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2. 私は今でも絶対的な信念と信仰を持っている

 

お父様がこの場におられたならば

どれほどお喜びになられただろうか

イベント会場の中で

このえに囚われ

中でお父様に侍りました。

はその息子です。

どこにこうが私

お父様とごするでしょう。

ケニアで開催された第2回GPC(地球村平和会議)開幕式を成功裡に終えた翌日の訓読会で、文顯進会長は所感をこのように表明し、この行事を神様の摂理史的な大勝利であり真の父母様の偉大な勝利として祝賀申し上げようと語られました。

文顯進会長は 2010年のGPFの活動の為に去る2月から11月まで世界各地を訪問し、各国のトップと最高指導者たちに神様を中心とした真の平和のビジョンを植え付けてきました。時には幾多の大衆に向かって、時には危険な紛争地域と汚染地域を自ら訪れて疎外された人々と自然を相手に希望のメッセージと暖かい真の愛を伝えました。

毎朝静寂の中で進行される訓読会は、文会長が率いる摂理的活動の霊的求心点でした。彼は訓読会を通じてもう一つのメッセージを祝福家庭と平和大使たちに伝えてきましたが、これは真の父母様に伝達されることを願う息子の消息でもありました。

地球村の各地持たれ訓読会で文顯進会長えたメッセジの内容の一部整理して食口の皆さんと共に分かち合おうと思います。(整理:金慶孝)

 

 

ネパールNEPAL

 

は今もまだ神聖責任感っています。もし万が一自分をかける「恨」があっても、それを果たそうと思います。私がブラジルで2時間にわたりみ言葉を語った内容を僅か8分のビデオに作った人々は、私を暴力的な指導者として罵倒しながら私がお父様の元に行く道を遮断するつもりかも知れませんが、彼らは私の心と意志をくじくことはできないでしょう。私はネパールに行く途中にバンコクで偶然に以前カープと UPF活動を共にしたタイの指導者と同じ飛行機に乗るようになりました。妻は私の手を掴み引っ張りましたが、私は彼の前をそのまま通り過ぎませんでした。気づかないふりをして機内に入ることもできましたが、私はそうしませんでした。彼が悟れないことがあるのなら、たとえ短い瞬間だとしても知らせたかったのです。

私がブラジルでS会長に本当に個人的な恨みがあったり殴りたい心があったなら、それぐらいで終わらせはしなかったはずです。私は過去に武術訓練も積み、今でも数十キロのリュックサックを担いで険しい山を上り下りする人です。私が彼を背を向けないで声を掛け、厳しい辛口の指導をしたのは、彼が摂理的な責任者だったからです。彼を他人とは見ず兄弟として見たからです。たとえ彼らが今はあのようにしているとしても、私は彼のために祈っています。

たちがめているビジョンや大志(aspiration)原理価値などは全てこの平和メッセジと連結されているのです後天時代のモデル国家てなければならないとすれば、そのがどこにあるにせよ原理基づかなければならず、そのがどのような会であれ摂理に整列され、摂理的なビジョンをわすことができるでなければなりません。このようなビジョンに先ず皆さんが主人になるよう願います。今日どのような行事が進行されようとも、心配しないでください。今回の行事は種蒔きです。この行事の後にネパールの全地域を訪問し、特に若者達に「神様の下の一家族」のビジョンを伝え、このビジョンへの情熱を植え、原理と価値を教育してください。この国が新しく出発する時に霊的なビジョンがどれほど重要であるかを悟らせてください。

自分自身信仰活動の為にさんにめるのは読家庭教会です。これはくべき摂理戦略です訓読家庭教会では全ての祝福中心家庭が指導者になり牧師になるのです。お父様はこの方向に行かなければならないと相当以前から語ってこられました。私はカープを通じて若い食口たちを指導する時、信仰的な側面から見ると、彼らが窮極的に訓読家庭教会の指導者になることを望みました。

