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8.文國進理事長のフリーダム・ソサエティー批判

 

1.お父様のみ言から見た天一

原理とお父様のみ言から見ると、天一国の理想は、少なくとも以下のような内容を備えなければならない。先ず、真のお父様は、家庭盟誓が天一国の憲法であると語られた。即ち、天一国で最も重要であり、天一国の民法や刑法を含めた全ての法律を作る基礎になるものが家庭盟誓である。

 

家庭盟誓は「天一国主人」として「真の愛」を天一国国民の基本としなければならない。家庭盟誓の8つの項目全てにあることから分かるように、「天一国主人」と「真の愛」ほど重要な内容はないということである。第2章では「真の父母様に侍り」天一国の主人である国民が「天宙の代表的家庭」と「中心的家庭」となって「孝子」「忠臣」「聖人」「聖子」の「家庭の道理を完成」しなければならないとし、第3章では天一国の家庭は「四大心情圏と三大王権と皇族圏を完成」しなければならないとしている。天一国の国民各自が、理想家庭を完成して真の父母様を中心とした真の家庭の皇族になるという意味である。そして第4章では、天一国の国民全体が真の家庭を中心に「天宙大家族を形成して」「自由と平和と統一と幸福の世界を完成」しなければならないとしている。神様を中心とした一家族を成すことだ。ここまで見れば天一国のフレームは、真の父母、真の家庭を中心とした祝福家庭(訓読家庭教会)を中心とする組織構造であることが見える。

 

第5章に入ると、主体である天上世界と対象である地上世界の統一の為に努力しなければならないとなっている。ここで重要な内容は、霊的世界が主体であり、地上世界が対象であるということだ。これは神様の二性性相をモデルとして作られた人間の二性性相をベースに作られたものが霊界と肉界であると考えれば、あまりにも当然の結論である。責任分担から見ると、地上が主体であり、対象が霊界であると見ることもできるが、性相と形状の観点から見ると、霊界が主体であるということは間違いないことであり、霊肉統一の為に生きなければならないというのが第5章である。

第6章では、天一国国民は「神様と真の父母様の代身家庭」となり「天の祝福を周辺に連結させる家庭」とならなければないとし、第7章では「本然の血統と連結された心情文化世界を完成」しなければならないとしている。最後に第8章では「絶対信仰、絶対愛、絶対服従」で「神人愛一体理想を成し遂げ」、「地上天国と天上天国の解放圏と釈放圏を完成」しなければならないとされている。

 

次に 2006年6月13日の天正宮入宮戴冠式の時に語られたみ言(平和メッセージ5)を見ると、天一国の国民が実践躬行しなければならない基本義務と使命について、7つの事項を語られた。これも、天一国を作る時、私たちが重要に考えるべき項目である。

 

その7つの内容を見ると、次のとおりである。1.神様の真の子女として、三大王権と四大心情圏を成し遂げ、神様を縦的な軸として侍り、天宙平和の王を横的軸として奉じて生きなければならない。絶対服従の生き方、為に生きる生き方を人生の標準に立てて、真の家庭を立て、天の血統を完全に保全しなければならない。 2.心と体を統一して生きなければならない。即ち「宇宙主管を願う前に自我主管を完成」を実践しなさいということ。良心を基準とする正午定着的な生き方、絶対服従の道を行かなければならない。3.結婚祝福を受けるように教育しなければならない。4.地上生活は、霊界生活の為、徹底的に準備する生を生きなければならない。5.所有権転換をしなければならない。人類の福祉と平和の為の基金募金活動に参加する為、税金形式ではない寄付による十分の三条を国の前に捧げて生きなければならない。6.環境を保護し愛することができなければならない。自然を愛することにより人格完成、真正な心情文化と芸術世界の花を咲かせなければならない。7.「平和王国警察」と「平和王国軍」の二重的使命を果たす天の密使とならなければならない。

 

そして原理講論を見ると、天一国の形態について語られた部分がある。「神様の創造目的を完成した理想世界」「再臨されるイエス様を中心した地上天国」を共生共栄共義主義社会と規定している。共生共栄共義主義社会の原理型非原理世界が共産主義社会である。共産主義社会が原理型非原理世界というのは、共産主義社会の枠は原理的ではあるが、その中心には神様がいないので、非原理世界であると主張している。何故なら、復帰原理は、常に偽と真の先後の法則によって動いているからである。「サタンが神様に先立って、神様がなさる摂理を真似しながら、原理型の非原理世界を作り出したのである」だから、共生共栄共義主義社会を研究するには、共産主義の原理的な部分がどこにあるのか研究する必要があり、これが天国の姿、即ち、天一国の形態と近い」ということを認識しなければならない。

