界と自然の偉大さを学びました」

 

-「文鮮明の家族」という理由だけでも苦労されませんでしたか?

「思っておられるほど、平凡ではありませんでした。私の家族を見つめる大変な先入観が常にあったからでしょう。しかし、私達家族は父の仕事を十分に理解し、感受するべきだと信じました」

彼の答えは、具体的ではなかった。明るく笑いながらも、家族に対する話がでると、顔色がすぐに固くなった。自己保護センサーが作動しているかのようだった。透明な水槽の中の魚のように、彼は「文鮮明の息子」として常に人の注目を受けて育つしかなかった。心を開くためには時間が必要だということを悟った。

統一教は宗教であり企業だ。それも平凡な企業ではなく、韓日海底トンネルのような大規模プロジェクトを推進する国際的大企業だ。「文鮮明」という名前はアメリカ内では宗教人である前に成功したビジネスマンとしても意味を持っている。文総裁は宗教活動を支えるビジネスを考えた時に、アメリカ水産物事業に手をつけ、マグロ流通を開始、大成功を収めた。現在、文会長が運営するトゥルーワールドグループ(TWG)はアメリカ最大水産物流通会社の一つとして父が築いた基盤の上で成長した企業だ。1970年代末になるとチタニウム、ペイント、空気小銃工場、人参茶、機械類など多くの事業を所有し、巨大企業として成長した。彼は、インタビュー中のある瞬間、

「私の父は宗教人であると同時にすばらしいビジネスマン」だと語った。

このため、文総裁の子女は経済的に豊かな生活をすることが出来た。宗教行事と事業で忙しい父母を持ったため、父母の手から離れて育つしかなかったが、子供のときからアメリカ上流層の趣味である乗馬と狩猟を学び、教育も最高のコースを踏むことが出来た。文会長を含み、文総裁の子女のうち5人がハーバード出身だ。コロンビア大学で歴史学を学んだ文会長は、ハーバード大学でMBAを、統一神学校(UTS)で宗教教育学修士学位を取得した。

スポーツにもセンスがあり、高等学校の時には、アメリカンフットボールの主力選手になり、活躍した。映画は喜んでみるが、ゴルフには門外漢だ。特に文会長は子供のときから、特に自然と動物が好きだった。馬に乗るのを好み、1988年ソウルオリンピックと1992年バルセロナオリンピックでは韓国国家代表選手として出場した。残念ながらメダルは獲得できなかった。

-馬はいつから乗られましたか?

「6歳ごろから乗っていたという記憶があります。かなり幼い時からでしょう。私だけでなく、兄弟も皆、馬に乗るのが好きでした。乗馬はリーダーシップを学ぶことが出来るすばらしいスポーツです。馬を強制的にコントロールするのではなく、騎手が馬に対してその本能をふさわしく発揮できるように助ける能力がなければならないからです。騎手と馬が一つになる瞬間は、両者全ての疎通があってこそ可能なのです」

 

-子女にも馬を乗る方法を教えられますか?

「私の息子だけでなく、何度も人を連れて馬に乗りに行きました。ある時は、わざと、8歳の娘を連れて行って、まず馬に乗らせました。馬に乗るのは、肉体的な力や年齢でなく内的な機運によるものであるということを見せるためです。どんなに体が大きい人でも馬の上で恐れて振るえれば、馬はすぐに認識して騎手の言葉を聞きません。どれ程機運が強く体が大きいかは、馬を扱うのになんら関係がありません」

 

-馬に関するエピソードがありますか?

「2年前、パラグアイ最高家門の子女を引率して馬に乗り、チャコという地域に牛追いしたことがあります。将来のパラグアイ指導者になる彼らは一度も貧民地域に行ったこともない人たちでした。私はわざと良いテントと食事、風呂施設など、一切をなくし、牛追いをするバクエロス(vaqueros)と呼ばれるカウボーイと一緒に食べ、一緒に寝る日程を強行しました」

 

-不安がありませんでしたか?

