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2.文亨進会長の思想分析

日増しに文亨進世界会長を中心とした「統一教」が終末的な行動をとっている中で、終末を早く終わらせ、神様と真の父母様のみ旨と伝統を取り戻すために、しなければならない事が三つあると考えられる。

まず初めに真実闘争である。誰が真実を語り、誰が嘘を付いているのか真実を究明し、その究明された事実を、どのように効率的にすべての人に伝達するかが、終末の時代を一日も早く終わらせることができる重要なカギとなるだろう。

2番目は、実績闘争である。実績の前には、すべての人が頭を下げるしかない。キリスト教の歴史を見ても、新教が、韓国では純福音教会が時に異端として、正統と自任する勢力から多くの迫害を受けた。しかし、その大変な実績の前には、何も言えないのが世の中の道理であり、神様までも認めざるを得ないのである。米国がどんなに神様の祝福を受けたとしても、強大な経済力と技術力、軍事力を備えていなければ、どうして世界が、米国を中心に動こうとするだろうか。もちろん、神様の祝福もあったが、具体的な人間の努力と、その努力に伴う実績がなければ、世界の中心国家になることはなかっただろう。

同様に、いくら「統一教」が文顯進様を攻撃しても、彼の実績と世界的な基盤の前には、身動きがとれなくなるだろう。 2010年度、一時、沈黙されていたが、本来準備されていたGPFのため世界巡回をされ、各国に立てられた強大な基盤が少しづつ明らかになり、世の中に知らされることにより、その実績がどれだけ大きな影響力を持っているのかを知ることができる。

私達がこの終末の時代を早く終わらせるには、圧倒的な実績の差を世の中に見せなければならない。特に内容のある実績を出すことの難しさを知っている立場から、「統一教」の無慈悲な迫害の中で顯進様が積み上げあげた実績は、神様が共にいらっしゃらない限りありえない結果である。

今、顯進様の関心は「統一教」が行う世渡りではなく、2013年まで、どれほどの天一国の基盤を作るのかに集中していると今年2月の会議で言われた。前だけ見て行く、以前は横も見、後も見たが、これからは前だけを見て、自分のやるべきことに集中すると言われたが、それは、サタンを自然屈伏させたヤコブ路程、ヨセフ路程と似ている。ヤコブはハランに行って、多くの基盤を作り、カナンの地に帰ってきた、ヨセフは、完全に捨てられたが、サタン世界で長子権を復帰したため、危機に瀕した兄弟たちが救いを求めヨセフを訪ねてきたのだ。

三番目に私たちがなすべきことは、思想闘争である。「統一教」が行っているイベントやプロジェクトの根拠は、すべて統一教会世界会長の神学的思想に基づいている。

去る10日17日、金甲用牧師による天福宮での説教を見れば、統一教が今のプロジェクトに集中していることが二つある。外的には日本の拉致監禁問題であり、内的には顯進様、郭会長の迫害である。残念ながらこの二つには、「統一教」が天一国を成すためのビジョンと方法が含まれていない。金甲用牧師は、世界会長直属の天福宮総責任者のような人物であるため、この二つの指示は、世界会長が立てたプロジェクトであると言える。これを立証することが、次の週の24日、天福宮の礼拝で行われた。文亨進世界会長本人が自分のアイデンティティを明らかにした説教(説教ではなく、顯進様審判集会というのが正しい)をしたが、これは、今の統一教の最大の関心事がどこにあるのかを明らかに示す事件だった。日本食口の拉致監禁問題を取り上げることが悪いわけではない。しかし、統一教の主力事業であるこの二つは、天一国のビジョンを今の組織にはどこにも見つけることができないという事実だ。これより不幸なことがあるだろうか。

しかし、私達が今、真剣に受け止めなければならないことは、彼らが行っている、前述のイベントやプロジェクトではない。それは表面上に現れた行動の背景に敷かれている思想が、彼らを誤った道に導いているという事実だ。私達はそれを命がけで叩きなおさなければならない。その思想の根拠は、世界会長の天福宮礼拝のみ言によると、統一家の食口なら誰でも簡単に理解できるだろう。 24日の礼拝は礼拝でもなく思想でもなく、彼らのイベントの中の一つに過ぎない。世界会長のみ言を聞くと「統一教」がどのような方向に進んでおり、今後どのようなことが統一家で行われるのか予測することはそれほど難しくない。

