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11.ユニフィケイショニズムの未来

2012.10.17   マーク•ブラムウェル

(欧州統一運動前副会長、欧州リーダーシップトレーニング前局長)

現在の況分析と将来の展望[1]

はじめに

私が手紙を書く時、数百人の人類は餓死し、内乱により虐殺される。ユニフィケイショニストは(以降、統一教員という – 翻訳者)「アベル世界」として最終目標は、これを阻止することである。しかし、私達が世界のあちこちに至るにあたって健康でなければならない。つまり、統一運動は健康でなければならない。
私はとても迷ったが、ついに、この文を発表することにした。結局、統一教員が真の子女達の行動を公開的に矯正しながら何を大切にするのか。亨進様と國進様は、統一共同体に貴重な多くの貢献をしたが、彼らは不幸なことに、いくつかの重大なミスを犯した。私達は、二人の兄弟の素晴らしい業績に関する多くの情報を聞いて来た。この文は、二人の欠点ではなく、離脱に重点を置く。彼らの欠点を非難することはできない。彼らは信仰により、真のお父様が下さったミッションを受け、自身を自ら改善するために努力しようとしている。
統一教員として、私達は常に和合を追求しなければならない。しかし、私達はどんな指導者であっても、非原理的な言葉と行動とは一つになってはならない。ヨーロッパの歴史で、私達はこれを十分深く学んだ。神様の国を成そうという真のお父様の希望と約束を早く実現するために、今、私達は成熟し、私達の運動に対する客観的な視点を持つべき時が来た。
この文を準備することは、私がしてきたことの中で最も愉快でないことの一つであった。しかしこれをしなければ、自分自身に対して真実であるとは言えない。私は、もはや沈黙することができず、私達の運動がもっと大きな衝撃を受けるように放っては置けない。中には、この文の表現がとても厳しいと思う人もいるだろう。しかし、私が気がかりなのは、世界的運動を、運動が離脱したところから、早く原理の軌道上に修正する努力をサポートすることである。私がこれに成功すれば、この文を準備するためにかかった時間は価値のあるものである。私達の名前である「統一」、神様を中心とした統一という名前に合った生を生きていこう。
私はこの文を発展させてくれたすべての友に、彼らの正直さと、また原稿を読むための時間を取ってくれたことに感謝する。私は事実を正確にするために全力を注いだ。この文を最後に修正する時、國進様がすべての教会業務から退くというニュースを聞いた。彼と彼の家族に神様の恵みと祝福が共にあることを望む。彼は今、カイン-アベル、武器などについて語ったすべての誤った言葉を公式に撤回しなければならない。ところで私は、まだこの文を配布する必要があるか。私はそう信じる。何が間違っているのか明確に診断するために。将来、同じような損傷が起こることを防ぐために。

主流の考え
私がこの文を書いた時、真のお父様、Chirst and Saviour Sun Myung Moonが聖和されて30日が過ぎていた。今日10月3日は、ドイツ統一を記念する国民の祝日である。ドイツ人は、この日を誇りに思っており、東ヨーロッパ諸国も同じである。しかし、彼らはドイツ統一を成し遂げたのは、マイケル·ゴルバチョフとヘルムート·コールの努力だけでなく、何よりも、レバレンド·ムーンの努力があったことを知らずにいる。レバレンド·ムーンは、ドイツでのカープ運動、さらに多くの霊人を動かして、彼自身が生きてきた神的生活スタイルが、ベルリンの壁を崩壊させた。これを信じる為には、霊界の影響を経験しなければならない。
すべての人間は、胸の深いところで、一つになりたいと思う。私達は家族、職場、地域社会で、1つになることを望まれる真のお父様が、他でもなく天上(天国)に聖和された理由は、心と体が一つとなり、人類が一つとなるために自身の生活全体を完全に供物として捧げて生きていたからである。このため、彼は王冠を被る資格がある。愛が流れて平和が花を咲かせるのは、統一である。アダムとエバは、間違った愛の沼にはまったが、レバレンド·ムーンは、サタンに勝利し、新しい愛の氏族の種となった。カインとアベルは、憎悪と敵対のどん底に陥ったが、レバレンド·ムーンは勝利し、平和を植え、愛で憎しみを克服した。
これがこの偉大な方のレガシーである。彼は自身の心と体を一体化させ、数千名の人が、彼のような道を目指すことに成功した。これが彼の勝利基盤である。彼は私達がすべての歴史を通して、約束された神様の国に入いれるように門を開いた。統一教員は、キリスト再臨時の、黙示録で言うまさにその人々である。「これらの人々は汚さず、忠実である者である。子羊がどこに導いてもついて行く者であり、人の中で拘束を受け、最初の実で神様と小羊に属する者たちである。その口に嘘がなく。傷のない者たちである」(第14章)
ユニフィケイショニズムのビジョンは、今まで存在したすべての宗教的ビジョンを凌駕する。それは、神様の考えが最も成熟して、本来の初々しい形で表現された神様の思想である。その実践は、神様の愛の水門を開く。8大教本に含まれているユニフィケイショニズムの主流思想は、神様の主流思想である。それは人類を一つの家族として結合する力があり、地球から永遠に戦争を追放する力がある。それは人類が、夢にもお互いを害する気すら起こらないほど、人類を一つにまとめることができる。それは性的愛の領域を、どのような悪魔の浸透にも影響されない、不可侵の領域に移行させる力を持っている。これは、人類の高貴な運命である。それは時間が存在して以来、常に神様の心に存在している。それは必ず実現されるだろう。

主流から離れる

驚いたことに、また別の思考が流れる。見知らぬドクトリンが統一運動に現れた。それは宗教において、いつものように下から現れた運動ではなく、世界の指導者から現れた。真のお父様が地上に生きておられた時の統一教会世界会長の演説を以下に引用する。

「ある姉妹が私に言いました。祝福家庭が世の中に溢れる罪のない世の中、そんな神様の国として、世界を願っていると言いました。(笑) おかしいでしょう。なぜなら、私達でさえ、今、罪を持っていますからね。そうでしょう。彼女は私に言いました。- それが神様の国であると願っている。そうですね。罪のない世界は存在するのかと私は言いました。- 原理では、神様がアダムとエバに何を与えましたか。自由意志を与えました。自由意志は危険がありますね。一方、アダムとエバは、神様を愛することを選ぶことができます。一方、彼らは自由な愛を創造することもできます。自由意志で、皆さんは初めて真の愛が存在する可能性を持つようになります。欠点は、 – これをアダムとエバに自由意志を与えた危険としましょう。欠点は、まさに彼らが罪を犯すことができるというんですよ」(文亨進、2012年7月20日、トゥデイズワールド、2012年7〜8月に掲載)

亨進様が、時間の流れと共に自らの罪を取り除く過渡期があるだろうと言ったならば、これは納得できる考えである。しかし、罪は永遠に陰にかくれており、世界から完全に追い出されることがないと暗示するならば、それは原理に対する誤った理解である。
亨進様は、多くの場合、私達の罪を指摘してこられた。まだ行くべき道は遠く、傲慢になってはいけないということにおいて、罪の指摘は良いだろう。しかし亨進様は、復帰された世界にも常に堕落の危険があると言いたいのならば、これは復帰原理に反する内容である。復帰原理によると、人間の完全な救いと罪を完全に根絶することは、神様の絶対不変の目的であり、必ず実現されるだろう。罪の力がはっきりと見える時がある。しかし、私達は決してその罪に屈してはならず、この世の中が完全に神様に復帰されるまで、努力しなければならない。これが私達の信仰の本質であり、イエス様と真のお父様の教えである。彼らは完璧な人間になることに成功した。彼らは私達が同じようになることができるという信念と期待を持っている。
この点について、原理の説明は明らかであり、はっきりしている。

「もしすべての人がこの一つの真理の下、兄弟姉妹として会ったら、どんな世界になるのだろうか。彼らは一つの大家族になるだろう。神様を親として愛し、兄弟の愛をもって互いに調和を成して生きていくことになるだろう。真の兄弟愛が人間の心の深いところから湧き上がってきたら、彼らはもはや隣人に苦痛を与える行為をしない。したがって、人類罪悪の歴史が終わると、人々が罪を犯さないようになる新しい歴史的時代が始まる」(EDP、p.9)