「その子たちは苦痛に耐えられず、すぐ父母に不平の電話をし、父母が私に抗議電話をしました。しかし、時間が過ぎると彼らは変わっていきました。牛追いをしてから3日が過ぎた日、私が村のある女性に食料とアメをあげると、誰も彼もが私と同じ行動をしました。食料をもらった女性たちは私達のために家で育てた鶏4羽の中で2羽を料理して食事の接待をしてくれました。貧しい人たちが自分が持っている食料の半分をくれるのを見て、彼らは皆感動しました」

 

-方向転換が大きかったんですね

「100の言葉の演説よりはるかに大きな影響を与えました。GPFに先駆けて地球村平和指導者会議(GPLC)をする場で、私はこの村で起こった話をパラグアイの全ての指導者にしてあげました。これが本当のパラグアイの精神なら、パラグアイは偉大な国になるだろうということです。私が展開している平和運動はまさにこのようなものです。このおかげで2010年開催されたGPFにパラグアイ政府が全て後援するようになったことは喜ばしいことです」

父・文鮮明、彼が教えた「自然」

彼が霊感を受けるところはアラスカの山の中や海のど真ん中だった。大きな行事を前にしたり、人生に重要な決定を下さないといけない時、彼は山の中に入ったり、海釣りをする。

「韓国では統一グループが何か財閥グループになったように間違った認識をしていますが、それは誤解です。ですから、統一教の後継構造を云々するのは無意味なドラマに過ぎないということをお話したいと思います。私達にはそれより心配すべきもっと重要なことが多いのです」

-自然を訪ねる習慣はいつから会得したのですか?

「父が教えてくれました。私が育ちながら、親しくしていた人たちはホワイトカラーよりブルーカラーがはるかに多かったです。父は彼らと一緒に熾烈な戦いの現場で挑戦することを楽しまれる人でした。アメリカの伝説的なイラスト作家ノーマン・ロックウェル(Norman Rockwell)の絵のように釣りを楽しむ方ではありませんでした。職業としての釣り人のように険しく荒れた海と闘われました。私はそのような父の姿を見て人間の限界と自然の偉大さを学びました。他の子供たちはフットボールキャンプに行ったり、スキーキャンプやゴルフキャンプなどに行ったりしましたが、私は釣りに行きました。今も損害を受けたという考えはしません」

 

-父君と釣りをしながら記憶に残るエピソードがありますか?

「10代のある日のことと記憶していますが、父についてアラスカの冷たい海の真ん中に釣りに行ったことがありました。父が人々と小さいボートの船尾で釣りに集中していた中、船の前で釣りをしていた私が海に落ちる事故が発生しました。アラスカの海の水温は非常に低いために、海に落ちて15分ほど過ぎれば、大部分心臓麻痺で死んでしまいます。しかし、私が落ちたことを誰も気付きませんでした。結局、キング・サーモン(King Salmon)用の太い釣り糸を腕に巻いて、必死に船のあるほうに近づき、やっとのことで救助されました。この時、父は目配りを少しもされずに、そばでぶるぶる振るえている私を連れたまま、最後まで釣りをされて戻られました」

 

-とても厳しく育てられたのですね

「(笑い) 父のそのような教育は今の私を作りました。父は自分自身と同じように子供も挑戦して育っていくことを願われます」

子供の頃から激しい海で鍛錬された彼はアラスカ山中で狩猟をする時も1週間でも2週間でも、山の中をかき分けていく。ある時は、ガイドが疲れて戻る時もあるという。ようやく深い山の中で目標物に命中させた後、倒れた動物の皮を剥いで肉を剥いだ後、それを全部、リュックに入れるところまで自分で行う。そうして、数マイルまたは数十マイルを戻る険しい日程を喜んで成し遂げる。

-狩猟しながら危険に処したことはありませんか?

「(笑い) 熊と何度か向かい合いましたが、その度に落ち着いて危機を逃れました。知っているでしょう。アラスカの熊はチリ山の半月熊ではありません。(笑い)首を持ち上げると、おどろおどろしいビルが一棟立っているように大きく、威嚇的です。面白いのは、動物は自分の前に立っている相手が今、恐れて振えているかそうでないかを正確に判断します。非常に縦的な世界であるために相手を下位か上位の存在二つのうち、一つとして認識し、中間ということはありません。神経戦で負ければ相手を制圧できません。退く時を知り、近づく時を知っていることも自然が教えてくれた真理です」

 

-世界平和運動をする人が狩猟を楽しむ点は少し理解に苦しみますね

 

