RSS

3. 誰が異端破壊者なのか(1)-世界平和統一聖殿 天福宮

 

 

「故に、石板と幕屋と契約の箱は、イスラエルが不信に陥ったので、彼等を救う為の一つの方便として下さったものなのであった。幕屋はイエスと聖霊の象徴的な表示体であるから、聖殿(神殿)を建てる時まで必要だったのであり、聖殿(神殿)はイエスと聖霊の形象的な表示体であるから、実体の聖殿(神殿)であられるメシヤが降臨されるときまで必要だったのである。[1]」

復帰摂理原理によると、幕屋はメシヤの象徴的な表示体であり、聖殿はメシヤの形象的な表示体として実体メシヤが降臨されるまで必要なのである。.

モーセとヨシュアを中心した民族的カナン復帰路程において神様がイスラエルの民に幕屋と聖殿を下さった理由は、もしも中心人物が失敗しても、ちょうどリレー競技でバトンを受け継いでいくように、幕屋と聖殿を不変の信仰の対象としてイスラエルの民と他の中心人物が奉ずるようになれば、それを条件として摂理を導いていく為の摂理の方便であった。幕屋と聖殿が臨んだということは、メシヤが象徴的に形象的に降臨したということであり、これが必要な期間は実体メシヤが降臨される以前までなのである[2]。

イエス様は二千年前に降臨され、霊的に世界的カナン復帰を成し遂げられた。その再臨の理想を持って降臨し勝利した再臨メシヤである真の父母・平和の王が地上に誕生され再臨摂理が始められてから既に 90年余りが経過した。

新約・旧約は勿論、蕩減復帰摂理の終結[3]に引き続き成約時代[4]までも既に完結されている。実体の神様であられる真の父母様が直接主管圏摂理として天宙平和統一王国(天一国)を創建され王として登極なさり[5]、 2013年1月13日の最終的な基元節を目前に控えている。 それにも拘らず、この時点でも未だに聖殿摂理が必要であると主張する一団の群れが出現した。

統一教の文享進会長、統一教財団の文國進理事長、そして天福宮建築推進本部が2008年から 2010年の間に発表した資料と公文によると、世界平和統一聖殿・天福宮は、第一には蘇生期のソロモン王の第1聖殿理想と長成期のゼルバベルの再建による第2のエルサレム聖殿理想の二度にわたり失敗した聖殿理想を完成する為の完成期の第3聖殿理想であり、第二には統一教を中心に再臨復活による宗教統一を成し遂げる聖殿であり、第三にはアベル国連と同時にその理想を実現する拠点であり、第四に天正宮を至聖所、天福宮を聖所として天一国実現に向けた全世界の統一教徒と摂理機関諸団体が最も重点的に成し遂げなければならない核心の摂理であると語った[6]。

完成期の第3聖殿、天福宮

統一教の文享進会長、統一教財団の文國進理事長、そして天福宮建築推進本部はソロモン王の第1聖殿は蘇生期であり、ゼルバベルの第2聖殿は長成期であり、旧約イスラエル時代の二つの聖殿摂理が失敗したので、これを成し遂げる為の完成聖殿として世界平和統一聖殿・天福宮を建立しなければならないと語った。

彼らは原理の基礎的な理解が無い人たちである。創造原理によると、蘇生・長成・完成は人間を始め全ての被造万物の成長期間を言うものである。蘇生が失敗すれば長成が無く、蘇生・長成が失敗すれば完成もあり得ないのである。幼子がちゃんと成長するのに失敗すると、少年期も壮年期も老年期もあり得ないのと同じ原理である。

復帰摂理原理によると、長成期完成級でアダム・エバが堕落するや、その堕落した子孫たちが復帰の為に出発した地点は長成期完成級ではない。成長過程の原点である蘇生期蘇生級よりも低い無原理圏から始めた。第1次摂理が失敗することで加重された蕩減条件により出発原点よりさらに低い、万物よりも劣る位置から人間の救援摂理が始まった。

蘇生期が失敗したにも拘らず長成期が出発し、蘇生・長成が失敗したにも拘らず完成摂理が出発できるのではない。出発した原点よりも、却って加重された蕩減条件によってさらに低い位置から出発するのが復帰原理である。原理には値引きがないというのが、神様と真の父母様のみ言であると同時に峻厳なる天法である。

それにも拘らず彼らは蘇生期の第1聖殿、長成期の第2聖殿が失敗したから完成期の第3聖殿が必要であるという非原理的な論理を世界平和統一聖殿・天福宮建築事業に付け加えている。