誰が正しいのか、亨進様、または女性食口。原理解説を読んでみることにしよう。
「もしこの罪悪の世界が、現在でも永遠に続くのなら、神様は自分の創造に失敗​​した無能で無力な神様となる。したがって、神様は何があっても、この罪悪の世界を救わなければならない。どの程度まで、神様はこの世界を救わなければならないのか。世界を完全に救われなければならない。まず、神様はこの罪悪の世界から、サタンの悪の力を追い出さなければならない。従って、この世界を人間始祖の堕落以前の本然の状態に戻さなければならない。したがって、救いは創造の善の目的が成されて、神様の直接主管圏に入るまで続けなければならない。病気の人を救うことは、彼が病気になる以前の正常な状態に戻すことである。水におぼれた人を救うことは、水に落ちる前の状態に戻すことである。同様に、罪の足かせの下で苦しむ人間を救うことは、本来の罪のない状態に戻すことである。したがって、神様の救いは、復帰摂理である。神様はこの悲劇的な結果を治して、人間を真なる本来の状態に復帰する摂理をしないわけにはいかない。神様に残された唯一の選択は、堕落した人々を救い、神様が最初に創造した本来の純粋な状態に回復させることである」(EDP、p.82〜83)

天聖経における真のお父様のみ言:
「成約時代とは、今始まる新しい時代を指します。それは家族、氏族、民族、国家、そして世界が一つとなって、一つの平和世界を造ることができる時ことです。この世界は家族だけでなく、すべての人を指します」(天聖経、p.2511)

「原理を用いて、絶対信仰、絶対愛、絶対服従に基づく世界のために、自分自身を捧げたとき、世界が自然に一つになり、高気圧地域が自然に満たされる時が来るでしょう。世界の統一は、自然に、葛藤なく行われるものであることは、論理的な事実です」(天聖経、p.2519)

完全復帰について語っている統一運動の経典の例は、数え切れないほど多い。文字通り、天聖経のみ数百個である。さらに聖書でさえ、再臨の時、完全、かつ普遍的な救いの問題について明らかに記録されている。「神様が永遠の前から聖なる預言者たちの口を通して語られた通り、万物を回復するまで天が当然、彼[イエス·キリスト]を受け入れるであろう」(使徒行伝3章21節) 数え切れないほどなんども、真のお父様は、地上の神様の国は全地球に拡張されると語って来られた。すべての人類が神様を中心に一つの家族になること、すばらしく、新しい創造文化について語って来られ、永遠の平和と永続的な幸福圏について語って来られた。誰がそのようなメッセージを理解できないというのか。
地上の生活から罪の根を抜くことができないと信じるならば、宗教的信仰の成長段階を超えられないだろう。つまり、キリスト教が止まっているところにいる。クリスチャンは、罪はキリストを通して許されるが、キリストは私達が罪を犯すことを止めることはできないと信じている。クリスチャンは、しかし、イエスが再臨する時、罪のない者になれると信じている。真のお父様の経験してきた、言うに言えない苦難の目的は、人間を罪から解放することであった。それは私達の生を辛いものにする罪であ​​る。それは私達と神様との間の障壁を作る考えや行為の罪である。神様の直接主管圏では、堕落の危険が全くない。

「神様の直接主管圏は完成の域である。それは、神様の創造目的完成のために必要なものである。神様の直接主管圏では、人は、自分から神様の心情を強烈に感じるようになる。身体のすべての部分が、心の繊細な方向に反応して瞬間的に動くように、人は神様の心情を深く体恤した思考に基づいて、神様のみ旨を自動的に行なうようになる」(EDP、p.44-45)

「愛の力は、原理の力よりも強い。アダムとエバが完成して、神様のような夫と妻になり、神様の愛の絶対な力による神様の直接主管圏に入れば、夫婦の愛は絶対的なものになるだろう。誰も、宇宙のいかなる力も、この愛の連帯感を破壊することはできない。この時点で、アダムとエバは決して堕落することができなくなる。夫婦の愛が神様に固く根を下ろせば、人間よりも劣った天使長の愛は、アダムとエバの夫婦愛を引き離すことはできないということである」(EDP、p.67)

復帰された世界では、やはり神様の間接主管圏に落ちる危険もないだろう。完成された夫婦、地域、そして社会環境は、堕落から若者を守る。罪を犯す危険性や罪自体を神様の国の重要な一部分として創造されたのであるならば、本来の原理の教えを捨て、復帰されない人間の弱さを土台とした考えを提案することとなる。しかし、原理を「改造」することはできない。 – それは一種の異端となる – 原理は、すでに真理の純潔な表現である。最近の真のお母様は、劉孝元先生(36家庭)が原理講義をされる幻想を強く経験され、眠れずにいらっしゃると語られる。これは、霊界が地上のリーダーシップに「真実に戻れ」と伝える明らかな信号である。
神様の国で、罪と武器の個人的使用の必要性について語られる亨進様の目的は何であるのか。それは神様の国に、強制的に、永遠に軍隊を配置しなければならないという國進様の間違った理論を弁護するイデオロギー的なフレームを作り出している。

永遠なる武器の国
國進様は最近、神様の国がどのような形を成すのかについて、彼の考えを宣言する多くの講演を行っている。原理を33年間、教えてきた統一教員として、300人のヨーロッパのリーダーとして、食口を教育してきた者として、國進様の「自由社会」の講義で、カインは常にアベルに潜在的な脅威となるものであり、そのため、武装しなければならないという國進様の発言に激怒した。それから「統一」のホームページのティムエルダーの文である。

「神様の国において武器の重要性という問題に対し國進様は、完成された人格者は、銃やその他の武器を携帯することは、宗教的な義務であるという。この義務は、神様の国に至る期間だけでなく、神様の国が確立された後も永遠に適用される。ここには3つの理由がある。一つは、神様の国では、未成熟と利己心は永遠に存在するということと関連している。 二番目は、平和警察と平和軍隊の理解と関連している。三番目は、第3祝福(主管)の理解と関連している。罪と悪が、神様の本来の計画の一部ではないが、未成熟さは計画の一部だということを知ることは重要だと思う。神様の国には二種類の人が住むだろう。人格を完成して、神様の直接主管圏に入ったレベルの成熟した人。そして、まだ、様々なレベルの成長期間にいる人である。神様は、最初のグループに直接主管権を行使するだろう。後者には、直接主管圏にある人を通して間接主管権を行使する」