「(彼の顔は明るくなった) 待っていた質問でした。環境保存とは少し違う視覚ですが…自然保存の観点から見ると理解できると思います。どんな生態系や資源もその量には限りがあります。人間は熊が子供の鹿を殺すのを見て悲しさを感じます。しかし、もし、熊がそのようにしないなら、鹿の集団は陸地が需要できないぐらいに増えていくでしょう。それで、疾病と大規模な飢餓が発生し、結局(鹿の)全体の数が激減します。私は熊の肉食の行動や決められたルールに従ってする狩猟は自然の安全性を維持させる役割をしていると考えます」

私が考える統一グループ

 

-文会長が考える父・文鮮明総裁はどのような方ですか?

「他の人々は父を統一運動の創始者として認識することもできると思います。しかし、私は父をそのようには見ていません。私は父の役割と仕事を見ています。私は父を歴史的人物として信じています。特定の教派の創始者という認識を超えているでしょう。人類が実際に人類平和の基盤を作ることができる夢を見ることができるように、現時代のためのビジョンを吹き入れられた方だと考えています」

 

-父君のようになりたい時はありましたか?

「幼い時、父に『私は貴方のようになりたいです』と言った事があります。その時、父は『貴方は唯一人しかいない個性真理体だ』と言われました。この言葉は誰かを追いかけるのではなく、自分の道を探さないといけないということです。父は常に子供たちの意見を尊重してくださいました」

-宗教人文鮮明でない、父君・文鮮明はどんな方ですか?

「人々は私の父があたかも全てのことを指示し、命令を下す人として考えているかもしれません。しかし、父は子女が自ら道を探していくように助言されました。オーナーシップを教えられました。私が大学の専攻をどう選択すべきか聞いたところ、父は歴史、哲学、神学の三つの科目を推薦してくださいました。私は歴史学を最初選び、結局神学まで学びました。後悔はしていません」

 

-今年6月、フォーブスアジア版は文総裁の後継構図の記事を通して息子らの話をカバーストーリーで扱いました。国内でも統一教の世代交代に対して関心が多いですが、文総裁の考えはどうですか。?

 

「(深く考えて) 記者の方は『財閥』に対する関心を持って後継者問題を考えておられるかもしれませんが、私達は財閥ではありません。宗教運動は財閥とは違います。財閥や企業は全ての所有が株式ですが、宗教団体はそうではありません。全て、非営利団体であり、加入会員を基盤に行う組織です。韓国では統一グループが何か財閥グループにでもなっているかのように、間違った認識をしていますが、それは誤解です。ですから、統一教の後継構図を云々するのは、無意味なドラマに過ぎないということをお話したいと思います。私達にはそれより心配すべきもっと重要なことが多いのです」

統一教の後継構図と文顯進会長「超宗教運動」 を言及して以降、後継構図から外れる

文顯進会長は約2年前の2008年3月、父への書信を通して「心から父の夢をなすためには、まず、私達が統一教の枠から外れ、本当の超宗教運動を展開していかなければならない」という意見を披瀝した。皮肉にもその年の4月、文会長は南米6ヵ国を巡回している途中、家庭連合世界副会長職から退かなければならず、彼に替わって、世界会長に就任した7男亨進氏は就任の辞を通して、統一教の必要性と神学的側面から統一原理の重要性を主張した。時期的にこの時は文総裁の長男である孝進氏が死亡し、文総裁の家庭堂が総選挙で低調な実績だった時であった。

統一グループの急速な変化と混乱は2009年初頭から始まった。文総裁は7男亨進氏を新しい後継者として立て、父の指示で顯進氏は2009年世界ツアーを準備していたが、三ヵ国だけ回ってほとんど強制的に韓国に送還された。そこで、全ての職位から1年間退けという決定が下された。以降、去る1~2年間、顯進氏が持っていた全ての職責は末っ子の亨進氏に移された。現在、顯進氏は統一グループ会長の職責だけを持っている。

この時から、顯進氏は統一グループに対する強い問題意識を表出させた。文総裁が生涯にわたって一貫して開拓してきた運動の基本的方法が弟たちと彼らに協力している勢力によって逆行していると見たのだ。これに対する彼の反発は、即、父に対する抵抗として認識され、兄弟間の権力争いとして、脚色された。