文享進会長と文國進理事長は蘇生・長成・完成という3段階の成長期間を意味する単語が極めて好きなようである。特に文享進統一教会長は蘇生期の世界基督教統一神霊協会、長成期の世界平和統一家庭連合、完成期の統一教と言いながら、蘇生期の統一教会はキリスト教と一つになることに失敗し、長成期の家庭連合は統一教会に対する自負心が不足して名前を隠す為に設立したと語っている[7]。

これまた創造原理や復帰原理の原則に合わない話である。蘇生期で勝利した土台の上に長成期、長成期で勝利した基台の上に完成期の摂理が進行され得る。失敗した蘇生摂理、欺満的な長成摂理の基台の上に完成期の統一教の摂理を出発するというのは、原理的に成立し得ない虚構の論理に過ぎない。原理に対する理解が如何に浅いかが窺える事例である。

彼らが主張するとおり完成期の第3聖殿が必要であると仮定してみよう。そうすると摂理史から鑑みて、第3聖殿は再臨メシヤを迎える為のものであるが、これは当然ながら再臨主を二千年間待望してきた第2イスラエル選民であるクリスチャンの摂理的な責任である。

キリスト教徒たちが建築した聖殿の中で、規模から見ても、建築に動員された期間や人数や資金から見ても、聖ペテロ大聖堂に勝るものはない。しかし、この大聖堂は中世カトリックの腐敗とヨーロッパ民衆搾取の象徴物として記録されている。復帰摂理史によると、天がこれらの不法と堕落を許さず、千年の中世暗黒時代から民衆の眠っていた魂を呼び醒ました宗教改革を通してメシヤ再降臨準備時代 400年期間を開く信号弾となった。

メシヤを迎える為の聖殿摂理が、彼らが主張するように、それほど重要であるにも拘らず、原理講論には第2イスラエルであるキリスト教が聖殿を中心とした摂理をしなければならないとは、たった一言も説明されていない。勿論、真のお父様のみ言の中にも見当たらない[8]。

キリスト教が責任を果たすことができなくなるや、キリスト教の身代わりとして蘇生旧約と長成新約の全ての基盤を蕩減復帰する為に 1954年5月1日に出発した世界基督教統一神霊協会でもメシヤを迎える為の第3完成聖殿摂理を、世界平和統一家庭連合が創立[9]された 1994年以前の40年期間に真の父母様がしなければならないわけであるが、ところが、1992年に新約と旧約を全て蕩減復帰なさった土台[10]の上に発表された成約時代以前にも、また、世界的に再臨メシヤが降臨したことを宣布[11]する以前にも、第3完成聖殿と類似した摂理は無かった。

彼らの主張のとおりに聖殿摂理が天一国実現の為の核心重点事業であり全世界の祝福家庭が献金に同参しなければならないほどに重大な摂理であるとすると、それにも拘らず原理講論にも真の父母様のみ言にも第3完成聖殿摂理に関する説明が無いのは何故だろうか。

原理講論の後編にその答えが記述されている。「聖殿(神殿)はイエスと聖霊の形象的な表示体であるから、実体の聖殿(神殿)であられるメシヤが降臨されるときまで必要だったのである。[12]」

彼らが主張する聖殿摂理はイエス様が降臨して霊的に救援摂理を始めた二千年前にイエス様の誕生と共にその時効が終わった摂理なのである。それゆえイエス様は、「この神殿をこわしたら、私は3日のうちに、それを起こすであろう」(ヨハネ福音書2章19節)と語られた。原理講論によると、このみ言は実体聖殿であるイエス様が十字架上で亡くなられて3日後に再び霊的な実体聖殿として復活するという意味が込められている。

教統一聖殿、天福宮

統一教の文享進会長、統一教財団の文國進理事長、天福宮建築推進本部は世界平和統一聖殿・天福宮は再臨復活によって統一教を中心に宗教を実体的に統一する聖殿であるとした。

真の父母様が 1954年に世界基督教統一神霊協会を創設なさってから展開してこられた摂理機関活動の中で最も多くの財源を投資して精誠を込めてこられた分野は、他ならぬ宗教間の和解と一致の運動であった。世界基督教統一神霊協会という名前自体がキリスト教を中心した宗教の統一を意味している。

その活動の例を挙げると、1960年代の基督教超教派運動本部、1970年代の韓国宗教協議会、宗教新聞、New ERA、1980年代の国際クリスチャン教授協議会、国際基督学生連合会、世界宗教青年セミナー、国際宗教財団、宗教青年奉仕団、世界宗教議会、世界宗教会議、1990年代の世界経典Ⅰの発刊、世界平和宗教連合、2000年代の世界平和超宗教超国家連合、世界経典Ⅱの発刊、天宙平和連合が挙げられる。