世界会長の思想を研究して、どのようにお父様の思想と違うのか、日本と韓国で行われている批判集会やインドネシア、パラグアイでのGPFを阻止するための必死の妨害作戦など、「統一教」が顯進様に対する妨害に余念がないことに何ら良心の呵責も感じない理由がどこにあるのか、私達は知っておくべきである。それは単純な兄弟間の感情的な対立であるという見解もあるが、彼らの思想的な根拠を調べ、彼らの過ちを根こそぎ焼き払い、不正な伝統が後世に伝授されないようにしなければならない。

もしこの誤った思想が後世にそのまま残されるようなことになったら、力の論理で逆に彼らの勢力が弱くなることもあるだろうが、思想の明確な評価と検証なくして素通りしてしまうと、再び奇妙な主張をする者たちが出てくるかもしれない。

世界会長のみ言は、最近になって、ますますお父様の「神格化」が加速している。世界会長は「私の主よ、アジュ」を力説して、お父様とそれ以外の人を罪のない方と罪人として分離し、血統の重要性や真の家庭の価値に対して言及されることが全くなく、ひたすらお父様とお母様のみを強調している。

個人的な父子の関係の中で感じるお父様の心情を語られることもあるが、それは世界会長の神学的な根拠において語られたみ言ではないという感じがしきりにする。なぜならお父様は神学的なメシアとしての価値があるだけで、人類一家族の親としての重要な価値についての言及が、今までみ言の中に出てきたことがないからである。世界会長が強調されるお父様は、ひたすらメシアであり、真の父母と言う時は、その単語自体にあまり深い意味と本人の関心がないようだ。

だから世界会長のみ言を聞けば聞くほど、お父様と私たちは贖罪する者と罪人として許しを受けなければならない者との関係にしか見えない。つまりこの構造は、キリスト教のイエスとキリスト教信徒との関係と同じである。キリスト教では、イエスは人間ではなく神と規定されるのと同様に、世界会長もお父様を「神格化」する傾向が目立つのは非常に危険なことだ。

もちろん、お父様が「真の父母は神様の実体」と語られ「天におられる神様は、縦的な神様、真の父母様は、横的な神様」と語られた。お父様のみ言と原理をキリスト教の思想をもとに適用する世界会長には、このようなみ言がどのような影響を与えるのか、「私の主よ、アジュ」を叫んで罪人と罪のない方とに分類して、お父様だけを眺めよと強調する思想は、今は、お父様も人間であると思われるかもしれないが、時間が経てば、お父様も神様であるという思想が堂々と出てくる時代が来るのではないかと心配するのは私だけだろうか。

このような懸念の中で、ついに私は、顯進様のお父様観を聞く機会があった。顯進様はこう言われた。「私も皆さんと同じように幼い頃、原理修練にたくさん参加した。その時、お父様に対する講義を聞いたが、その講義は、お父様の神秘性、お父様の超人間的な内容を多く強調する傾向があった。そんな講義を聴きながら育ったが、信仰的に見るとある段階になれば、お父様の人間な部分、お父様もすべてを知っておられる訳ではないのだなぁ。お父様も人間としての限界があるということがわかった。これが信仰人として越えなくてはならない節目だ。私はその時考えたことは、お父様は人間としての限界を持っておられながらも、神様のみ旨を成し遂げようともがく姿を見て、むしろお父様に対する尊敬の念や信仰が深まった。もしお父様が神様なら、私たちと何の関係もないのではないか。人間としての限界の中で、神様のみ旨を成し遂げようとする姿に、私たちもそのように生きなければならないという気になって、お父様に対する信仰が深まった」と言われた。

私はこのみ言を聞きながら、亨進様とは著しくお父様観の違いを感じた。世界会長も顯進様と同様に、お父様の人間の部分に対して経験と信仰的な悩みはないのだろうかと疑問に思った。顯進様は、その答えをお父様との父子の関係の中で感じる心情的な関係をもとにお父様を解釈して、より深い心情的、信仰的世界に入っていったと見られる。以前から常に顯進様は、神様、真の父母様、真の子女様の血統の重要性を強調されるが、ここでも父子の関係や血統的な部分が、本人の価値観だけでなく、原理とみ言の根本に根ざされている。