 

原理講論の後篇第4章第7節(6)「民主主義と社会主義」には以下のように記載されている。

共産主義社会を指向するサタン側の世界において、かく社会主義を唱えるのは当然の主張であるといわざるを得ないのである。なぜなら、その方向と内容とは全然異なるものであるとしても、社会主義的な経済体制に向かって歩んでいこうとする天の側の路程を、サタン側から先んじてつくっていこうとするものだからである。神の創造理想から見るならば、人間に与えられた創造本然の価値においては、彼らの間にいかなる差異もあるはずがない。したがって、神は、あたかも我々人間の父母がその子供たちに対するように、だれにも均等な環境と平等な生活条件とを与えようとされるのである。したがって、生産と分配と消費とは、あたかも、人体における胃腸と心臓と肺臓のように、有機的な関係を保たなければならないから、生産過剰による販路の競争や、不公平な分配によって、全体的な生活目的に支障をきたすような蓄積や消費があってはならない。必要に基づく十分な生産と、過不足のない公平な分配、そして、全体的な目的のための合理的な消費をしなければならないのであり、そのためにちょうど人体における肝臓のように、機能全体の円滑な活動のために、適宜な貯蓄をしなければならないのである。

 

 人間は、このような理想をもって創造されたので、その理想を復帰し得る摂理歴史の終末期に至り、民主主義的な自由を獲得し、人間の本性を探し求めていくならば、結局、だれもがこのような社会主義的な生活体制を要求せざるを得ないようになるのである。したがって、民意がこのようなものを要求するようになれば、民意による政治も、そのような方向に向かって進まざるを得ないようになるので、最後には、神を中心とする社会主義社会が現れなければならない・・・

 

次に原理講論後篇第5章第3節(2)「三権分立の原理的な意義」を見ると、被造世界は完成した人間一人の構造を見本として創造された。さらには、完成した人間により実現される理想社会もやはり、完成した人間一人の構造と機能に類似するようになっているという。「人体のすべての器官が頭脳の命令によって起動するように、理想社会のすべての機関も神からの命令によってのみ営為されなければならない。また、頭脳からくるすべての命令が、脊髄を中心として末梢神経を通じて四肢五体に伝達されるように、神からの命令は、脊髄に該当するキリストと、キリストを中心とする末梢神経に該当する聖徒たちを通じて、社会全体に漏れなく及ばなければならない」そして、脊髄を中心とする末梢神経は、一つの国家の政党に該当する。即ち、キリストを中心とする聖徒の組織が政党であるというのである。

 

政党は、国家において政治を行う中心勢力であるが、政党の党員は、キリストを信じる聖徒、即ち、原罪を脱いで真の父母様に侍り生きる祝福家庭でなければならないというみ言である。

 

国家権力を分散させる為に 18世紀に開発された立法・司法・行政の三権分立については、この三権は人間の肺と心臓と胃の3臓器に該当し「政党に該当するキリストを中心とする信徒たちを通じて伝達される神の命令によって、お互いに原理的な授受の関係を結ばなければならない」とされている。2000年代に至ってお父様が語られたみ言では、三権ではなく言論と金融権を含んだ五権であると語られるが、この五権が完成した人間の構造、機能と同様に、キリストを中心とした政党を通じて伝達される神様の命令に従って、授受関係を結ばなければならない。また、肝臓の役割として「全身のために栄養を貯蔵するように、理想社会においても、常に全体的な目的達成のために必要な貯蓄をしなければならない[1]と言及している。

 

このように、今日の民主主義政治は、三権が分立されて政党ができることによって、人体の構造に似るようになっているが、それはあくまでも復帰されていない堕落人間の姿であると主張している。しかし、もし国家の憲法が神様のみ言によって作られ、完全に中樞神経をつなぐようになれば、神様のみ旨を中心とした本然の機能を発揮することができるという。これは民主主義体制の中でも三権分立や政党などの天一国を成し遂げる為に、参考にすべき内容であるということを語っておられるものと考えられる。