真の父母様は草創期の財政が豊かではなかった頃にも宗教間の一致と和解の為に当時では想像を超える巨額の資金を借しまず投資してきた。このような宗教統合運動行事をなさる度毎に、真のお父様が語られたみ言は、「宗教間の差を乗り越えなければならない、宗教間の違いよりは全ての宗教と信仰が持つ共通の価値に注目しなければならない」とのみ言であった。違いを強調し始めれば宗教は互いに紛争するしかないのであり、全ての宗教が主張する普遍的な真理は一つであり、神様も信仰も一つであることを自覚する時に初めて諸宗教が互いに和解と調和と統一の道に進む可能性があると語られた。このような主旨を最もよく代弁しているのが世界経典である。世界経典は世界の主要諸宗教が結局は一つの神様と一つの真理に連結されていることを証拠づける経典なのである。

ところが文享進会長はこれと反対の方針を取っている。「他の宗教と統一教の違う点を顕著に目立たせなければならない。そうしてこそ統一教のアイデンティティが明らかにされ、それによって自負心も生じ、伝道・祝福もよく進む」というのである。差別性を目立たせればマーケティングがうまく行くという企業経営論理からこの考え方を持ってきたのかも知れないが、真のお父様が過去60年余りにわたり宗教統一の為にアプローチしてきた方法とは正反対である[13]。

真のお父様は共同の価値、普遍的な真理を中心に全ての宗教が和解・一致すると語られながらも、最終的には再臨主である真の父母様を通して重生されなければならない、神様の下の一つの世界の一つの兄弟となることができるとのみ言を必ず下さった。

摂理が進展するに従い 1992年4月10日の世界平和女性連合創設大会でイスラム教指導者を含む 44ヵ国1,267双が祝福を受けることにより、祝福の世界化・天宙化の時代が開かれるようになった。このような超宗教的な内的アベルの基盤の上で、国連更新による永久平和統一世界実現の理想を抱いて、1999年2月には世界平和超宗教超国家連合の摂理がスタートでき、摂理の最終的な目的地である天宙平和統一王国を実現する機構として天宙平和連合を中心した摂理が 2005年9月に出発できたのである[14]。

統一教の文享進会長は原理講論の復活論の「霊人たちの再臨復活による宗教統一」の部分から大きなインスピレーションを受けたようである。それゆえ霊人たちの再臨復活役事によって伝道された(プロテスタント系)キリスト教統一教徒、カトリック統一教徒、仏教統一教徒、イスラム統一教徒たちが天福宮で自分の宗教の文化的方式が互いに調和を成しながら礼拝を捧げることができるように、例えば第1部の礼拝は基督教式、第2部の礼拝は仏教式で捧げられるようにし、天福宮に讃美歌も仏教の念仏も一緒に鳴り響くようにするという。また、宗教創始者たちの写真と各宗教に合った祈祷室も準備し、宗教統一の聖地になるようにするというわけである[15]。

この発想も真の父母様の宗教統一を通した平和世界実現の道と相反するものであり、非原理的なのである。復活の霊人たちの再臨復活による宗教統一の部分を見ると、霊界に行っている霊人たちが地上の宗教人たちに復活して彼らを導く所は統一教でもなく、統一教という宗教団体の垣根の中に閉じこめられておられる再臨主・真の父母でもない。万人の、万人の為の再臨主・真の父母平和の王である。地上の宗教人たちを再臨主・真の父母・平和の王の前に導き、神様の善の血統に転換した祝福家庭になるようにすることが霊界に行った霊人たちの活動であり、彼らが救援されて宗教が統一される道なのである。

宗教統一の道において祝福家庭は類概念(上位概念)であり、統一教、キリスト教、仏教、イスラム、白人、黄色人、黒人、アメリカ人、日本人、韓国人などは種概念(下位概念)である。祝福家庭は包括的な上位概念であり、宗教・人種・民族・国籍・理念などは被包括的な下位概念なのである。

天一国の基本単位は統一教ではなく、祝福家庭である。聖殿が宗教統一の中心であり聖地であるなら、祝福家庭こそが実体聖殿なのである。原理講論と聖書のみ言によると、メシヤは本聖殿であり、従う聖徒たちは分聖殿である[16]。このみ言を今この時代の摂理的な観点から解釈し直すと、本聖殿は真の父母様・平和の王と真の家庭であり、分聖殿は全世界の祝福家庭である。