パラグアイPARAGUAY

昨日の晩餐会場で私は4ヶ国から訪ねて来た4名の前職大統領たちと一緒に座っていました。パラグアイの現職副統領夫妻も同席しました。彼らはどうしてこの行事に参加したのですか。私たちがお金で彼らを招待したと思いますか。皆さんはどうしてここにいますか。皆さんがここへ来たことが本当に絶対服従の規律を破った大きな犯罪になりますか。皆さんは教会のメンバーですか、それとも神様の真の家庭の一員ですか。私は皆さんに明らかに申し上げることができます。教会の食口としてさんを探してたのではなく、家庭一員としてさんのっています。もし現在統一教会のみ旨と摂理整列されていたなら、対信仰対愛対服従でそのに従うでしょう。しかし、そうでないなら、統一教会うよりも、のみ旨のに順従するぶでしょう

私たちが 30年、40年をみ旨の前に献身してきた動機は何でしたか。それは統一家において真実と正義、真の原理と価値、そして神様の摂理が生きていたからでした。

私は以前、統一教会は真理を探し求める運動だと思っていました。堕落した世の中において真の家庭理想を悟って進んでいく真理運動だったので、ここに同参する人々は探し出された真理を中心として良心のとおりに生きようとし、正義を追い求めて来た人々だと思っていました。そして、統一教会は蕩減復帰歴史がそうであったように、原理の前に従順の道理を守ってきたものと思っていました。私は統一教会が為に生きていく真の愛の価値を最も大切に実践するものと思いました。怨讐さえも愛して抱く真の愛の貴い価値は、お父様が最も率先して実践してこられた伝統でした。私は統一教会を最も貴重に見たのは、真実と正義を追い求め原理と価値を守ってきたという段階からもう一歩進んで、神様の摂理を成し遂げようとする人々が集まった組職だからでした。このために世の中がいくら私たちを反対しても明確なアイデンティティを持つことができました。

ところで、今日の統一教会の姿はどうですか。依然として真実と正義のみを追求する姿がありますか。破壊と審判ではなく、赦しと愛が生きている所ですか。神様の摂理の方向に正しく整列されていますか。

私が何故この国へ来ましたか。この国は南米の中心であり、ちょうど子宮のような存在です。私がパラグアイが好きになったのは、人口の半分が 30歳以下の若者達だからです。この国が好きなもう一つの理由は、インディオ文化と西洋文化が国の中に調和しながら定着しているからです。私がパラグアイが好きな最も重要な理由は、この国が信仰を重視する国だからです。このような背景があるので、パラグアイにはインディアン、スパニッシュ、ドイツ系白人などの多様な民族が定住しています。特にメノナイト(キリスト教メノー派の人々)を見ると、彼らは宗教の自由を求めてこの地にやって来てチャコに定着しました。このような背景から見ると、この国は南米の中心になることができる土台を持っているのです。

神様は神秘的に動かれるお方だということが感じられます。2008年に私がパラグアイへ来た時には私たちの基盤はほとんど奪われてしまいそうな状況でした。ところが、もしこのような危機がなかったら、恐らく私はパラグアイへ来る計画が全くなかったかも知れません。私はこの国に訪ねて来て、失ってしまうところだった私たちの基盤を再び取り戻しました。しかし、そのことはそれほど重要ではありません。がこのて最も重要視したことは、神様の下の一家族えることでした。このだけではなく、南米圏全体の為に種をえました

これからこの国を動かす為に最高レベルの指導者たちを教育するだけでなく、若者達を動かさなければなりません。そのようになれば国を動かすのは時間の問題です。若者達を動かすのに皆さんが先頭立ってくれるよう願います。

 

 