一方、これまで聞いていた世界会長のみ言を土台として分析すると、お父様の人間性、お父様の心情的な世界に対する思想的な確立に欠けていると見ることもできる。お父様の人間性よりもイエスのようなメシア性だけを強調するものである。ここでは、血統は重要ではない。同じ血統といっても、お父様はメシアであり、自分は罪人として血統の価値がないということは、今までの血統についての言及が一度もなかったことから推察することができる。だから本人が後継者ということも、原理的、み言的な価値で認識する内容なので、世俗的な父子の関係の世襲次元で認識している可能性もあると思う。世界会長は、なぜそのように考えるか。これはまだ、完全な答えを出すには情報が足りないので、確答することはできないが、世界会長は、お父様のアイデンティティと思想と哲学に対する究極的な答えを、キリスト教的神学に発見したと見ることができる。お父様の人間の部分を考えると理解できない部分もあり、答えが出ないから、一応、人間の部分は排除して、贖罪者としてのメシア性だけを見ようと判断したと見られる。そう考える理由は、文亨進会長がハーバード大学で世界の宗教を勉強しながら、その時初めて統一教の価値、お父様に対する価値を知ったという発言があったからだ。それならその前には、原理に対する価値を理解していなかったということが考えられる。

もちろん、これに対する根拠は明確ではない。しかし、今までの世界会長のみ言を見ると、お父様は、これから神様になる可能性が高い。イエスも、イエス=神という明確な「正統」神学を確立するまで300年かかった。イエスの時代にも、イエスは神そのものだと思っている人もいただろう。しかし、イエスが復活して300年が過ぎ、イエスの人間性は完全に消えて、神そのものとなったのだ。そこには、神学者の間での政治的な熾烈な戦いもあったが、主流になってはいけない勢力が主流になったと見ることができる。同様に、今、世界会長が主流となっている思想を後代が受け継いでいけば、遠い将来には、お父様は神となるだろう。

だから、この思想的混乱期において、今後、後代が混乱に陥らないために、今この時点で、私達は、お父様と真の父母様のアイデンティティ、人間なのか、神なのかに対する思想公式をキリスト教神学を根拠とするのではなく、原理とお父様のみ言をもとに定立すべき時期だと思う。

最後に、将来に備えて、一つしておかなけれなならない提案がある。近いうちに来る時代を見たとき、今から考えなければならない問題である。「統一教」が多くの宗教の片隅を占める小規模団体に転落しながらも、世界的な基盤を構築した顯進様を​​このまま続けて攻撃するなら、もう統一教の中の問題だけでは終わらないと思われる。まさにヤコブの子ヨセフがエジプトで総理大臣になって、自分を憎んだ兄弟たちを皆受け入れ許しながら兄弟が一つになったように、そのような時代が来る可能性を感じる。

東西南北の冷戦時代に統一されながらも、西ドイツの人々が東ドイツの人々を絶対に殺さないという信念がなかったなら、最後まで東ドイツは統一に反対したというみ言が、お父様の自叙伝に出てくる。一度割れて分裂してお互いに批判する関係になれば、再び統一されるのは、何倍もの努力が必要だろう。

前回、顯進様が韓国に来られた時、食事会に参加する機会があった。その時、ある先輩食口が、顯進様にこのような質問をされた。「これからもし顯進様に、他の子女様たちが来られたらどうしますか。受け入れますか」非常に敏感でとても本質的な質問をされた。その時、顯進様の答えは「どうしよう​​(笑)、今は答えないよ。見ていてください」と言われた。その場を共にした私は、その語り口と表情で感じた温もりに、顯進様は間違いなく愛で受け入れてくださるだろうし、もうそんな心の準備をされているという確信を得た。

そうすれば、私達が他の宗教や団体とは次元が違うと言えるし、本当にお父様の位相を立ててさしあげることができるものであり、摂理的に見ても、不和だった兄弟が一つになる歴史的な勝利の瞬間になるだろう。顯進様は、愛で受け入れることができる心の準備ができていると見られるが、顯進様側にいる私達も、顯進様と同じように敵を愛する心情で、彼らを受け入れ、以前と同じように、いや、かつてよりも近い心情で接して、彼らに機会を提供できる心の準備をしなければならない。もし私達にそのような真の愛と、真の愛による言葉と行動がとれなければ、彼らは決して私達と一つになろうとはしないだろう。北朝鮮の金日成が、ルーマニア元首相が処刑されるビデオを何度も見て、今統一されれば、このようになると考えながら、命がけで統一に反対するのと同じことになる。そしてこれが実質的な問題となるのは、今、統一教の没落状況と様々な愚かな行動、そして急激に拡大される顯進様の世界的な勝利の基盤を振り返ってみると、近い将来必ず訪れるので、さらに私達が天一国に入城する内的準備をしなければならない。責任は他にあるのではなく、常に「私」にあると肝に銘じなければならない。

 

 

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