それゆえ真の父母様はみ言選集の全巻において祝福家庭は天国の基地であると語られ、家庭盟誓においても祝福家庭が天一国の理想を実現する主人であるとされている。

世界平和統一聖殿・天福宮のような建築物を巨大かつ華麗に建てておいて全世界の諸宗教を展示しておけば出来るような宗教統一の道であったなら、真の父母様は草創期から困難かつ複雑な宗教統合の道を選択せずに、聖殿建築に財源と精誠を投入されたことであろう。

歴史的に多くの宗教建築物を通して人々は平安と霊感を得てきたが、しかし一方では世俗の貪欲が動機となって建てられた宗教建築物は民衆を愚民化し搾取してきた記念物でもあった。権威的な統治者が虚偽意識を植え付け、合理的な思惟の機能を麻痺させることによって民衆を思い通りに統制するのに利用された道具であった。

イエス様は、このような聖殿の偶像に閉じこめられて、自分たちは勿論のことイスラエルの民の救援の道さえ阻んでいた祭司長やサドカイ人、パリサイ人たちを指して次のように一喝なさった。「あなたがたは白く塗った墓に似ている。外側は美しく見えるが、内側は死人の骨や、あらゆる不潔なものでいっぱいである。このようにあなたがたも、外側は人として正しく見えるが、内側は偽善と不法とでいっぱいである。」(マタイ福音書23章27~28節)

アベル国連摂理聖殿、天福宮

統一教の文享進会長、統一教財団の文國進理事長、天福宮建築推進本部は天福宮はアベル平和国連摂理を完成させる聖殿であると同時に拠点であるとした。

復帰摂理によると、二度の世界大戦を通じて世界的にサタンを分立した基台の上でスタートした国連は、神様のみ言を中心に憲章を制定し、来られる再臨主に侍り平和統一理想世界の統治機構になるのが摂理的な使命であった。しかし、摂理的な意識を忘却した米国がソ連を始めとする共産圏を国連に参加させる為に妥協したあまりに、国連憲章から神様の理想が除去されることにより、その後の国連は、国際共産主義が活動し、世俗的な人本主義の理念が世界的に拡散できる国際機関に転落していった。平和の砦になるべき国連が、国家エゴイズムの対決の場に変質させられたのである。

真の父母様が国連を更新して本然のアベル平和国連に回復する為の摂理を本格化したのは、40年の荒野路程を終え、世界女性時代の到来宣布と共に世界平和女性連合を創設なさった 92年4月前後の時期であった。

この時に内的なアベル的超宗教的基盤として世界平和宗教連合を、外的カイン的超国家的基盤として世界平和連合を創設なさり、続いて出帆した女性連合や青年連合、世界大学連合などが国連に加入して国連を回復しなければならないと語られた[17]。

1998年12月に米国ワシントンで開催された世界宗教指導者会議で超宗教超国家的な組職の基盤の上に宗教指導者たちが中心になって国連を更新する世界的な連合を構成することを主唱し、1999年2月に韓国ソウルにて世界平和超宗教超国家連合を創設なさった。

続いて 2000年に新千年を迎え世界平和超宗教超国家連合の主催により国連で開催されたミレニアム国際会議において真の父母様は国連更新のロードマップを提示された[18]。

「既存の 国連総会を下院とし、世界の宗教指導者たちが参加する上院を新設して、両院制で運営する。世界真の父母真の家庭の日を制定する。世界の全ての国境線を撤廃し、国境紛争地域を平和公園化する。国連平和軍と警察を組織する。」

真の父母様はこのようなロードマップを明らかにしながら、もし国連が神様のみ旨に従いアベル平和国連として更新できなければ、独自的にアベル平和国連を樹立することを厳重な警告と共に語られた。

これによってスタートしたのが 2005年9月に米国ワシントンで創立された天宙平和連合(UPF)であった。以前の世界平和超宗教超国家連合(IIFWP)が、真の父母様が世界的に準備した内的アベル的超宗教基盤と外的カイン的超国家的基盤の上で国連を本然のアベル平和国連に更新するのが使命であったとすれば、その後にスタートした天宙平和連合(UPF)はミレニアム国際会議で宣布された真の父母様の厳重な警告に従い、既存の国連を代替するアベル平和国連としてスタートしたのであった。