ケニアKENYA

私は今も絶対的な信念と信頼、従順の道理から神様の理想に従っています。私が変わったことは一つもありません。人々が私を統一教会の信徒として規定しようが、さもなければこれ以上必要ないとして私を教会から放逐しようが、私の心と基準はそれと何らの関係もなく変わることがないのです。私のお父様はあまりにも明らかで卓越したみ言葉を下さいました。お父様は統一教会時代が終わったと明らかに語っておられ、それは摂理的にその時代が過ぎ去ったためでした。その時代が過ぎ去ったためにお父様は統一教会時代を終了し、家庭連合時代を開いたのです。

 お父様生涯通してご自身ではなくに栄光を帰してこられたでした平和メッセジを始めとするお父様の全てのえは、摂理中心であること明確にしていますですから、ご自身の生涯において最も感激的な瞬間は 2001年1月13日の、歴史的にしこりを残してきた神様の恨を解放させてさしあげた神様王権即位式行事でした。この姿が神様のみ旨を成し遂げてさしあげようとする真のアダム、真の息子の姿です。ところで、その同じ方がある日、縦的な摂理の軸とは関係ない教会組職にだけ関心のある方として映し出されているとしたら、この状況をどのように理解すべきでしょうか。真の父母様を通して守られてきた神様のみ旨と摂理的な基準と期待が変わったということですか。

私は命をかけることのできる人です。たとえ私が家族と兄弟から破壊者として追われ審判されるかも知れないとしても、私は神様のみ旨と理想を成し遂げるチャンピオンになる道を行くでしょう。神様と真の父母様、真の家庭の縦的な伝統と期待を必ず守り抜くでしょう。これが私の信念と同時に確信です。このために私は開拓と荒野の道を歩んでいくでしょう。

私は 2007年を出発しながら、お父様の指示を受けてアメリカのキリスト教教会を巡回しました。私が「神様の下の一家族」を一つのモットーにして進んだのは正にその時からです。私は当時最初の訪問先であるロサンジェルスのキリスト教の教会でこの言葉を初めて使いました。その所には多くの宗教と教派から訪ねて来た宗教指導者たちが集まっていました。私は5分あまりも言葉を忘れて聴衆たちを眺めていました。そして、その場にいた一人一人と共に神様の下の一家族を叫び進んだのです。このみ言葉の中には神様の摂理を実体化する革新的な内容が全て入っています。お父様が生涯をかけて残した数百巻のみ言葉の内容を一言で整理する時、これほど正確な表現が他に何処にあるでしょうか。

私はケニア政府が見せてくれた小さな措置に対し大きな感動を受けました。ケニアとエチオピアの大統領が GPC 国際会議場に入場する際、大統領警護要員たちは国家儀典に従って私が傍らに離れて入場するのを望みました。ところが、これに気づいたキバキ(ケニア)大統領は警護員たちの行動を制止し、私がお二人と並んで入場するように配慮してくれました。大統領がこの行事の価値をどれほど重要に思っているのかを見せてくれたのです。その方は行事場所の最前列にケニア政府の全ての長官と次官たちを参加させました。壇上には大統領だけでなく首相、副統領まで一緒に座っていました。単一の行事に、それも非営利団体(NGO)が主管した行事に政府の全指導者たちが同席した例はケニアの歴史になかったのです。与党と野党の両代表指導者が神様の下の一家族の理想とビジョンを中心として一つになっていることを見せてくれた歴史的な瞬間でした。

アフリカを初めて訪問した時、私は自然の豊かさと美しさに魅了されました。しかし、アフリカの人々は依然として困難に苦しんでいます。それは即ちリーダーシップにおいてアフリカを導くことができる適合した方向性において解決しなければならない課題が多いということを意味しています。このような立場からは今回の行事(GPC)歴史的なものと認識しています国家次元み旨と理想が新たに定着する記念碑的でした。もしお権力ではなく徳的革新的のリーダーシップによってこのが導かれるなら、ケニアは新たに誕生するようになるであろうし世界の権力中心であるアメリカさえもくようになるかも知れません。

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[1] この内容は顯進様が2010年にGPF世界巡回をしながら訓読会中に発表したメッセージを整理したものである。

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