「神様の国では、未成熟と利己心は永遠に存在する」という変な確信はさておき、神様の国で普遍的に、また永遠に武器を所持するという概念は容認できないものであり、奇妙なだけでなく、非論理的である。文亨進世界会長が、國進様のこれらの考えを積極的に支持し、武器を美化し、武器に対する嫌悪を「自由主義の洗脳」と格下げさせたのは、本当に恥ずかしいことである。亨進様が國進様のアベルの位置にいるのなら、亨進様は無条件に國進様の心から出てくるすべての考えを支持してはいけない。 – それは、責任を回避するアベルである – 亨進様は國進様を助けて、彼が考えを変えるようにしなければならない – 國進様のために、皆のために。会長の役割は、組織全体が正しい方向に進むようにすることである。
「統一」のホームページを見ると、天一国で武器は外的な安全だけでなく、「内的な安全」のためにも必要だとされている。私は「過渡期的神様の国」での武器の役割に代わるビジョンを提示しようと思う。以下は、即興的な考えに過ぎない。この問題は、徹底した研究が必要である(神学者たちはどこにいるのか)。
まず、内的な防御のための武器の必要性について考えてみよう。確かに、天一国では、形成期にあるので犯罪は多少あるだろう。何が正しいのかという思いがはるかに強くなる。たとえば、相手を中傷する攻撃者(偽りの証言)のような問題は、今日の社会を見れば普通のことである。しかし、神様の国では、良心と真の愛は、このような罪を犯さないようにする。人は、天法(原理)の教育に基づいて、より強い良心を持つようになるだろう。より強い家庭の営みは、天一国において、性犯罪がほとんどなくなることを意味する(家庭は愛の場所となる)。窃盗が減る(氏族が、家族の物質的に必要なものを管理するからだ)。汚職が減少する(公的資産を自分の資産よりももっと尊く思い、公的資産を公的な目的のために厳密に使用することに誇りを感じる。したがって、できるだけ多くの私有財産を公的なもののため捧げようとする)。
そうなれば、なぜ武装警察が必要なのか。天一国では、内的な安全のための必要性が台頭しないと考えられる。「統一」のウェブサイトにそう記載されている。原理を理解した成熟した者がいて、そうでない者もいる。しかし、成熟した者や、少なくとも成熟しようと努力する者が、多く増えるだろう。なぜなら、神様の国は自由選挙を通して建てられるだろうからだ(軍隊によって建てられると言う人がいるだろうか)。したがって、未熟な者の数は減るだろう。彼らは、多数の意見に自然と影響を受けるか、受けないか。特に、多数が少数に、家庭の営み、学校、余暇産業がどれほど美しく、すべてそれらを成功的に成すために、企業が共にすばらしい仕事をするという事実を示すとき、良い影響を与える。そのような社会に魅力を感じるか、感じないか。明らかに感じるだろう。
しかし、未熟な者の間では、ぼやけた感覚のため、どこに本当の幸せがあるのかを悟るのに時間のかかる者は常に存在する。したがって、天一国の形成期には、若干の犯罪は存在するだろうし、警察は必要である。そのような警察が、常に武器を所持する必要があるのか。なぜそうなのか。たとえば、堕落した社会の現在ですら、英国警察では武器の所持を必要としない。武器は、非常時にのみ使用される。したがって、武器は貯蔵庫に保管される。過渡期の天一国では、誰が武器を管理するのか。警察は、一般的な警察とならなければならない。誰も警察に武器を管理する権威を持たせてはいけない。そうでなければ、武器は大人達の間でやり取りされ、大人達は、武器を使用する訓練を受けることになる。これが、武力を完全に民主化するため、警察の力を維持するための方法ならば、そのようにしろ。
しかしすべての者が、自分の家に武器を持っていなければならないのか。なぜそうなのか。私は、神様の国には「転換期」の間、通常の警察の武器庫を除いて、神様の国では、すべての武器は禁止されなければならないと思う。すべての大人に武器を携帯することが許可されれば、これは明らかに「成長した少数」グループには大きな利点である – 彼らはできる限り多くの武器を集め、それらの使用を訓練し、訓練を完全なものにするため、犯罪にエネルギーを注ぐことになるだろうし、最新の技術を得ようとするだろう。将来、武器は致命的となり、殺人が簡単なものになるだろう。
外的な安全性はどうなのか。天一国が一つの国として定着し、他の国々が、私達の文化がどれほど素晴らしいものかを知るとき、彼らは私達と共にありたいと考えるであろうことが期待できる。しかし、まず私達は、平和、調和、幸福において、地球上で最も尊敬され、感心される国になったとしても、嫉妬による膨張主義的政策など、単なる悪でも、神様の国を攻撃しようとする国があるかもしれない。したがって、転換期には武器は必要である。つまり、私達のメンバーによる普通の軍隊が必要である。対案として、軍隊に服役することが難しい者の代わりに、自発的に服役することができるシステムがあってもいい。
スイスでは、武器は外部(内部ではなく)の攻撃に備えて、国民の家に保管される。外部の攻撃に対するより効果的な防衛策は核兵器である。しかし、核兵器をそれぞれの屋根裏部屋に保管することはできない。天一国では核兵器は必要なのか(精神的に変な人だけが、核兵器が神様の国の最終形態の一部であると提案するだろう)、という非常に難しい質問が提起される。しかし、天一国は、世界で強力な同盟国を持たなければならない。私達が真のお父様のみ言から理解できるように、環太平洋国は、道徳的に、物理的に、強くなければならない。何よりも、国家はもちろん、道徳的に強くなければならない – ローマ帝国が武力の力が最も強い時に崩れたことを記憶しろ。
神様が選択した保護国は、韓国、日本、アメリカ、環太平洋の島々である。神様の国そのものは、必ずしもその領土内に核兵器を持つ必要はない。それにしても、すべての国民がどのように武器を管理するのか。各自が順番に赤いボタンに手をあててか。神様の国に核兵器があれば、それらは少数のグループの人々の手によって管理されなければならない。
アベルが自分の力を武器により強化しなければならないという事は、決して穏やかな考えではない。しかし、カインとアベルの関係は、過去の失敗から、現実的に必要なことであるといえる。もちろん、武器は防衛策として使用することができる。原理では、サタンは常に攻撃してくるという。確かに武器によって強化することは、永続される状態ではない。ソ連は、弱い経済力のために武器産業が発達せず滅びたともいえる。しかし、現在の世界で危険なのは、中国である。中国には、望むがままの武器技術を持てる余力がある。このため、焦点は、相互間における兵器削減(多角的な武器解除)でなければならない – 国境を開放し、考えを交流し、相互間で助け合い、国際結婚を行なって – 真のお父様が生涯を賭けて開発したすべてのものである。一方、中国を見ると、中国の成功は、砂のような基盤の上に立っていることが解る。長期的に、自由市場経済が生き残るためには、自由で民主的な構造、例えば、教育機関、裁判所、圧力団体などがなければならない。中国が力を持てるのは一時的である – 中国が民主化されないと困る。また、世界のほとんどは民主化に向かっている。中国が民主化の道を行かなければ、孤立するだろう。