勿論、天宙平和連合が既存の国連に取って代われるだけの実力と実体を備えることは未だ出来ていないが、神様と真の父母様の摂理的な理想と計画がそうだということであり、この理想と計画を実体的に展開して実現することは、人間の責任分担として残されているのである。

このようなアベル平和国連関連の摂理史を鑑みると、アベル平和国連は単に巨額を投入し巨大な建築物を建てておき、そこに看板をかけておけば良いというものではない。統一教という一介の教団の宗教運動として出来ることではない。神様と真のお父様はアベル平和国連・天宙平和連合を統一教の統治機構、統一教の摂理機関中の一つとして創設なさったのでは決してない。宗教的な象徴行為として、黙示的預言として宣布なさったのでもない。全世界の人類が神様と平和の王を中心とした新たなグローバル・ガバナンスを成し、天宙平和統一王国である天一国をこの地上に実体として実現するのである。

アベル平和国連の運営構造において最も注目すべき部分は両院制である。地域国家の代表たちが下院を構成し、各界の霊的指導者たちにより上院を構成するようにしている。

超宗教超国家的な活動を通じて実力を築き実体を作っていってこそ、アベル平和国連は樹立が可能なのであり, まだ理想の段階に留まっている天宙平和連合が天一国を成し遂げる機構であると同時に、真の父母様・平和の王が統治される本然のグローバル・ガバナンスとして完成され得るであろう。

統一教の文享進会長と統一教財団の文國進理事長は真の父母様が展開してこられた全ての摂理的活動と基盤を、宗教運動と統一教と天福宮という3つの垣根の中に追い込んでいる。

社会運動をするようになると、教徒たちが信仰に背を向けアイデンティティを忘れてしまい、伝道も祝福も出来ないというのである。宗教運動と社会運動を対立的概念として対比させておき、宗教運動の中心として進まなければならないと語っている。

しかし、これまた人文社会学的な常識と摂理史に対する理解の不足から生じた発想である。現代社会学においては社会運動とは、第1セクターの政府及び第2セクターの企業を除いた第3セクターの市民社会の諸運動を全て社会運動として定義している。環境運動、女性運動、反戦平和運動、人権運動、労働運動、草の根民主主義運動、そして宗教運動等が社会運動の範疇に含まれている。宗教運動もまた厳密には社会運動なのである。論理学的には社会運動は類概念であり、宗教運動は種概念である。互いに類比の範疇になれない関係である。

この時代に展開されている神様と真の父母様の摂理を運動として概念規定するなら、神様の国実現運動, 神様王国運動、メシヤ王国運動などといった定義の方がより正確と言えよう。この運動は新・旧約歴史と共に行われてきたものであり、神学的にも根の深い概念である。これを原理的にさらに具体的に規定すると、天一国建国または創建運動と呼ぶべきであろう。

また、原理的に神様は宗教という垣根に閉じこめられておられるようなお方ではない。宗教が堕落した人間を救援する為の方便として出現したことは、原理講論の総序から最後の再臨論までにわたって記述されている。

摂理史的にも、既に真の父母様の摂理はアダム・エバが堕落した長成期完成級を越え、成約摂理時代を越えて、神様の直接主管圏時代に突入している。原理的には長成期完成級を越す創造原理的な成長期間はサタンが讒訴できない領域であり、宗教が必要ない摂理圏である。

堕落性本性と自犯罪、遺伝罪などが残っており、周辺の環境圏は罪悪世界圏なので、救援摂理過程で出現した宗教的方便が依然として必要なのは事実である。しかし、これまで真の父母様が展開してこられた摂理を宗教運動・統一教の天福宮に、まるで牛でも追い込むかのように一斉に追い込んでしまうのは摂理史の退行であると同時に、通りがかりの人を自分が準備した鉄の寝台に合わせてみて、体の方が寝台より長ければ切り取り、小さければ無理やり伸ばして殺したギリシア神話の巨人プロクルステスの業と同様の業である。

第1イスラエル聖殿歴史と天福宮

天福宮建築推進本部作成した資料を見ると、ソロモン王の第1聖殿、ゼルバベルの第2聖殿、第3聖殿・天福宮と図式化されている。しかし、これは基督教界でも議論されている問題である。プロテスタントから刊行されている聖書辞典などには、第1聖殿は「ソロモンの神殿」、第2聖殿は「ゼルバベルの神殿」、第3聖殿は「ヘロデの神殿」という説明になっている。第1聖殿はバビロンのネブカドネザル王によって(B.C.586)、第2聖殿はローマの第1次三頭政治の一角であったポンペイウスによって(B.C.63)、第3聖殿はユダヤ戦争を鎮圧したローマのティトゥス将軍の軍隊によって西暦70年に破壊されたものと聖書辞典に記述されている[19]。このように議論の余地が多いにも拘らず、蘇生・長成・完成の3段階過程を貼り付けたのは、原理的に全く説明できない天福宮を摂理に無理やりつなぎ合せなければならない苦しい事情が少なくなかったものと斟酌することができる。