結局、彼は昨年10月、自分が責任を引き受けたUPF共同議長の職責から解任され、11月4月世界平和大使の前に短い書信一通を発送した。この書信で彼は文総裁がUPFを通して追及しようとしているビジョンと使命をGPFを通して続けていくことを明らかにし、このGPF活動がこれ以上組織的にUPFと関係がないことを明かした。そして、彼は今後、GPF財団を別に設立し、神様のみ旨と父の意思を受け継いで行くと宣言した。

続いて、彼は昨年12月、組織の全面的反対にも関わらず、フィリピンでグローバルピースフェスティバルを成功裏に終え、今年、活動の足場を作った。今年上半期だけでも、アフリカ、アジア、南米を回りながら、彼の独自の活動の幅を広げている。

統一教と世界平和運動

家族の話に始終距離を置こうとして来た文会長は二日目、GPF運動に対する質問が続くと、活気を帯びて来た。文会長は2008年から世界各国でGPF運動を率いてきた。GPFは「神様の下の人類一家族」というビジョンを持って、社会の各界指導者と若者の参加を引っ張っている。国家、宗教、人種間の障壁を壊し、新しい次元の平和運動を始めるという趣旨だ。今年はネパール、パラグアイ、インドネシア、ケニアなど、4ヵ国で大陸単位のGPF行事を開催すると発表した。ケニアでは、キバキ大統領とオディンガ首相が直接、本行事を支援している。彼はすでに今年の最初に、地球を一回りして、アフリカと南米、東南アジアの大統領や指導者らと会っている。

-今のGPFがあるまで、10年前に文会長が作られたサービス・フォー・ピースが基盤になっていると聞いています。

「1998年、私が世界平和統一家庭連合世界副会長に就任した当時、父は私に青年運動を起こせという特別な責任を下さいました。その時から、青年運動を建設するのに全力を尽くしました」

 

-その時、若者は全て統一教会の会員でしたか?

「違います。統一教とは全く関係なく、国際自願奉仕活動のために集まった若者も多かったのです。GPFであろうと、自願奉仕組織であるサービスフォーピースであろうと、全ての統一教の枠を超える運動です」

文鮮明の息子である彼が「統一教」の枠を超えるべきだと何度も強調した。心惹かれ興味深い話だ。

 

-父君が作っておいた「統一教」の宗教的制約を超えるべきだということはどのような意味ですか?

「人々が『統一教』と言うのは、その元来の名称は『世界基督教統一神霊協会』です。統一教会という名前はどこから由来しているかは解りませんが、恐らく私達を中傷某略する人達がキリスト教から私たちを区別するために作った名前のようです。父に従った初期の信徒をインタビューして見ると、彼らは統一教会に入るという考えをしなかったといいます。韓国だけでなく、全世界から実質的な変化のための運動に同参したのです。私はその草創期に父が立てられたみ旨を受け継がなければならないと思います。どのような運動でも、少しずつ成長し、それ自体を合法化しようとしながら、少しずつ制度化されます。運動が追求した本来の目標をなそうとする試みと、これに反して運動を制度化しようとする試みの間に緊張状態が現れます。今、統一教はその苦痛を受けているのです」

文総裁は40数年間、続けてきた「世界基督教統一神霊協会」の門を閉じ、1994年に家庭連合を設立した。2000年からは天宙平和連合(UPF)を中心に世界的な平和運動を展開してきた。しかし、文会長を除外した仁進、國進、亨進氏の三兄弟が軸となって家庭連合を廃し、再度、統一教に戻っているところだ。

統一グループ側の8月10日付け「統一教統合イメージ規定施行に関する件」という内部文献を見ると、「統一教の名称は今まで『世界基督教統一神霊協会』から『世界平和統一家庭連合』に、そして、再び、『統一教』に変わった」と書いてある。曖昧であった統一教会を一つに統合する作業をしているという訳だ。文会長はこの部分に関して、直接的な言及を避けたが、弟たちの立場とは違うということが推測できた。今は「統一教」という一つの枠組みで縛られた視点ではなく、その枠組みを壊して、全てを抱擁しなければならないという視点での主張だ。

「キリスト教、イスラム、ユダヤ教、仏教、ヒンズー教など、世界の主流信仰の普遍的価値は80~90%が共通していると見ているためです。『統一教』という枠組みから抜け出して、超宗教運動を展開すべき理由です。一つになれば、何でもなすことが出来ます」

 

-統一教という枠組みを壊して行くという意味ですか?