真のお父様が見たところの自由社会
自由という主題は、私自身、説教の中でいつも言ってきた。國進様が指摘したように、真のお父様は自由を家庭の誓いの最初に置いた。自由は必須である。自由なくして、愛、幸福、創造性は成り立つことができないのは事実である。しかし、統一原理がすでに言っているように、自由は堕落の原因ではなかった。堕落は無責任によって生じた、誤った方向の愛を通じて発生した。私達が無責任に行動する時、自由は無くなる。
神様は人間を、自分をイメージして創造された。したがって、彼らに自分のイメージ通り、自由を与えて創造するしかない。自由ゆえに堕落したというよりは、生殖器と人間の感情が堕落の原因である。堕落は、エデンの園で保護権がなかったので起こった。保護権は、人間が成熟すると自動的に立てられ、その時、天使たちも共に成熟​​する。そのような保護権は、決して非原理的な行動に侵されることがない – 人間が罪を犯せば、苦痛を伴うことになる。成熟した家庭と社会は、成長する子供たちを100%保護できるようになるだろう。原理によって明らかにされたように「人は絶対、罪を犯さない」世界がくる。人間の病気は、治療されるべきであり、そうなるだろう。
数十年前、真のお父様は、どうして未来の世界が氏族や地域社会を基盤とした社会になるのかについて語られた。お父様はまた、都市間の大規模な移住を予見された。国家の力は、大きく縮小され、警察は、主に地域レベルに集中するだろう。家庭と氏族が社会の中で、自己決定権を持つ。真のお父様が見る社会は、軍隊と法律家が必要でない社会である。窃盗、汚職、暴力犯罪などを処罰する法は、必要でないことになる。家庭が原理に基づいて生き、また、家庭の誇りが脅かされる時、自分の家庭が最も厳しい裁判官となり、親は子供が自分たちの延長体であると感じる。しかし、すべての家庭が自分自身の軍隊とならなければならないという意味ではない。
真のお父様は、誰もが人間の体の細胞のように機能する平和世界を描いた。防衛のメカニズムが体全体に存在するが、それぞれの個人の細胞自体が、武器が必要なわけではない。神様の国は、無秩序ではない。天法に基づく秩序ある社会、人間の体のように、完全に調和された機能をする社会である(EDP、p.342)。同じページにこう書かれている。「結局のところ、神様の理想を実現する社会主義的社会が立てられるのだ」
無政府は、事実、神様の国の反対である – 秩序のとれた体の癌細胞のようだ。真の社会では、それぞれの家庭の氏族は、独自の細胞であると同時に、他の家族の氏族と協力して、自分の役割を果たしている。それぞれの細胞は、同じ価値を持つ。それぞれの細胞は、自分の機能を知っており、体のどの機関になくてはならないのか、まるで人間の細胞が、どの器官、または体の他の部分を形成しなければならないのか知っているかのように。体の細胞は互いに攻撃しない。そんなことになれば、体は病気により倒れてしまい、これは筋肉が萎縮する時に起こる。
神様の国において不要となる法の種類は、他の伝統的な法制度だけでなく、刑事、そして民事法の大部分である。私達が絶対的に必要な唯一の法は、天法(統一原理)である。神様の国は、人の「心に書かれた」天法によって統治されるだろう。家庭自体は、天法を受け入れなければならない。たとえば、適切な性関係(アダム-エバ)を持って、攻撃に対する統制を持ちながら、(カイン-アベル)、あらゆる嫉妬も悪意に変化しないようにしながら。すべての家庭が成熟するまで、時間がかかるだろう。したがって、警察の力が、天一国の転換期には必要である。私が上記で指摘したように、天一国が永遠に武装しなければならないという理由はない。
それならなぜ、統一ホームページのテキストでは、普遍的に永遠の武器の存在を擁護するのか。理性的な論証がなく、粗野な論理があるだけである。すべての家庭は、自分の状況と存在に、完全な責任を持つ。したがって、家庭は自分の防御にも責任を持たなければならない。このシナリオには、実際の社会はなく、ただ無政府だけがある。しかし、社会なくして神様の国もありえない。また私は、すでに誰もが無制限に武器を所持する恐ろしい結果を、上記で表示した。これは成されない。なぜなら、武器は神様の国において永久的な役割をするものではないからである。全世界人が兵器化された世界で生き残ることは、結局、一人の武器の有用性にかかっている。そのような地獄で、家庭は連帯して安全性を高める。連帯する時、おそらく専門的な永続的な軍隊として、小さい州を形成し始めるだろう。その過程で、戦争で引き裂かれた歴史の起源を振り返る時、ヨーロッパ人達に、親しく聞こえる過程ではないのか。
人間を殺傷し、殺すために作られた武器は、本来、間違った道を行くカインを通して役事される悪魔の発明品である。サタンは人間に、実際に役立つものを作り出す能力がない。サタンは武器を誇り、全体主義、軍国主義者と共産主義の国家で、武器のパレードを好む。武器はまた、ギャングスターたち、無法者たちは、多くの敵を作ること以外に、特に役にたたない利己的な者の間で著しく目立つ。サタンの手に置かれたカインは未熟で可哀相な存在、人格と心情がない存在、制御不能になると、最終的な解決策とは武力を使用することであると信じる者たちである。神様は真理の武器を好む。「彼は自分の口から出る棒で、無頼のやからを打って、自分の唇から出る風で、悪人を殺すだろう」(イザヤ書11:4) 悲しいことに最近、暴力は文明の主要部分となっており、特に米国文化ではそうである。人はさらに、野蛮、拷問、殺人の映画を楽しむ。それはポルノと同じ弊害である。
神様の目的は、武器を不要とすることである。武器は決して、真のお父様の思想において、重要な役割をしていなかった。お父様が武術を創案するときでさえ、全体的に、身体的な防御を不要とし、精神的な強さを最後のカードとした。グランドマスターは、霊界から訓練された。ではなぜ、武器は國進様の天一国で、それほどまでに重要な役割を担うのか。明らかに、武器という主題は付随的であり、さらに三番目の重要性を持つ。天一国で武器を使用するためには、天一国の主人にならなければならない。最も懸念されることは、どうして神様の政治的統治権が優先されるのかである。國進様は、武器産業をされるが、神様の国の性格に対する彼の考えに、影響を与えてはならず、國進様は、個人的考えを世の中に説いてはいけないと思う。
武器産業に係わることは、統一運動に不利益となる。今まで私は、武器によって多大な利益がもたらされたということのほかに、どのような利点も発見できなかった(違うというならば、教えてもらえるだろうか) – これは道徳的に正当化できない理由である。今年初め、韓国で開かれたUPF会議で、ロシア出身の高官級軍事警察の管理が招待され、國進様は演説され、彼の軍用車を試験運行した。会議の参加者たちは、軍事機器のカタログを受けとった。ロシアの代表が、國進様に、ロシアに武器を供給する計画があるのかと聞くと、國進様は「違う。あなたは私の敵ではない」と答えた。言うまでもなく、国家を敵と呼ぶことは、友情を築く方法ではない。もちろん、中国は、簡単に敵とみなされるだろうが、しかし、1990年代、天安門事件の時、真のお父様は、中国と未来の世界秩序において、中国の役割について多くの肯定的な言及をされてきた。お父様は「人は、より多くの自由を与えられなければならない。がしかし、中国はとても大きいために、自由は一夜にして得られるものではない」と語られた。その後お父様は、この国で多くの教育経済プロジェクトを開始された。しかし、そこに何の基盤が残っているのか。
真のお父様は、繰り返し、ご自分に敵がいないことを語ってこられた。また、神様には「敵」という概念がない。神様の主な特徴は、ペアになったシステムと共同である。真のお父様が明らかに語られることは、目標は常に、友を作ることであった。共に真実を語り、変われるように助ける。金日成を抱きしめ、北朝鮮の経済を盛り立てるために事業を起こし、境界をのり越えてより多くの交流のために観光産業を起こした。もちろん、国家体制が神様と関連して、どのくらい近いか遠いか、民主主義と宗教の自由の程度は知っていなければならない(EDP、p.371)。しかし、友愛の関係は、最後の瞬間まで天法である。
1970年代や1980年代初頭のように、最近は、一方的な武装解除を信じるほど純真な人はあまりいない。ドイツで社会民主党と緑の党が成熟し、その考えを断念した。しかし、多国間軍縮(すべての側の武器の削減)は、明らかに平和を愛する人の目標であり、明らかに真のお父様の目標である。これは私達の運動の方策の中核とならなければならない。武器を作らなければならないのなら、ひたすら相手の攻撃国家が持つ武器の量に比例しなければならない、いまだ一方的な武装解除を中心目標として維持しなければならない。このような考えがほとんどの人に当然のように聞こえるが、今、私達の運動の指導部は明らかではないようだ。
ドイツでは、サタン、カインの性格とイデオロギーを非常によく知っている。統一教員として、私達はしばしば、左派の攻撃者から、物理的に守らなければならなかった。しかしついに、私達が尊敬されたことは、物理的な力ではなく、不屈の精神であった。反対デモの30万の群集の前に立ったとき、ただ精神と声だけだった。神様は私達の見方だった。私達は、霊界を動かし勝った。本来、デモほどの大きなニュースを作り、完全に相手の立場を弱体化させ、物理的に強い抑制策を持つ必要があることを非常によく知っている。ドイツのCARPは、ロナルド·レーガンの戦略防衛計画(SDI:Strategic Defence Initiative)を公開的に支持し、これはドイツでは容易なことではなかった。私達はまた、武術を熱情的に訓練した。私ですら黄色い帯をとった。
霊界の力を過小評価してはいけない。ベルリンでは、時々、霊軍の存在を感じることができる。まるで「剣で空気を切るように」。神様と霊界を除けば、常に物理的な武器が必要だと考えるようになる。罪を解決できないという概念は、カインから永遠なる脅威、神様の国に武器は永遠に存在するという主張は、神様と霊界に対する弱い信仰を表すものだと聞こえるだけである。その結果、神様の国ではなく、恐怖、不信、妄想のサタンの国となるだろう。

結局、武器はどうなるのだろうか。ほとんどの武器が人間に傷害を負わせ、殺害する目的で製造されるので、武器は神様の世界家族、復帰された堕落以前の本然のエデンで、どのような立場もない。天一国の最終目標は、武器の必要性を完全に排除することであり、武器を地球から追放することである。真のお父様は平和メッセージ1章でこのことを表現している。

