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1. 文亨進会長の家庭連合世界会長就任の辞

                            2008.4.18

 

 

[編集者注; 録音した資料]

 

お父様、このように就任の賞賛をたくさん受けられる私ではないのに、私は本当に申し訳なくて、どのようにこのような栄光の座に立つことができるのか、真のご父母様にまた、全世界の食口たちに感謝の言葉しか申し上げることはありません。私たち真の家庭の皆が、とても感謝しています。ありがとうござます。

 

私は牧会をしながら、一度日本の東京に行ったのですが、大切な日本の食口の家を訪問しました。その方の家庭訪問をしたのですが、お父さんが少し足が良くないのですが、それでも非常に才能豊かな方で、不動産の社長でした。そして一人しかいなかった娘がお嫁に行き、国際結婚をして、韓国の婿を得るようになりました。

 

私がその婿と少し話していたのですが、その婿が牧師の息子だととても誇りに思っていました。私の妻が、それを聞きながらとても嬉しそうに、私も牧会者の娘でしたと言いました。私はその瞬間ちょっと寂しく思いました。それで私も食口たちに、私も牧師の息子ですが、と言いました。

 

実際、私たちが真の父母様に侍ってお会いする時、今ではもちろん、天正宮の入宮式をし、また、平和の王であられる真の父母様になられ、すべての勝利をされましたが、多くの食口たちも真の父母様と少し離れてお仕えして、牧会者というには、その姿が今は少し遠くに感じるという話をよく聞きました。しかし私が間違いなく信じていることは、私たちの真のお父様と真のお母様は、私達の前ではいつも牧会をしておられるということです。
いつも牧会者として私たちを導いてくださり、もちろん真の父母様になられ、平和の王であられる真のご父母様ですが、常に、16歳の時から、お父様が、北韓の一人一人を伝道しに行かれた時も牧師でしたし、また、お父様が興南監獄に行かれた時も、ダンベリー刑務所行かれた時にも牧師でした。また、お父様が旧本部教会でお母様と一緒にご聖婚を受けられた時も、また、そこでみ言葉を教えて下さった時も、お父様は牧師でした。また、お父様はアメリカに行かれても牧師でしたし、勝共運動をされた時も、金日成に会われた時も、牧師として会いに行かれました。簡単に言えば、お父様がすべての勝利をされた時は牧師として、真の父母様、牧師として、そのような勝利的基盤を築いてくださったことを、より深く感じるようになりました。

 

今でもお父様におかれましては、毎日2時に起き、条件を捧げ訓読会に参加され、毎日食口たちを指導し、このようにされることを見た時、今でも私たちをこのように導いて下さり、実際に牧師として、私たちを、もちろん親ですが、それでも私たちを継続的に成長させ、導いて下さる父母の役割をされる時、私は個人的に言えば、お父様の牧会の伝統がいかに大切か、またしても深く感じるようになります。

 

私が牧会を始める栄光があった時、私たちはお父様に一度尋ねてみました。お父様、私はどうすればよいでしょうか、と一度聞いてみましたが、お父様は一言だけ答えて下さいました。条件を沢山立てなさいと言われました。

 

私が昨日お父様と一日中、貴重な時間を過ごしながら、お父様が私に二つの大きな教えを与えてくださいました。

一つ目は、心配し過ぎてはいけない、と言われました。多くの人が助けてくれるのだと、おっしゃいました。

また、二つ目は、条件を続けてたくさん捧げなさい。条件をささげる時、私たちはより謙虚になり、特に私たちの立場は傲慢になる可能性が大きすぎるので、条件を立てなければならないし、私たちは、神様の前で真の父母様の前で私たちのアイデンティティー、はっきりと私は誰なのか、はっきりと悟ることができ、私は真の父母様の道具で、真の父母様をお助けする手と足だと、またしても分かることができることを教えていただきました。

 

私は、そのことを確実に信じています。私たちが精誠を捧げたり、牧会をする時はもちろん、礼拝をしたり、今では事務をする時までも、おそらくそうでなければならないはずですが、お父様がいつも精誠が中心だとおっしゃられるので、条件を続けています。朝に特別に私達が短い間、牧会することができるこのような機会ができて、私は父母様にとても感謝しています。私はこのように個人的に自分を見た時、私の使命は、実際にここで牧会することだととても感じるようになりました。

 