「父が始められた統一教は私の人生を率いてきた動機であり、父が私に植えてくださった種でした。現在、40代の私に芽吹いているビジョンは『神様の下の人類一家族』を建設することです。これは統一教だけでなく、全ての人類のためのビジョンです。このために私達は現在、統一教人でない人たちも抱きかかえることが出来なければならないでしょう」

 

-超宗教運動を展開するということですね。

「個別の宗教の教派的で制度化された考えに縛られないということです。キリスト教、イスラム、ユダヤ教、仏教、ヒンズー教など、世界の主流信仰の普遍的価値は80~90%が共通だと見ているためです。唯一の違いは、神学的見解と制度化された教理上の伝統に過ぎず、これはそれぞれの信仰の経験の10~15%に過ぎません。この僅少な差のために宗教をむしろ区別する手段として使用しているとすれば、納得できますか。アメリカはテロとの戦争に1兆ドルを超えるお金を使っています。アメリカとイスラム世界で起こっていることだけでなく、インドでもヒンズー教徒とイスラム教徒が対立しています。宗教と宗教指導者が一つになるようにする超宗教運動は、歴史的大課業です」

統一教は 莫大な資金力で 「世界経営」する韓国の20世紀新興宗教

1920年、平安道定州郡徳彦面上思里で生まれた文鮮明は、1954年、キリスト教界から分派して世界基督教統一神霊協会を創設したのが始まりだ。1957年、教理書である<原理講論>を通して教理体系を完成した。教会を心霊と真理で統一し、神様を中心として一つの神様世界を作ることで、神様の創造理念をこの地に実現することを至上目的とする。イエスが韓国に再臨することを信じる。国内では、創設初期からキリスト教団体の反発で「異端」として追われ、社会的話題を起こした。1958年からは日本など、海外布教活動に没頭しながら、勢力を拡大した。創立草創期から世界を活動舞台と標榜した文総裁は1990年代にはいり、活動の方向を宗教自体より人類普遍価値として転換した。1994年には創立40年ぶりに「世界基督教統一神霊協会」という看板を下ろし、「世界平和統一家庭連合」として名称を変えた。

文総裁は1991年、北朝鮮を訪問、金日成主席に会い、世界を驚かせた後、南北関係が行き詰る時ごとに、秘密のホットラインの役割をした。このホットラインは2000年、金大中大統領と金正一国防委員長の会談にも動いたと知られている。対北事業に投入していた1990年代中ごろ、統一教は「世界経営」にも関心を持ち、ニューヨーク市街のイーストガーデンに位置した修練所を拠点として、発展の遅れた国の財政支援などで教勢を拡大して行った。国際救護親善財団を設立し、アフリカと南米など、低開発国家を支援し、紛争と災難地域に緊急救助団を派遣し、孤児院運動、医療奉仕、技術教育などを支援してきた。宗教色をなくし、教育、観光、言論、スポーツ分野などでの様々な活動で異端の是非を静めながら、日々、社会的な影響力を育てていった。

世界を舞台に事業を展開するためにかかる莫大な資金は信徒の献金と言論、教育、スポーツ分野の様々な事業体を通して調達された。世界各国で海洋事業と航空機械事業、エネルギー産業、観光事業などを通して、収益をあげている。国際クラブサッカー対抗戦であるピースカップサッカー大会も支援している。2003年34年間のアメリカ生活を清算し、永久帰国した文総裁は「国家間戦争を終息させ、世界平和運動に寄与する」といい、UNに天宙平和連合(UPF)を創設する計画を夢見ている。日本とアメリカに海外信徒数が10万人から多くは数百万人という説があるが、推算に過ぎず、公式的な統計は出ていない。全世界で数万人の合同結婚式(交差結婚式)を挙げることでも知られている。

-人類が生まれて以来、宗教統合は誰も出来なかった宿題です。その自信はどこから出てくるのですか?