「今日戦争は、ただ対立を解決するための、原始的で非常に破壊的な方法であるとみなされるだけである。そのような方式で、世界平和を成し遂げることはできない。預言者イザヤの言葉を引用すると(イザヤ2:4)、剣を打って報酬を得、槍を打って鎌を作る時が来る。人類は戦争の歪んだサイクルを終わらせなければならない、子供の人生を犠牲にして、天文学的なお金を無駄にする。世界のすべての国家が、資源を利用して、常に、この偉大な宇宙の主である神様の目的であった平和世界をつくる時が来た」

イザヤの一節を用いれば「国と国が、再び剣を持ってお互いを打つことがなく、再び戦争をしないであろう」
カインの心が溶ける時、絶対的な愛の存在は、武器を必要としない。絶対的な愛は、カイン-アベルの構造を所定の位置に戻す柱である。絶対的な愛により、立場さえ溶け​​てなくなる。これを国家のレベルで投写する時、同じ原理が適用される。防御のために武器を使用することは、神様の「敵を愛しなさい」という蕩減条件を通して完全にカインを屈服させるまで、一時的に必要な悪である。この原理は完璧なものだ。成熟した人には、憎しみも性的な誘惑もない。サタンの影響が、地球から根こそぎ引き抜かれるためである。神様が存在する限り、必ずその日が来るだろう。ヨセフは圧迫を受けても、夫人の性的誘惑を拒否する十分な人格を持っていた。エサウとヤコブの原始時代でも、たった一つの武器もなく、ヤコブはエサウの軍隊に勝った。自分を殺そうとするエソウの欲望に勝った。今私達は、石器時代に戻って、すべての家庭を武装させようというのか。それは、地上における神様の国のため、どんなに悲惨なビジョンであろうか。
神様は人間に、自分の大切な子供のように、深く考える能力、良心の声を聞く能力、自分自身について熟考する能力、真の愛を実践する能力を与えられた。私達は、物理的な力を喜んで放棄しなければならず、動物以上にならなければならない。それが、真のお父様が一生を通して、教えて来られた神様の国のビジョンである。