建築推進本部で語っている第2聖殿とは、ポンペイウスが破壊したものをヘロデ王が巨大に改築したものであり、イエス様の在世当時にも工事が進行中であった。聖殿は完工6年後にユダヤの反乱を鎮圧するローマ軍団によってイエス様のみ言どおり「その石一つでも崩されずに、そこに他の石の上に残ることもなく」(マタイ24章2節)徹底的に破壊された。今日もエルサレムに残されている「嘆きの壁」はヘロデ王が改築した城壁の一部である。

聖書に登場するヘロデ王には3人いる。その第一は、イエス様誕生以前に昔のダビデ・ソロモン王時代のイスラエル領土をローマから認定を受けて統治し、エルサレム神殿の改築を始めたヘロデ王。第二は、そのヘロデ王の息子であり、ガリラヤ地方の分封王を務め、異母兄弟の娘ヘロデアを夫人にしたことを洗礼ヨハネが責めたことで彼を斬首刑に処し、よく「分封王ヘロデ」と呼ばれているヘロデ・アンティパス。そして3番目に、ヘロデ・アンティパスのもう一人の弟で、ローマに人質として滞在中にローマの暴君カリグラ帝に認められてユダヤに帰還し、父親のヘロデ王の領土と王の称号の返還を受け、ゼベダイの子ヤコブ(「大ヤコブ:イエスの使徒の1人」)を処刑し、ペテロを始めとする12弟子に迫害を加えたヘロデ・アグリッパ。

紀元前169年にセレウコス朝シリアのアンティオコス・エピファネス王がユダヤをギリシャ化する為の政策の一環としてエルサレム聖殿の祭壇にゼウス像を立てるや、これに反抗してマカバイ兄弟の主導でユダヤ蜂起が起きる。マカバイ兄弟は内外からギリシャの勢力を追い出し、ハスモン王朝を開く。ヘロデ王の一家はこのハスモン王朝におけるイドマヤ(エドム)地方の総督であった。

ヘロデ王一家はハスモン王朝の兄弟である大祭司長と王たちが対立している間に新しく出現した新興強大国ローマの植民地政策を徹底的に支持し追従した代価として、ヘロデに至ってハスモン王朝に代わってローマ皇帝からユダヤの王位と領土を認められるようになる。彼は自分の王位と領土を保全する為に必要なありとあらゆる虚偽を捏造・流布する等、手段・方法を選ばなかった。彼は、祭司は言うまでもなく、ハスモン王朝の娘である自分の夫人マリアンメや、その夫人が産んだ3人の息子たちまでも無惨に殺戮した。ユダヤ民族を徹底的に搾取し、自分の権力に抵抗する勢力に対しては血の報復を行った。搾取した財物を利用してローマ皇帝である「尊厳者(アウグスッス)」オクタビアヌスの神殿を建築したが、それに対するユダヤ民衆の反発を恐れて、後日イエス様とその使徒たちを迫害したパリサイ派を自分の味方に引き込む為にエルサレム聖殿を大きく改築することになる。

聖書を始めとするイスラエル歴史に記録されているヘロデ一家は、権力と領土を保全する為に自分の血肉を屠戮することも躊躇せず、ローマから認定を受ける為に植民地の民であったユダヤの同胞を暴政によって統治しながら搾取した。その狭間の中で大祭司長とサドカイ人たちは既得権を維持する為にヘロデを憎悪しながらも彼と足並みを揃え、パリサイ派もまたヘロデを憎悪しながらも、必要によっては自分たちが信じる教条的な律法信仰とは相反するイエス様と12弟子たちを迫害するヘロデ一家を擁護したりした。

一方、マカバイ兄弟と共に汚された聖殿を浄化する為に蜂起した正義の集団ハシディム(正統派ユダヤ教徒)と敬虔な集団エッセネ派は荒野に出て行き、メシヤを待望する霊的集団になった[20]。