私がこうして多くの牧師に会った時、あまりにも多くの感動を受けました。統一教会の牧師たちがどれだけ苦労し、また、素晴らしい方々とたくさん因縁を結び、またそのような方々の活動を見た時、あまりにも、あまりにも感動いたしました。

 

私たちの教会で牧会者ということは、模範的か、それとも情熱的か、それとも、より大きな権力を握ることもできますが、私たちに特別にお父様が教えてくださった牧会は中心が非常に簡単でした。簡単に言えば、牧会というのは、神様と真の父母様の愛を伝達してあげる、そのような人だというのです。だから本当に簡単です。本当に私たちは牧師として、真の父母様の愛と真の神様の愛を与えることができない場合、牧会は非常に難しいと思います。簡単に言えば、他の人たちのために、自分を忘れて他の人の本心を信じて、他の人が私を傷つけても同感して許すことのできる、またそのような忍耐を持って、これからの道が暗くても、神様と真の父母が私たちを導いてくださることを確かに明らかに信じていくことが本当の牧会だと思うようになりました。

 

私が信じることは、私たちの教会が成功を続けるためには、私たちの多くの牧師たちが、牧師としての立場で、食口たちをたくさん愛してあげなければいけないと思います。食口たちをたくさん愛することができ、食口たちをお迎えすることができれば、その方々が、その多くの食口たちが真の父母様を十倍百倍千倍よりよく仕えることができると考えています。私たちは、食口たちが私たちの牧師という位置のゆえに、牧師たちに仕えるのではなく、我々がより低い位置に降りて、食口たちに侍り、その方々を真の父母様の前により大きな孝子として作ることができるようになる、そういうことだと思うようになりました。

 

今日、私が考えた時、ご父母様の牧会のその秘密は何なのかと考えた時、とても簡単だと感じました。愛をもって出て、条件を捧げながら真の父母様の前で、そして食口たちの前で、誰かの前にいても傲慢にならないで、また、お父様が私に教えて下さったように、将来について心配せずに、真の神様と真のご父母様が私たちを導いて下さることを確実に知っていくことが牧会の秘密だと考えるようになりました。

 

私は、牧会というのが私とよく合うと思います。私が宗教生活を好み、このような祈りの生活、こうして人々と会ってこのようにする事、一般の人と会うことが大好きです。家庭訪問も、私に一番の感動が多く、牧会をしながら、家庭訪問をしながら、その祝福家庭たち、一家族一家族に会った時、あまりにもあまりにも感動が、あまりにも説明もできない感動を感じます。

 

それでも、牧会というだけでは十分ではないと理解しています。特に私が、もし世界を見なければならず、また、韓国の協会長としてたたなければならないとすれば、牧会だけをしながらでは十分ではないことを確実に理解しています。私もちろん、礼拝を捧げ、み言も書き、また研究をして、真の父母様の御言葉を研究して、食口たちと働くことは私にとって大きな幸せです。それが私に一番合うものだと考えていますが、真の父母様はそれを確実に知っておられるので、特別に私たちの家庭では、私をたくさん助けてあげなさいと言われました。特別に愛している貴重な国進お兄さんたちに、特別に弟を助けてあげなさいと。国進お兄さんは、誰もが認めることができる天才的能力があり、特別な組織の天才的なマインドあるので、お父様が国進お兄さんと財団に移動した副協会長と一緒に、私たちの教会組織をより強固に作り、より光り輝く教会、ますます進むことができるように大きな使命を、大きな仕事を任せていただきました。国進お兄さんは私たちの家庭のために常に働いて、本当に情のある人です。お兄さんは情が多いので、よく泣くし、とても兄弟を…お兄さんはとても素晴らしい、弟としてとても誇りに思っています。本当に誇りに思います。

 

私たちのすべての決裁は、一人の利益のためにするのではなく、すべての家族と全食口たちのために恩恵のための結晶を、私たちは結晶を作ります。特に私たちは、決定するときも真のご父母様に報告を差し上げてお父様から許可があった時、私たちは、今後、その決定に従ってまいります。

 

お父様が、真の父母様が、このように子供たちが一緒に働くのを見られると、とてもとても誇りに思われているようです。特に数年前から多くの人が真の家庭が一緒に働くことができないと、真の家庭はとても性格が非常に情熱的なので、ケンカも多くすると思っていますが、私たちは明らかに見せてあげることができます。私たちは一緒に仕事をし、私たちは、これからずっと一緒に仕事をしますし、お父様の真の家庭のその遺産をもっと輝くように作っていきます。