誰が「カイン」であり、「アベル」なのか
何がアベルとカインを決定するのか。カインは本当にアベルにとって永遠に危険分子なのか。真のお父様のみ言によると、カインとアベルは、他者中心対自己中心のレベル、または全体目的対個人目的のレベルで決定される。全体目的を中心として、原理に最も近い者がアベルである。自分自身の感情と利己的な目的を中心に、葛藤と反目を引き起こしている者がカインである。
カイン-アベルの関係では、アベルはカインを愛し、仕え、自然にアベル自身を仲裁者として受け入れられる、責任ある行動をとらなければならない。カインが応えない時は、アベルは兄弟の心を得るまで、愛し仕えなければならない – アベルはカインに対して、愛の主管を持ちたいと願わなければならない。「強いアベル」は、まず、天の愛を実践し、天の律法を守ることに強くなければならない。
復帰の道で、カイン-アベルの位置は一時的なものである。また、カイン-アベルの位置は、それが必要であり、その地位を占める者が原理を実践する限り、持続されるだろう。カインの協力がなければ、アベルは何でもない。さらに、アベルは神様の摂理に障害となると取り替えられなければならない。復帰された家庭では「カイン」と「アベル」という名前は消える。復帰された家庭では、兄弟の中で永遠の主体の位置は長男、もしくは、最もよく仕える子女である。長子には本来、神様の伝統と家庭の伝統を保護する責任があり、親に代わり、その伝統を兄弟たちに教える。
カイン-アベルの区分は、人間の堕落の2番目の部分であり、神様の心情を突く二つの大きな釘の中の2番目である。現在、真の子女の分離は、カイン-アベル原理の誤った理解の結果なのか。ある韓国人の兄弟は、葛藤は深刻なものではないと説得しようとしている。「なぜなら、常に歴史上、兄弟間の葛藤があったからである」しかし統一運動において、私達は新しい歴史と文化を立てるようになっており、多くの苦痛と破壊を起こしてきた過去の失態を繰り返してはならない。明らかに、私達にとって、堕落した歴史の地獄、憎悪と葛藤を克服することは、堕落した性的愛をなくすとともに、先決課題の一番上にある。
私は常に、子女様に協力する思いを持っていた。孝進様と顯進様を、彼らがワールド·カープの会長をしていた時に仕えた。欧州カープ会長として、顯進様と仕事をした。真の子女様と大陸指導者の間を仲介する位置は容易ではなかった。私が見たところによると、真の子女様達は、神様の国建設に対する独特な役割がある。彼らのうち誰ひとり失ってはならない。彼らの過ちを見て明らかに分かるように、彼らにも誤りがある。しかし祝福家庭には、彼らを助ける責任がある。
私達がどれだけ多くのものを真の父母様から貰い、その結果、子女様達がどれだけ多くの関心を受けることができなかったのかを考えると、真の父母様の家庭に協力することで、受けた恩を返せるよう努力しなければならない道徳的な義務がある。しかしどうやって。明らかに、子女様達の言動のすべてを受け入れることが、彼らを助けるものではない。彼らを助ける最善の方法は、彼らに協助すると共に、彼らが妥協することなく、真の愛と原理の道を進めるように案内し助けることである。子女として、彼らは愛と愛の多くの面において、最も優れた教育を受けられなかったようだ。たとえば、「助ける天使たち」(祝福家庭)が真の子女に、彼らが武器による訓練を受けるとき、暴力に対する神様の観点について教えたのか。
亨進様と國進様が責任を負われた時、私達は心を尽くして、彼らをサポートした。実質的に献金をし、また、私達が信じる真の父母様と議論して、彼らに来たる摂理的方向と一つになるように努力した。彼らの宣教と経済面での仕事に感動を受けた。亨進様(そして真のお母様)のように、効果的な伝道をせず(霊的な生活を与えず)に発展することはできないと考えた。統一原理セミナーを、地域教会で新たにし、原理を脚色し、それを真のお父様のみ言と、天聖経、他のテキストと結合し、また、実際の生活の中での多くの例を挙げた。これは効果があった – 招待された人が1日セミナーに出席した後、7日修練に参加した。
私達が伝道するとき、私達の靭性、信頼、真の愛、精誠は霊界を動かすのに不可欠である。しかし、人々を、私達の方に引き寄せるのは、何よりもユニフィケイショニズムの力、真理である。私達が本来の状態に復帰することができるという理想は、本然の人間に向かう神様的心、傷を治癒しようと熱望する人に感動を与える。多くの場合、経験から見て、わずか7日間の講義と希望に満ちたユニフィケイショニストと共にすることで十分である。原理は人生の究極の真理であり、真のお父様はキリストであり、世界は完全に癒され、復帰されるということは事実である。
罪を神様の国の一部であるとするならば、妥協することに終わりがなく、神様の国は消えてしまうだろう。カイン-アベルの問題を解決するための希望を失うなら、どうして指導部は、将来、アダム-エバ問題を扱えるだろうか。私達は、この部分について妥協することはできない。どんなに時間がかかったとしても、カイン-アベル、アダム-エバ問題のすべての傷跡は、地球から洗い流される運命にある。これは変更のできない目標である。
一方、亨進様の鋭い罪意識によって、真のお父様に引き継いで、彼が次の救世主であるという誤った考えを持たなかった。彼は簡単に、戴冠式をもって合理化し、そうすることもできた。その点においては、亨進様を賞賛しなければならない。
「真の子女」という用語は、はっきり言って、彼らが完全に真であるということを意味するものではな​​い。それは希望であり、目標であって存在そのものではない。亨進様は、彼に罪があることを深く認識している。それはそれでいいとして、彼が、罪の問題を解決することができるという希望を失ってはならない。彼にはそれを解決することができ、また解決する。たとえ何世代かかったとしても。真のお父様は、心と体が一体化したこと以外において、私達と違わないと語られた。この点で、彼は人類の真の種である。メシアの考えとは、私達が皆、彼のようになることである(「第2のレバレンド•ムーン」)。これを成すため、私達は絶対的な信仰、愛、服従を練習しなければならない – しかし、「神様を中心に」、自分自身の概念を中心としてではなく。服従は少なくとも天法、真のお父様のみ言に服従することで始まる。これは特に、統一の世界リーダーに期待されているものである。真のお父様に任命された者が、統一の天の基準を満たすことができないのなら、神様は真の父母様が昇華した後も、他の人を任命されるだろう。
真の子女達は、真のお父様と共に暮らしていたので、真のお父様を誰よりもよく知っていると言える。しかしこれは疑わしい。食口は真の子女よりも長い間、真のお父様と共に生きてきた。私達の関係は、お父様のみ言と一体化することで霊界に通じたものであって、今でもそうである。ユダはイエスと外的に共にあり、弟子の中でも重要な責任を負っていた。それでもユダはイエスの考えを全く理解しておらず、さらに、神様の摂理の計画を破壊する重要な要素となった。しかし、イエスに会ったパウロは、イエスの精神を受け継いだ中心人物であった。
私達の共同体の兄弟たちによる悪意のある行為は、私達の心を堕落させる。真のお父様は本当に、兄弟たちの間での排斥の程度を知っておられたのだろうか。本当に、戦争のレベルにあるということを知っておられたのだろうか。私は、顯進様を非常によく知っている。彼は、悪人ではない。彼はいつも、どうすれば真の父母様と神様の摂理に協助できるか、常に考えている。食口は、顯進様の家庭が、聖和式の日韓国の新聞に発表された弔問公式名簿から除外されたことを知って衝撃を受けた。「放蕩息子」「罪人」「犯罪者」であったとしても、どうして家族が、このような行動をとるか。真のお父様がこれを見られた時、聖和式をどう感じられるだろうか。愛を実践しなければ、天法に従う者ではなく、せいぜい罪の深淵の上で綱渡りをするようなものである。
兄を反対するキャンペーンは、災害に変わった。膨大な公的資金を訴訟に充てている。法廷で戦うことは、統一運動を笑い物にし、分裂を助長するものである。私達は一つになろうと主張するが、悲しいことに、私達の運動の中心が分裂している。「強いアベル」とは、単に、敵対する非原理的な行為を正当化させるために使用される用語であるだけだ。真の愛、天の基準と原理に何が起こったのか。
二人の弟は、兄である顯進様に対して、長年にわたって魔女狩りを行なってきている。彼らは世界を巡回して、顯進様を「堕落したアダム」、郭錠煥会長を「サタン」とする講義をした。明らかな人格殺人が、尊い教えとして原理によって包装された。また、真のお父様を説得して「異端者と爆破者」の文書にサインさせた。真のお父様はサインをする前に、「顯進」という用語を脱落させた。この非常に明白な行動は、氷山の一角に過ぎなかった。これらの膨大な次元での、統一教員対統一教員が反目する現象は、統一運動の歴史上、前例のないものである。
しかし、顯進様が実際にそのような非難を受けるに値する行為をしているのか。皮肉ながら、彼のメッセージは弟たちのメッセージよりも、真のお父様の教えとより一致している。顯進様は、一つの世界家庭や神様の夢に対する信仰を失わなかったし、それを実現するためのプロジェクトを行っている。神様の仕事をする者が、なぜ非難されるのか。返せと要求される公的資産に、顯進様が執着心を持っていることに対しては認める。しかし、このように動く動機や状況を知らずに「罪人」の烙印を押すのは、あまりにも単純に見える。双方がこれまで和解するためにどのような努力をしたのか。この家族の混乱が一般食口にはよくわからないが、知りたいと思う。なぜなら、それは私達の運動に、よくない影響を与えているからである。真のお母様が子女達を和解させることを期待する。「み旨のあるところに道がある。特にそれが、神様のみ旨であるならば」
私について言えば、完全に目が覚めた事件は、神様の国では、皆が必ず武器を持たなければならないという國進様の考えだった。私達のほとんどは、すべての人類が信頼と兄弟愛に基づいて、一つの世界の食口として生きていく、真の平和王国を建設するために人生を捧げた。 8月初め、なぜ真のお父様がこういう時に病気なのか、なぜ統一運動が引き裂かれ、原理と関係のない奇妙な考えが浸透するようになったのか、祈りまた祈った。私達の運動が、思想や文化を離れて行くと思った。その時、亨進様と國進様に、自分の理論ではなく、原理を説いて実践されることを訴える内容の手紙を書いた。それが2ヶ月前であった。今まで、この文を完成する時まで、何の返事もなく、私の手紙が二人に渡されたのかどうか、教えても貰えず、確認もできないでいる。
才能のある多くの人材が、すでに私達の運動から追放され、神様の貴重な霊的資産がたくさん失われた。最終的な被害は、統一原理の柱を否定し始めたことである。亨進様と國進様は、公式に原理に反するすべての教えを撤回しなければならない。彼らが個人的に、そのような考えを固守するのは、彼らの自由である。しかし指導者として、そうしてはならない。残念ながら、私達の運動には、世界の食口がどのような行動をとるべきなのかという決まりがない。これがまさに、統一運動が緊急に改革される必要がある理由である。
統一原理は単純な理想主義ではなく、究極的な現実である。不信と憎悪は病気である。未来において武器を使用しなければならないのであるならば(しかし、そうならないことを祈ろう)、力のある友から、同盟国から武器を調達することができる。強い友がいなければ、私達の小さなグループには自らを守る術がない。真のお父様のやり方は、心と体を一体化させて霊的な強さをもって、強い同志を見つけることである。彼のやり方は、強い武器や強い敵を作ることではない。特に中国は、神様の国のための偉大な精神的文化的レガシーを待っているところである。復帰原理に対する信仰に戻らなければならない。ヒトラー、サタン、それ以外の独裁者たちは、理想世界に向かう近道であると思ったが、それは違った。愛の法則は、鉄の法則である。人を愛し、​​愛せない国を愛する方法を学ばずに、理想世界を実現することはできない。人と国家を愛する最も優れた方法は、彼らが彼ら自身の可能性を完全に実現できるように助けることである。だからと言って、攻撃的な中国に対し、防御が必要ではないと言うのではない。もちろん、防御は必要である。誰もがそれを知っている。

統一運動における新たなリーダーシップパラダイムの必要性
多くのメンバーが統一運動を去る主な理由は、真の父母や統一原理に不足を感じてではなく、間違ったリーダーシップのためである。統一原理は完全であり、完璧である。それに、付け加えたり、抜いたりすることは、非常に危険である。神様の国がまだ来ないと言って、去って行くわけではない。自分を中心に運動を引っ張っていく者に対して、希望を失ったからである。残念ではあるが、指導者の文化について述べる必要がある。なぜなら、非原理的指導者のスタイルが、まだ私達の運動に存在しているからである。立派な国家、地域指導者も多いが、弊害の理由は、自己中心的な傾向、指導者が育つ家庭、堕落した文化のためである。
どんな指導者であっても、最も大切なものは「善」である。事業面における明敏さ、知的な機知、外交能力も重要であるが、「善」は必須である。指導者たちは、あまりにも統一原理を自分たちの利己的な目的に合わせて解釈してきた。
私は1979年入教後、ずっと指導者の役割をしてきた。指導者として最も大きく悟った事は、指導者は僕となって、人々を神様の王座に導かなければならないということだった。真のお父様のみ言で、食口の必要性を本当に知りたいのなら「数千人のアベルのためのカインとなりなさい」というみ言がある。さらに指導者は、統一原理を「痛みを感じるほど」愛して、何百回も教えることによって、学ばなければならない。指導者は、その方法を通してのみ、み言を具現化することができる。
統一家では、代表となる素質がなく、不適当であると侮辱されるような人が、指導者に任命されることはよくあることである。一般的に、地位が高いほど素質はないものである。改革するには、随分、遅れてしまって、統一家には、人材に対する現実的な概観すらない。むしろほとんどの食口が、指導者よりも多くことをよく知っている。統一家は、これからどんな次元の伝道が暗いのかさえ分からない。したがって、指導者任命を含めた民主的な意思決定の過程が、統一家には切実に必要である。原理的な道、天道としての民主的過程を裏付ける本文を読み漁る必要もなく、原理講論前章で容易に見つけることができる。