 

以上は、家庭盟誓と平和メッセージと原理講論から、私たちがこれから作らなければならない天一国についてのみ言を捜してみたものだ。ここに 2006年度のUPF創設大会の時にお父様が強調されたアベルUNの構想を抜かすことができない。「既存の国連を改革し、国連の中に世界的宗教指導者によって構成された上院格である平和議会を創設し、既存の安全保障理事会と同等の位置の神様の保護を受ける議決機関として立てなければなりません」[2]

 

このようなみ言の土台の上で、文理事長が主張する「強い大韓民国」に表された天一国の理想について調べてみることにしよう。

 

2.文國進理事長が主張する自由理想世界[3]

 

文理事長の主張は、以下のように要約することができる。

エデンの園にいた神様・アダム・エバ・天使長は、現在では、神様=真の父母様、アダム=男性全体、エバ=女性全体、天使長=政府、特に政府はサタンであると繰り返して主張している。

1.三大祝福を成し遂げる為、神様から自由と責任分担が賦与されたが、堕落することによって自由と責任分担を喪失した。具体的には、歴史のほとんど全期間を、独裁者や専制君主治下で、人間が奴隷として生きてきたのが人類歴史である。

2.一時的には、民主主義社会があったものの持続することができず、人間は独裁者の奴隷としての暮らしをしなければならなかった。民主主義は、地上主義に陥って、結局は独裁体制に変わった。

3.エデンの園にいた神様、アダム、エバ、天使長は、今日、神様は真の父母様、アダムは男性全体、エバは女性全体、天使長は政府として現れた。[4]
4.歴史的に政府は人々を殺害し、権力を独占してきた。そして政府に関するもう一つの真実は、国民に嘘をついて、すべてのことにおいて、よくしていないということだ。したがって、政府は、最低限の機能だけあれば良い。政府が大きくなると、軍や警察などを用いて、国民を奴隷化する。天国を創建するには、国民が、権力と富、武器の使用まで、すべてのものを所有しなければならない。
5.天一国の平和軍と平和警察の概念は、国民自身が、国境や国の法律を守って維持するため、いつでも兵士や警察となる。天国では、皆が銃を携帯し、公共福祉のために、銃を使用する責任を持つ。国が権力を独占するために軍と警察を提供するのではない。これに対するモデル社会がスイスである。神様は、本来、武器を所持する権利を下さった。万物主管もやはり、武器という手段を通して可能なのである。

6.良心社会は、自己主管社会である。自己主管社会を作る為には、私有財産の保障、自由市場、競争社会の3要素が必要である。現代の世界での「富」は、企業家や商売人がビジネスによって創出したものであって、政府によって作られたものではない。

平和軍の概念は、自由を確保する為には各自が武器を所持しなければならない。武器を所持することにより、武力を持った政府の抑圧から脱することができる。神様が武器を所持する権利を下さった。このモデル社会がスイスである。

7. 神様は地上天国の実現のために自由を下さったが、宗教は自由を破壊して弱体化させる活動をしてきた。宗教が自由を破壊した原因は、宗教が福祉社会国家を作ろうとしたからである。したがって、自由社会は、新たな宗教と再臨主の教えがなければ作ることができない。

 

3.文理事長の自由理想世界する考察

上記の文理事長の各主張に対して、お父様のみ言から見た視覚から評価してみようと思う。

 

エデンの園にいた神様とアダムとエバと天使長に対する解釈は、原理を知る人が語る言葉ではない。お父様のみ言では、アダムとエバが真の父母であり、アダムとエバである真の父母様を中心とした人類大家族社会が、神様が作ろうとした理想世界である。原理講論では、理想社会は完成した人間一人の姿に類似しているとされているが、お父様の最近のみ言では、完成した家庭の姿であるという方が、もっと正確であると思われる。これは、天一国憲法である家庭盟誓を見てもそうであり、人類始祖アダム・エバが勝利したなら、万王の王になったはずであり、この真の父母様を中心とした真の家庭が拡大したものが理想世界であるが、これを再創造する為に、真の父母様が現われたのだ。それゆえ、天一国の基本モデルは真の家庭である。

 