これはエルサレムの聖殿を巡って起きた、虚偽と抑圧と搾取で彩られた血の歴史である。歴史の中において聖殿を始めとする宗教的な建築物は、教義的な論理で包み込んで民衆に歓迎ムードを植え付けて権力を掌握し、財物を強奪し、既得権を永続化するのに役立つ象徴物となってきた。しかし、その歓迎の神秘が朝の太陽に晒された露のように消え失せた瞬間、至聖所と聖所を仕切る垂れ幕は上から下に大きく引き裂かれ(マタイ27章51節)、漆喰(しっくい)で白く塗られた墓は割れて空洞となった所から新しい復活の歴史が始まった(マタイ28章1~5節)。歴史の歯車は過去に辿ってきたその道に従って再び回転している。

▣ 参考資料:

▪ 「ライフ聖書辞典」(生命のみ言社、2008年12月)

▪ 「文國進理事長、文享進会長インタビュー資料」GPUI、2010年

▪ 「文享進会長み言資料集」GPUI、2010年

▪ 「原理講論」成和社、86年4月9日、第21版

▪ 「イスラエル歴史」A.H.J. Gunneweg、韓国神学研究所、1990年10月10日、第12版

▪ 「統一教の主要儀式と記念日」1997年4月14日、成和社

▪ み言<国境線撤廃と真の愛の実現> 2000年8月18日、国連本部

▪ み言<世界と国連が行くべき道> 2000年8月17~20日、IIFWP 2000総会

▪ み言<言語解放と世界統一宣布> 1995年1月5日、済州国際研修院

▪ <世界本部統一聖殿建築推進企画案.ppt>

世界本部統一聖殿建築推進プロジェクトチーム、2008年10月10日

▪ <世界平和統一聖殿天福宮の摂理的意味.ppt>

世界平和統一聖殿・天福宮建築推進本部、2009年3月3日


[1] 「原理講論」(韓国語版) 成和社、86年4月9日 第21版、p.317

[2] 同上図書、pp.316-317

[3] 1998年11月6日の復帰完了宣布、2002年4月4日の六千年役事大解怨式、2003年7月13日の蕩減復帰摂理時代撤回宣布

[4] 1993年1月1日の成約時代出発宣布、4月10日の真の父母と成約時代宣布、1997年9月1日の成約み言制定、1998年2月2日の新成約時代宣布及び成約み言伝授式、1999年4月11日の成約時代と天上天国地上天国完成宣布

[5] 2000年2月10日の歴史的な大転換時代宣布 – 千年王国時代到来宣布 -、2001年1月13日の神様王権即位式、2001年10~12月の天宙平和統一国大会、2004年8月20日の特赦-真の心情革命と真の解放釈放天一国入籍祝福式及び平和の王即位式、2004年12月17日の天一国創建宣布、2005年2月2日の真の父母様天宙統一平和の王戴冠式、2006年6月13日の天宙平和の王真の父母様天正宮入宮戴冠式

[6] <世界本部統一聖殿建築推進企画案.ppt>世界本部統一聖殿建築推進プロジェクトチーム、2008年10月10日

<世界平和統一聖殿天福宮の摂理的意味.ppt>世界平和統一聖殿・天福宮建築推進本部、2009年3月3日

[7] 「世界基督教統一神霊協会の統一教会はキリスト教が責任を果たせなかったのを蕩減復帰しようとする摂理の段階から出てきた蘇生的な宗教でした。その時に統一教会とキリスト教が一つにならなければならなかったですが、それができなくて、1994年に家庭連合が出てきました。・・・これから完成期の統一教を、お父様の許諾を受けて統一教を大きく使いなさいとのみ言をいただき、今や完成期の統一教が出発しました。統一教運動を通して天一国を完成するでしょう。」 統一教・文享進会長、UPF会長就任の辞の中から原文のテープをディクテーション、2009年11月18日。

2008年4月20日の世界会長就任礼拝の説教の中から;ハンギョレ紙 2009年12月23日付け記事、2009年12月27日の本部教会礼拝説教、それ以外にも多数の説教と言論インタビュー; 「文享進会長み言資料集」2010、GPUI; 「文國進理事長、文享進会長インタビュー資料」2010、 GPUI

[8] 真のお父様のみ言選集に出のてくる聖殿の大略的な意味は聖徒たちが礼拝を捧げることができる個別の教会、本聖殿であるメシヤ・真の父母に対する分聖殿としての聖徒と祝福家庭である。

「1964年5月23日に青坡洞の旧本部教会で「象徴的な聖殿建築宣布式」が挙行された。・・・キリスト教が来られる主に侍ることができなかったことから、国と宗教が分裂したことを象徴的に探し立てることに、その意義がある。」(「統一教の主要儀式と記念日」1997年4月14日、成和社、p.183。)この象徴的な聖殿建築宣布式も、文享進会長と文國進理事長の二人の兄弟の聖殿建築と摂理的な脈絡が全く連結されないのである。