 

「霊性です。人間と切り離すことが出来ない部分です。しかし、現代に至り、私達の霊性を理性と分離する傾向があります。むしろ、理性を重要視する傾向が強くなりました。私はこれは大変深刻な間違いだと考えています。特に西洋で深刻です。アジア、南米、アフリカ、中東の開発途上国では霊的な世界と世俗的な世界の区分がありません。私達の平和運動は、その接近方式が教派や宗教的運動でない、これよりもっと幅広い次元で霊性に基礎を置いた超宗教運動という点を再度、強調したいです。ビクトル・ユーゴーは『侵略する軍隊よりもっと強いものは時を得た思想』だと言いました。私が今、行っていることは、まさにこのような時に適合した平和運動だと考えています。人々の霊性を引き出せば、不可能なことはありません」

「過去1年間、ワシントン・タイムズを支援するための支援金が入ってきませんでした。このような状況は全て驚くほどに突然に起こり、想像すら出来ない方法で起こったことであり、UCIという組織に不当な負担を持たせたのです」


ワシントン・タイムズとアメリカ言論事業

彼はワシントン・タイムズのオーナーでもある。この新聞社は最近、廃刊または売却を決定しなければならない岐路に立っている。統一グループからUCIに約30年間、粘り強く支援されて来た寄付金を昨年、7月中断したためだ。年間数百億ウォンが支援されていたのが留まったのだ。その結果、UCI系列で最も大きな打撃を受けた機関は当然、ワシントン・タイムズであった。文総裁が育ててきたこの新聞社は職員数をほとんど4分の1にまで減らすなど、大変なリストラをし、一年を我慢したが、最近限界にぶつかり揺れている。

-1982年、父君が創刊したワシントン・タイムズが経営難に陥ったというニュースが出ています。

「ワシントン・タイムズだけでなく、アメリカ言論界市場全体が困難に直面しています。5年前からワシントン・ポストは発行部数が毎年20%ずつ減っています。ニューヨーク・タイムズも発行部数が減っています。更に歴史的にアメリカで印刷された発行物は市場を独占的に支配しています。発行部数が最も多い新聞社は利益を残すであろうし、そうでなければ常に赤字になるしかない構造です」

 

-最初からワシントン・タイムズの経済的モデルは持続可能なモデルではなかったのですね。

「そういうことです。父は共産主義の世界的脅威に対抗するためのマスコミ媒体という使命を持って難しいながらも維持して来たのです。アメリカは冷戦を終え、勝利するのにこの機関は決定的役割をしました。この点に対しては、疑う余地がありません。使命感でがんばってきたのです」

 

-昨年、リストラも大きく行ったと聞いていますが…自救策は他にありませんか?

「昨年1年間、ワシントン・タイムズを支援するための支援金は入ってきませんでした。このような状況は全て驚くほどに突然に起こり、到底予想できない方法で起こったことであり、UCIという組織に不当な負担を与えたのです。しかし、UCIとワシントン・タイムズの職員達の大変な努力で私達はUCIグループ内でこの機関が維持されるように全ての努力を果たしました」

文会長は何故、支援金が途絶えたのかに対する話は具体的に言及しなかった。ワシントン・タイムズに関して彼はこれ以上の答えをためらった。彼の口から「支援金が中断した」という話を聞いただけでも期待以上の成果だった。

40代グローバルリーダーの目から見た韓国

 

-10月11~13日、韓国では地球村平和指導者会議(GPLC)が開かれると聞いています。文会長が主催されると理解していますが。

「2010年、ネパール、インドネシア、パラグアイ、そしてケニアで開催される大陸単位のGPF行事の出帆式になるでしょう。私がケニアの大統領をその時、韓国大会に来るように招請しました。私達が準備している計画の中の一つは地球村平和共同体開発です。私達はGPF活動のために世界の開発途上国に1970年代の韓国で行われた『セマウル運動』を広報し、韓国政府とパートナーになることを期待しています。GPF財団を通して、これら開発途上国と韓国の指導力を繋げ、実質的な支援をすることができるということでしょう。今回の会議は、全世界に韓国の指導者の真価を見せることができるいい機会となるでしょう」

 

-平和が緊急な国は北朝鮮です。北朝鮮での平和運動はなされませんか?