「今、人類歴史の終末を告げるこの終わりの時にあって、天倫は、ついに供え物や土地や人を奪い、幸せを享受できると考えてきた歴史的な段階を過ぎて、民主主義という名を持ってこの地にやってきた」(原理解説 p.87)
天聖経のみ言によれば、天国では候補代表は、人々によって選出される(上からの選出ではなく、下からの選出)指導者は、この候補者の中から選出されるが、霊界の働きを考慮して抽選で選出される。天一国の主人時代では、神様は選ばれた少数の指導者だけでなく、すべての祝福家庭を通して働かれる。統一家においては、人間が神様の形状に創造され、ユニフィケイショニズムは、人類歴史上、最も発展した哲学であり、統一教員たちは皆、メシヤという信仰が基になっている。したがって、統一家では、神聖な権威と政治力を土台に、食口にとって民主主義的な究極的模範とならなければならないということである。しかし、皮肉なことに、意思決定への参加について、私達はまだ、中世時代に留まっている。
ならば、指導者の主な役割は何なのか。私達が皆メシアであるなら、なぜ、他人に導かれなければならないのか。指導者の主な役割は社会を導く​​ことである。そのため、氏族的メシヤとして、地域社会をリードしなければならない私達は、指導者とならなければならない。天界の構造が地域社会を基盤としていることを記憶しろ。だから真のお父様が最後の祈祷をされながら、氏族的メシヤの事をそれほどまでに強調されたのである。
統一家内部において、優秀な指導者は必要ではない。天一国主人として、神様の摂理と自分自身を導く能力がある。氏族的メシヤは時代を解釈し、今の時代の摂理的に何が必要なのか理解できるだろう。また、私達は霊的にどのような精誠をつくさなければならないのかについて、方向を決定する世界指導者を必要としない。氏族的メシヤとして自ら、これを決定する能力がある。私達に必要なのは、二つの主要な分野での基礎段階にある世界加盟国を支援する世界本部である。氏族的メシヤを実現するための道具と​​UPF事業を完遂するための道具と​​して、良い教育資料は、当然、必須要素である。
世界会長の位置は、永久的な位置ではない。私は個人的に、原理の根本をそうやすやすと投げ捨てる指導者を信頼できない。2011年、ベルリン訪問の際、真のお父様は世界会長の位置が、永久的な位置でないことを指摘し、公開的に亨進様を世界会長の位置から解任しようとされた。真のお父様は、過去に他の人を世界会長に選択されたことがあった。それは、その位置は真の子女のために、永久的に予約された位置ではないということである。 2011年2月末、韓国の麗水で真のお父様は、世界統一家に対する現状報告を受けられた後、統一家を全般的に責任を負う位置に、黄善祚会長を任命し、亨進様と國進様を、彼の管理下に置かれた。真のお父様は、天正宮に戻られた後、訓読会で、この決定を発表された。しかし、世界本部はこれを公式に発表しなかった。真のお父様のみ言が徹底的に無視されたのだ。後で黄会長に反対する巨大な匿名のキャンペーンは、インターネット上で行われた。真のお父様の決定を、事実上破棄したこの事件は、統一家歴史上、前例のないことであった。「強いアベル」という言葉が、反対者に対して、非原理的な行動を正当化する時に使われる用語となってしまった。
「世界アベル」の位置が永久的であると仮定する何の根拠もないが、最もアベル型の人物がこの役割を引き受けなければならない。ならば、世界的レベルの長子、または世界アベルの役割は、正確にどのようなものなのか。世界アベルの役割を明確に定義されたものはない。しかし、それは定義されなければならない。
本然の血統を示す真の家庭の地位は、永遠に特別なものである。しかし、政治的なものではなく、心情的なものと関連があるが、地位は国際統一家を運営する地位ではない。運営のためには、少なくとも食口によって選出された理事会や諮問委員会が必要である。理事会は、国際的関心事項の問題を決定し、教育的に有用な助言をすることができる。また、理事会は、教育機関や国際機関、清平の施設(当然、国際施設である)など、世界統一教会の機関を監督しなければならない。つまり、このような機関に影響を与える可能性がある事案を、個人が一人で決定することは間違ったことであるということだ。
統一家には、尊敬される人物が多かったが、残念ながら、堕落したケースも多かった。真のお父様は、これを一般的な歴史問題と言われた。人はある基準を持って生き、絶頂を迎えるが、老年にその基準を失って、霊界に行って大きく後悔する。それは真に残念なことである。例を挙げてみよう。訓母様によって組織される清平修練所で、最近、アパートや家をカタログで選んでお金を払えば、霊界に行った時の建物を建てるそうだ。霊界に行けば、用意された住居を持つことができるように。正直このような慣行は凄まじい。審判の手段は原理である(良心は勿論)。天聖経に「霊界の所有権は、伝道によって決定する」というタイトルのみ言がある。子供を献身的に世話した高齢の人の証(p.594)、肉体の子供を持つ「愛の心情」(p.598)はもう一つの財産である。あの世でお金は必要なく、権力は必要ではない。「これから霊界に行くとき、何を持って行くのかというと、お金を持って行くのではない。統一教会の名前を持って行くのでもない」(p.588- 翻訳者注)
非常に最近、私達の家も他の家庭と同じように、先祖解怨のために1万ドルを献金した。しかし、そのような腐敗した慣行の中心にいる訓母様の事業をどうして信頼できるだろうか。私達は、真のお父様によって任命された人を簡単に信頼し信じる。私は個人的に、決まった額の献金に同意することが、いつも納得できない。それは単に、与えようとする心に矛盾すると考えられるからだけではない。食口の収入が千差万別で、異なるからである。しかし、多くの人は、ずっと信じてきた。もちろん、訓母様が清平で大きな仕事を成したことは事実である。しかし、今日行われていることを見れば、神様の忠実な僕であった者が脱線するもう一つの例にすぎない。善と悪の境界線が再び崩れたのである。もし食口を代表して、清平の行為を制御する理事会があったなら、不信任と腐敗に対して、効果的に対抗する保護手段となっただろう。さらに、膨大な公的資金と資産が清平に蓄積されることもなかっただろう。しかし今日まで、このすべての物質的資産の安全の確保に責任を持つ機関が、ひとつもないという事実は、気がかりなことではある。

 真のお父様は原理を研究して神様の王国を設計するために、統一思想研究院と世界教授平和アカデミーのような立派な機関を設けられた。ところが経済に責任を持っておられる國進様が、不意に神様の王国の構造を自主的に宣言されるので、全く奇妙なことである。二人の兄弟が望むことは、何でも言うことができ、何でもできると考えていることは、称賛に値する一因であると同時に貶すべきことだが、究極的にこのような事が起るのは、統一家の抑制と均衡が崩れたためである。
権力、お金、セックス、憎しみ- すべての人、特に自分が上流階級だと思っている管理職の人は、たやすく引き落とされる落とし穴を持っている。だから悪用に対抗する保護手段が緊急に必要であるということだ。