[9] 1994年5月1日の協会創立40周年、家庭盟誓制定、5月3日の世界平和統一家庭連合会結成、1996年7月30日~8月1日の世界平和家庭連合創設、1997年4月10日の世界平和統一家庭連合公式出帆宣布

[10] 1992年9月23日~12月23日の世界平和女性連合世界巡回大会 – 第2次世界大戦直後統一圏新婦基盤、摂理的旧約時代新約時代蕩減復帰、1993年1月1日の成約時代出発宣布、4月10日の真の父母と成約時代宣布、1994年5月1日の協会創立40周年、家庭盟誓制定、5月3日の世界平和統一家庭連合会結成

[11] 1990年4月9~13日のソ連モスクワ世界大会及びゴルバチョフとの会談、1990年4月30日の真の父母メシヤ宣布、1991年11月30日~12月6日の真の父母様の北朝鮮訪問及び金日成との会談、1992年4月10日の世界平和女性連合創設、1992年7月3~8日の再臨メシヤ宣布、1992年8月24日の世界的再臨主宣布

[12] 「原理講論」 (韓国語版) 成和社, 86年4月9日 第21版、p.317

[13]文享進会長は統一教のアイデンティティを語っているが、実際に真の父母様と祝福家庭が 60年余りにわたり積み上げてきた伝統を、自分の浅い宗教知識と体験を根拠にして破壊することで、寧ろ統一教のアイデンティティに混乱をもたらしている。自分の主観的体験と知識を根拠に統一教の伝統的な象徴を時には仏教風に、時にはカトリック風に、時にはプロテスタント風に変えてみる実習をしている。これは真の父母様と祝福家庭の決栽と合意による措置でもない上に全く原理的でもないことから、寧ろ統一教の私有化と言えるであろう。また彼は、多くの宗教の礼拝方式や文化を愛好し、開放的と主張しながらそれらを無分別に収容しているが、彼の統一教は他の宗教団体が見る時に統一教らしくない、逆説的にさらに異質的で奇怪な宗教なのである。まるでこの人から、あの人からと、肉や骨を切り取ってきて継ぎ合わせたフランケンシュタインのような奇形の怪物なのである。このような面で文享進会長が強調する統一教のアイデンティティは、真の父母様と祝福家庭が血と汗と涙で積み上げてきた統一教会とは違うものであり、彼が愛好して開放的に収容している他の宗教との同質化や一致ではなく寧ろ逆説的に排他的な異質化の道に進んでいるのである。

[14]  1991年8月の世界平和連合、世界平和宗教連合の創設、 1992年4月10日の世界平和女性連合創設、1994年7月26日の世界平和青年連合創設、1997年4月10日の世界平和統一家庭連合出帆宣布、1999年2月6日の世界平和超宗教超国家連合創設、2005年9月の天宙平和連合創設

[15]  2008年10月12日、天一国食口礼拝、文享進会長の説教

[16]  「原理講論」(韓国語版) 成和社、86年4月9日 第21版、p.349-350

[17]  「それゆえ既に米国に父母の日を設定しましたが、国連において父母の日が設定される日には全てを一度に持っていって・・・。国連が体の国連ではなく、宗教国連、女性国連、青年国連が国連の図上に繋がれる日には世界が統一されるというのです。国がありません。南北を統一して超国家的な面で一つの国を作るよりも、米国と自由世界で国家を作るよりも、国連を完全に私たちの国、新しい国家理念が統一された理念であり、平和の理念の国を持った国連をぴったりと貼り付ければ一度に世界がそのモデルに従ってくることによって世界は一ヵ国で全て統一されるのです。・・・私たちがしなければならないことは、世界平和連合、世界平和宗教連合、世界平和女性連合、世界平和青年連合を国連に加入させることです。」(<言語解放と世界統一宣布>のみ言の中から、1995年1月5日、済州国際研修院」

[18] み言<世界と国連が行くべき道> IIFWP 2000総会、2000年8月17~20日、み言<国境線撤廃と真の愛の実現> 2000年8月18日、 国連本部

[19]  「ライフ聖書辞典」生命のみ言社、2008年12月、p.537、 pp.1126-1127

[20] 「イスラエル史」 A.H.J. Gunneweg、 韓国神学研究所、1990年10月10日 第12版

広告
 

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中

 
%d人のブロガーが「いいね」をつけました。