 

私が確実に信じているのは、私達はサムスンと現代の、その2世たちを見て、常に戦い、いつも仲よくできないでいるのに、私たちは違います。私たちの教会は違います。みなさん血統が違います。真の父母様から来たのですから。私たちは、これから真の家庭が一つになる、また、今後さらに一緒に働くような手本を歴史に残します。

 

私は多くのところで、また多くの人々に会う時に、このような話しもたくさん聞きます。なぜ私たちには教会が必要なのか?私たちは、教会は、今はそうではなく、お父様が、世界平和統一家庭連合を作ってくださったので、今は教会ではないと、或いは、今ではもう宗教ではないと言われました。

 

皆さんご存知のように、私は7年の間に宗教を勉強しながら、宗教には、いろいろな内容があります。宗教は常に、いろいろな宗教的な内容があるのですが、儀式、神学、経典、いろいろな超越的な内容があり、様々な特別な教理もあり、そのような組織もあり、いろいろあります。簡単に言えば、私たちにもそのような内容が全てあります。私たちは経典もあって、私たちは儀式もあって、私たちは神学もあって、私たちは仕える中心である真のご父母様がおられます。私たちは、私たちの口で私たちは宗教ではないと言っても、宗教学者たちが、また世界が私たちを見たとき私たちは明らかに宗教だと言います。そのような立場で私たちは、もし経典の部分を抜かした場合、それでは私たちと社会運動と何が違うというのでしょうか?そうすれば私たちは、宗教的な内容を除けば真の父母様の説明もできないし、原理講論も何も意味がないし、真のご父母様とメシアという自体も意味ないし、それでは私たちがサムスンや、そういう社会運動と何が違うというのですか?

 

そうではありません。皆さん、私たちは明らかに神学があり、私たちは明らかに原理講論があり、お父様のみ言もあって、お父様が実際にここにおられ生活しておられ、私たちは明らかにそのような教会をより強固に作らなければなりません。私たちの教会をより発展させていき、より多くの人々が実際に真の父母様に仕えることができるように我々がしなければいけないと私は信じています。

 

私がその家族と、日本の東京の家族との時間を少し過ごしながら、そのお父さんのお父さんに会った時に、そのお父さんの足が悪く、また様々に肉体的に大変なのに、とても肯定的な方でした。あまりにも肯定的な方で、自分の娘と自分の義理の息子がとても尊重すると言っておりました。私がその方にどうしてこのように肉体的に大変で、足がこのように麻痺してしまっているのに、どうしてこのように肯定的で、このように幸せで、どのようにしてこんなに美しい環境を作ることが出来るのかと聞いてみました。

 

その方の答えは一つしかありませんでした。その答えがまさに、私は真の父母様を信じるので、このように生きることができます、と言われました。その家族は真のご父母様にとても感謝していました。私がその日にその家族と別れながら、私の心はとても痛く、再び新たに生まれかえったような感覚が残っていました。

 

私たちは何をしても、私たちはどんな仕事をしても、私たちは、自分たちのためにするのではない、真の父母様がおられるので私たちがすべての勝利を得ることができ、真の父母様がいらっしゃるから、私たちは、今後、より多くの勝利もあるし、真の父母様がいらっしゃるため、我々は明確な輝かしい歴史を創ることができる。

 

私はそのことをはっきりと信じ、それで願いが一つあるのですが、簡単に言えば、私たちはこれからも、 2世や3世たちが、統一教会信者であることを誇りに思うことが出来る、そのような教会を作っていかなければならないという願いを持っています。2世や3世たちがこれから、真の父母様、私は統一教会信者であることを誇りに思います、社会の前にこれを表わすことができ、学校に登録した時、宗教は何かと尋ねられたとき、キリスト教プロテスタントとか、キリスト教でなければ無宗教だと書かないで、統一教会員と書いて、そんな日が確実に、私は真の父母様を、億代万代お父様をたたえることが出来る、お父様、お母様をたたえられるような教会を作って行きましょう。霊界にいらっしゃる孝進お兄さんも興進お兄さんも栄進お兄さんも、私たち真の家庭が一緒に行く驚くほど素晴らしい役事が起こることは確実です。

 

皆さん一緒に、真の父母様に大きな栄光を、すべての栄光をお返ししながら、真の父母様に大きな拍手を捧げましょう。

 

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