「当然、北朝鮮でも奉仕プロジェクトを進めています。韓国から北朝鮮に入り奉仕活動を展開してきたほとんど唯一の団体がSFPでしょう。韓国政府と名門大学が一緒に緊密に協力して行っています」

「中国は韓国と南北統一に対してもすでに多くの関心を持っていることでしょう。我が国が一日でも早く国際的外交力を十分に持たなければ、我が国の運命は韓国人ではない他の国の手に渡るでしょう」

-父君は金日成主席との会談をなされましたが…金正一委員長に会いたいお考えはありませんか?

「(強い口調で) そのような時代が恐らく来るでしょう」

 

-文総裁はUNに超宗教議会を設置しようと主張しておられますが、どの程度、実現可能性があると見ておられますか?

「大変大きなビジョンです。そして、必ずなさなければならないと考えています。父が願う程度ではないですが、UNはすでにこのような類型の会議を作るための作業をしています。(笑いながら)恐らく朴記者の生涯にそれが実現されるのを見ることが出来ると思います」

 

-何か進行状況を知っておられるようですね。

「それ以上は私がこの場でお話することは出来ません。申し訳ありません」

 

-文総裁が推進中の韓国と日本の海底トンネルプロジェクトはやはり世界の関心を集めています。やはり、どの程度、実現可能性があるとお考えですか?

 

「父が時代を先駆けた人であったということは認めなければなりません。すでに30年前にこのプロジェクトの構想を紹介されました。1980年に調査のための探求トンネルに投資もしましたが、その時、当時の技術では出来ませんでした。これが実際に現実となるためには韓国と日本間により円満な協力がなされなければなりません。国際領土管轄権のために民間企業や個人が単独ではできないことです。まさにこのような理由のためにGPFのやることに韓国は注目しなければなりません。私が行く国ごとに、このような国際的なプロジェクトを進行させるための要求を該当国家の政府に要請できるためです。いつかは韓国で大陸単位のGPFを開催し、中国、可能であれば北朝鮮、そして日本の指導者らを招請したいです。今回、10月、韓国で開かれる大会に注目してください」

 

-40代グローバルリーダーとして様々な国家指導者に会い、世界を駆け巡っておられます。外から見た韓国はどうでしょうか?

 

「若い世代が国内問題にだけ関心を注いでいるというのは残念なことです。中国は韓国と南北統一に対してもすでに多くの関心を持っているでしょう。我が国が一日も早く国際的外交力を十分に備えなければ、我が国の運命は韓国人でない他の国の手に渡ることになるでしょう」

インタビューの最後の日の夕方、文会長夫婦は<月刊中央>取材チームを夕食の場に招待した。補佐官はシアトルのダウンタウン街の静かな韓定食店を予約していたが、文会長がその後、場所を変えた。シアトルの雰囲気を心から味わうことができる海産物レストランだった。予約場所は人たちがざわざわしている真ん中であった。出来なかった取材を終えるには多少落ち着かなかったが、彼は以前の二度のインタビューの時のようにまじめにジェスチャーを交えて最後のインタビューに誠実に応対してくれた。彼は公式的なインタビューが終わった後、食事を食べて多少下手な韓国語で最後のお願いの言葉をした。

「韓国で …… 私を単純に『文鮮明の息子』とだけみないでくれたらありがたいです。すでに私は父が立てられた世界的ネットワークの基盤の下で…将来成長する世界指導者らと緊密に接触しています。10年、20年後、アフリカ、南米がどのように変わっているか想像して見られましたか」

3日間のリレーインタビューはこのように終わった。文会長は大衆扇動家のように言葉が上手だった。ワシントンDC国会議事堂の前でも演説をしたという彼に「一見、オバマを思い起こさせる」というと笑った。「政治をしたい考えはあるか」と聞くと、首を横にふった。彼が連日強調していた「霊性」が政治と経済、文化を調和させるその上位にある力だということを繰り返し強調し、その霊性を引き出す指導者になることを夢見ている。

家族の話が出るごとに、敏感な反応をしたせいで、統一教の世代交代問題や言論で注目している兄弟間の反目に対して深い質問は投げかけることが出来なかった。父母と兄弟は全て韓国に帰国し、活動をしている現在、アメリカで一人残った彼がどれ程寂しい闘いをしているか、推測でしか感じることができなかったのは、最後まで残念なこととして残った。

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