原理を知る統一食口なら、歴史を復帰原理に基づいた歴史観から捉えるものだが、文理事長は、歴史の大半は独裁者による支配から成されたと単純に規定している。復帰原理では、君主社会もメシアを迎える為の国家体制を作る為の一つの摂理的な使命があったと主張する。ところが、人間が責任分担を果たすことができず、君主社会が滅亡して民主社会が生じたとされているが、文理事長は、君主社会を単に悪と断定している。そして、歴史観だけではなく、現場の認識においても、よく理解できていないようだ。武器による政府の国民支配は、或る極限状況においてはそうかも知れないが、今の世界においては、もっと重要な問題があるということを認識できていない。これは、以下に筆者が主張する資本主義によるお金という武器と、宗教団体が作った教理という武器である。この二つの武器から脱することができなければ、人間は真正な自由を得ることができない。

 

原理講論の後篇を見ると、民主主義には、信仰の自由を得る為に闘って勝利した英米を中心としたアベル型民主主義と、フランスで起きた啓蒙思想を中心としたカイン型民主主義があった。啓蒙思想は無神論に基づいたものであることから、フランスにおいて得ようとしたものは、経済的な自由であると見られる。この二つのタイプの民主主義においては、各々自由を得る為に武器を使用したが、何の自由を得る為に武器を使用したのかが問題である。文理事長が主張する自由概念には、この二つの自由概念がない。何故なら、文理事長が今まで取ってきた行動を見ると、信仰の自由を信徒たちに与える政策は見られず、お父様のみ言を悪用して、自分が作った教理を押し立てて、異端者作りを行っており、また、社会主義社会より資本主義社会を非常に好む思想を持っていることは明白だからである。ただ、そこに見られる自由といえば、国家を守る自由ぐらいのようだが、それでは何故国を守る為に国民全体が武器を持たなければならないのか、その理由が不明である。

 

文理事長の主張では、天一国は私有財産と自由市場と競争社会であるということだが、これは、正に資本主義社会の主な特徴である。原理講論では、理想社会は共生共栄共義主義社会であり、社会主義社会と類似した社会であると規定されているが、文理事長は、資本主義社会に近い社会が天一国であると思っている。これも多くの論議が必要な部分である。文理事長は、資本主義社会の問題点に対しては認識できていないようだ。資本主義社会における「武器」はお金だ。お金で人を動かし、お金を持っている人が「王」である。資本主義社会では、正に武器は必要ない。お金さえあれば自由を得ることができるからだ。武器で人を動かすのではなく、お金という「武器」で人を動かす。このような武器の前には自由はない。

 

これは、今の統一教の姿そのままではないのか。資本主義社会では、お金をあげる人が王であり、お金をもらう人に絶対服従を要求する。

 

その次に、宗教が歴史的に恐ろしいという点では、資本主義社会を超えている。資本主義社会は、お金で人を奴隷にするが、宗教は、教理を武器にして信仰の対象に対する絶対服従を正当化させ、信仰の対象に対し絶対服従しない者は、異端者として破門することができる。一つの信仰を持っている者として、何よりも恐ろしいことが、異分子として破門されることであることは、キリスト教の歴史を見れば分かる。破門は、地獄行きとされるため、経済的貧困よりも恐ろしい罰である。それゆえ、同じ信仰を持っている者は、異端者として追い出されることを恐れるので、その教理の枠の中から脱することが非常に難しい。何故なら、信仰を持っている者として信仰集団から脱するということは、経済的貧困より恐ろしい地獄に行くという、地獄宣言をされることを意味するからである。宗教の恐怖の本質は、福祉社会ではなく、教理を利用した利己主義であり、信仰者にとっては、お金を一銭も使わなくても、奴隷にすることができる力強い武器となるのだ。

 

そして、もっと重要なことは、武器は目的ではなく手段であるという点だ。手段であるため、武器が必要な時もあるが、必ずしも必要なものではない。政府の抑圧から脱する為に武器がなければならないという単純論理を文理事長は展開しているが、民主社会では、武器があっても民心を得ることができなければ無用の長物となる。この事実は、先進化された社会であればあるほど成り立ち、民心が反発すれば政府も身動きできないことは、韓国でも見られているのではないか。発展途上国や、宗教が国家を支配する国では、未だに、武器による圧政が見られるが、民主化された先進国では、民心を集めた示威行為ほど恐ろしい武器はない。

 

それゆえ、天一国に必要な条件としては、この二つの武器(お金と教権)から脱する為の体制が必須である。その一つは、経済的自由を得る為の社会主義的な体制、即ち、共生共栄共義主義社会の構築であり、もう一つは、人権、特に宗教の自由である。歴史の発展史は、内的には、メシアを迎える為の摂理歴史であり、外的に見ると、全ての人類が豊かに暮らせる体系を作る為の努力であったと見られるが、これは、正に共生共栄共義主義社会、即ち、社会主義社会の原理型原理社会に他ならないことは、理論的にも理解しやすい観点である。そして、歴史的に民主主義が作られる時、神様の活動舞台となった米国と英国のアベル型民主主義が成立した根本動機が、経済的自由ではなく信仰の自由にあるということ、そして、米国憲法を始め、全ての先進国の憲法にある信仰の自由が、摂理的にも歴史的にも、どれほど重要な意味を持っているのかを認識しなければならない。

 

もしこの二つの自由が私達の教会にあるなら、文理事長のような無茶な主張をする人がいたとしても、自由に反駁することができる。しかし、真の子女という一言、財団理事長という職責のゆえ、全ての食口が、無辜の苦痛に遭わなければならないのだ。

 

それゆえ、統一教が天一国を作るならば、どれほどお金という武器と宗教的教理という武器から人類を解放することができるのか、それに対する返答をしなければならない。目に見える武器よりも、目に見えない武器ほど恐ろしい武器はない。しかし文理事長は、この二つの武器の味を充分に味わってきただけに、絶対にこれを放棄しないだろう。即ち、文理事長が作ろうとする天一国は、絶対に自由が保障される社会にはならないという結論が出る。

 

4天一

それでは、天一国はどういう形態となるべきか、もう一度考えてみることにしよう。

先ず、天一国理想を創る為の前提として、真の父母様と真の家庭を中心とした国家体制となるべきだが、この前提が、今、完全に崩れた状態である。お父様は、真の子女を中心とした12支派を作ると語られたが、今の状況で従う子女様が何人いるだろうか。それでも、お父様は血統の重要性を放棄なされないだろうし、血統を無視した天一国は、根元から壊れてしまう。そういうことで文理事長や文亨進世界会長のように、論理的な思考がほとんど不可能で、独裁者の味を数年間も味わってきた方々は、検証されていない理論を、疑うことを知らない信徒たちの前に自信ありげに主張する。仁進様は言うに及ばず、今の教権を掌握しているこの二人を、天一国時代に、今後、どのようにして世の中に立てることができるのか疑わざるを得ない。こういう観点を総合してみると、統一教の最後の救援投手は、唯一、ヤコブ家庭から捨てられたヨセフのような境遇となった文顯進会長しかいないという結論が出る。ヨセフがエジプトで首相となり、ヤコブ家庭をヨセフの前に自然屈服させたように、顯進様も血統によってのみ認められるのではなく、本人の実力と実績によって、真の家庭の威信を聳え立たせる存在になることができる環境が益々準備されつつあるようだ。また思想面では、文理事長は資本主義を立ててお金の奴隷を作る社会を主張するのに比べ、文顯進会長は、英米を神様が祝福して下さった根本原因、即ち、信仰の自由の為に闘ったことに焦点を合わせ、信仰の自由と人権こそが、重要な要素であると見ている。

 

5結論

文理事長の自由理想社会理論は、一言で、武器(力)による自由理想世界であるが、これでは真の自由理想社会を建設することができない。また、経済的自由を拘束する資本主義社会が天一国だと主張して、食口を宗教の奴隷とする現統一教のシステムではなおさら不可能な夢である。この社会は、文理事長が考えているより、はるかに先を行っているため、すべての統一教信徒が強力な武器を持っていたとしても、この問題は絶対に解決できない。

 


[1] 原理講論・後論第5章第3節(2)「三権分立の原理的意義」より抜粋

[2] 2006年10月14日、第5回モンゴル斑点同族世界平和連合の総会でのみ言(平和メッセージ8)

[3]文理事長の自由理想世界に対する講演文(欧州でしたもの)を参考にして政府がサタンであるという言葉は、最近、韓国ソウル市内の江北教区で文理事長が行った「強い大韓民国」の講演で強調された内容。欧州での講演でも「政府はサタンである」という演説をしたと言われているが、講演文原文による確認が必要。

[4] 文理事長は、ソウル江北教区で強い大韓民国講演中、政府をサタンとして発言。

 

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