ユニフィケイショニズムの未来

神様と創造の核心は統一であり、統一は最も急がれる先決課題である。そのため、真のお父様は、統一家に「統一」という名前を下されたのである。統一は、真の愛の実践を通して成すことができる。これに対し、すべての邪悪なイデオロギーは、憎悪と闘争をその構成要素としている。世界の分裂を治療することは、私達の宿命である。しかしその前に、私達は、統一コミュニティ内の分裂から治療しなければならない。
私の見解からすると、亨進様は、お父様が過去90年代に「統一教会」のすべての看板を下ろすこと明らかにされたにもかかわらず、統一教会を再建された瞬間、誤った道に入ってしまわれた。 「教会」という言葉は、後天開闢時代にはありえない言葉である。まず、その言葉は、私達を家庭の救いではなく、個人の救いを土台としているキリスト教の特質に限定される。第二に、その言葉は、私達を人類ではなく、固有の共同体に集中される。第三に、「教会」という言葉は、他の宗教の信者、例えば、イスラム寺院やユダヤ教の礼拝堂と仏教寺院などで礼拝を捧げる信者たちを尊敬していない言葉である。「家庭連合」という用語は、完成時代に属する言葉で1994年の家庭の誓いにその根を置いている。教会になるということは、人類の統一に貢献することではない。興味深いことに、「教会」という言葉は、統一家を記述するために使用される本来の名称にもない言葉だ。統一家を記述するために使用される単語は「協会」である。
真のお父様によると、私達の目的は、教会の建物の中で礼拝を捧げるのではなく、基本的に、家庭と食口の間で、神様に礼拝を捧げることだとされた。新しい共同体は、その機能も普遍的な「統一党(house of unification)」と呼ばれるべきである。全体共同体は、そこから家庭を取り戻さなければならない。事実、お父様は統一家が発展させるべき分野について、多く指導された。しかし、それは過去にもそうだったが、世界指導者によって完全に無視された。これは非難ではない。- おそらく、他に緊急の理由があったのだろう – 事実に対する見解に過ぎない。
統一教会時代の終末は、摂理的にみて必然的である。私達には、教会を越えて、復帰家庭の時代に入らなければならない宿命がある。摂理的に家庭連合こそが、宗教の教理を超えた本然の世界圏にある。歴史の宗教の比較をする時、私達に適切な構造は、ローマカトリック教会よりプロテスタントのほうである。ローマカトリック教会は、神様と人の間に天幕を張り、ローマ帝国からその権威主義的な文化を継承した。
入教した本来の動機を振り返って見ることは、価値のあることだと思う。私は個人的に、どんな教会にも入りたくなかった。このグローバル時代に教会という概念があまりにも嫌だった。私にとって教会は、世界から離れた分派を作り、自分たちの仕事だけに関心がある団体にように見えた。私は、単にメシヤの手伝いをしたかった。世界を神様の王国にするというメシヤの使命を果たすために、私にできるすべてのことを通して手伝いたかった。この本来の動機が、今日まで導いてくれただけでなく、統一家内で、大きな責任を持つことになった原動力であった。私達が入教したとき、メシヤによって、本然の​​動機が与えられ、支えられたならば、統一家は、また一つの、自己中心的な教会にとどまり、歴史の裏に消えてしまっただろう。私は自分を良く見せようとは思わない。世の中には、私より立派な人が多い。私は単に、真の父母様を信じる理由が何なのか聞きたいだけだ。世界を救うためなのか。それとも自分を救うためなのか。
ユニフィケイショニズムは、キリスト教や仏教のような他の宗教とは全く異なるだけでなく、その宗教の上位にある。真のお父様の固有の用語を使用するユニフィケイショニズムは、神様によって与えられた思​​想体系であり、宗教哲学である。ユニフィケイショニズムは、宗教を統一しようとされる真のお父様によって発展してきたが、もしそれが他の宗教の上位にないか、または高いレベルになければ、決して他の宗教を統一することができないだろう。ユニフィケイショニズムは単なる教会ではない。それは神様の固有の思想であり、宗教を倒す存在なのである(ここでいう宗教の意味とは、霊性ではなく、教理や教義を持って組織化された宗教をいう)。
世界指導者は、なぜ統一教会の概念を復活させようとするのか。おそらく、一部の良い意図もあったであろう。しかし、歴史の高速道路は、何も役に立たない善意によって修羅場となった。冷笑的な観点から(事実ではないことを望むが)見たとき、それは、食口に対する権力を確固たるものにする手段であった。私は、亨進様は時代を逆行していると思う。そのような心構えで彼は、真のお父様をめぐる神学理論を発展させたのだ。その神学理論は、完成時代よりキリスト教時代の典型的なものに近い神学理論である。手に届くことができない神様 – 人間とは全く別のものとして生まれ、祀られるメシヤ-イエスと真の父母様の視点であるかのように信者を神様と彼ら(イエス、真の父母様)から分裂させるクリスチャン。自分の個人的な神学理論を発展させ、定説であるかのようにそれを演壇から世界の食口に説教する個人のこれらの行動は、統一家では、決して容認してはならないことである。統一家がずっとこのように進むならば、私達には、統一された未来はない。ただバラバラになるだけである。
したがって何よりもまず、今日の統一教員が従うべきことは、自分の本然の神聖なる心である。神様を除いて、この地球で、人類を導く真の資格がある人は、どこにもない。「真の父母の時代の後には、お父様(神様)の時代が来る」真のお父様は、本然の心こそが、私達の最後の神様であるという点を明らかに教えてくださった。真のお父様が地上を去られた後、ある人間に従うということは、その個人の善のみではなく、悪とも融合することなので、危険な事である。これは、どのような人間と融合しても、その個人の性格と彼がどの程度、天法に従って生きているのかという資質に依存することであるので、条件的である。真のお父様は、新しい時代を迎え、祝福家庭は第4アダムであり、自分の名前を持って祈り、自分の子供を祝福することができると言われた。(天聖経、p.2333)
祝福中心家庭のための、2番目の絶対的で永遠なる指針は、氏族的メシヤと天一国主人という言葉である。真のお父様は、それが人類のために残された最大の贈り物であると語られた。お父様は、私達に訓読会の伝統を教えられた。誰もが、お父様が、神様のみ言をどれだけ真剣に受け取られたのかをよく知っている。もちろん、そのみ言を人類に伝える唯一の方、お父様でもあったからであるが、お父様は、何時間休むことなく、絶え間なく語られた。私達は、神様のみ言を知って、実践することで、そのみ言を具体化することができ、完成に至り、神聖で自主的な存在となれる。その神様のみ言が、まさに8大教本という「箱」に納められている。モーセの時代に作られた契約の箱は、すべての人が、さらにはモーセまでも、信仰を失うことを懸念して、神様の理想を守る為に作られたものである。(原理解説p.247)
私達が皆同意するように、天国社会は自由を基本としている。この自由への第一歩は、私達がどのような姿になるべきかという問題を自分で決定することによって、統一教員を解放するのである。現在、統一家は、権威主義的な構造になっている。祝福中心家庭は、原理をもとに、自分たちの独自の家庭文化を決定する自由を持たなければならない。ピラミッドの頂上にある指導者たちではなく、氏族と家庭が統一家の中心にならなければならない。

新しい天の文化

以前、真のお父様は、このようなみ言を語られた。「習慣は恐ろしいものだ」。なぜなら習慣は、人をあまりにも完全に占有するからである。習慣は文化を形成する。したがって、思考と行動の習慣が、生活の質を決定し、幼年時代に親から教育を受けて伝統を継承することによって、未来世代の生活の質も決定する。
ほとんどの統一教員は、国際的な経験があり、民族中心主義と文化的偏狭が – 私達の固有の文化がすべての面において、他のものよりも優れていると信じている – 平和と理解に大きな障害となることをよく知っている。他の文化を経験することによって、鏡を見るように、振り向かされる。その為、真のお父様は、自分自身の現実を知る方法として、他の文化圏で生活をし仕事をすることを強調された。
ユニフィケイショニズムは韓国で生まれ、日本に伝播された。したがって、その根が、彼らの文化にある。私は、個人的に韓国人を愛している。なぜなら、彼らは大きな心情を持っており、子供たちには、人生を徹底的に楽しむ能力があるように見えるからだ。しかし、他の文化と同様に、韓国の文化は、一部の素晴らしい面もあるが、すべての面でバランスが取れていない。
東アジアの国々は、一般的に階級制構造と大きな権力の差を強く強調する。もともと、階級制(縦的関係)は、神様と父母様に対する尊敬と愛、さらに目上の人の経験に対する恭敬が基になっている。したがって、階級制は本来、天国文化に属するものである。さらに私達は、神様によって、創造された被造物であり、父母によって「創られた」存在である。そのために、彼らが中心に立つことは当然のことである。しかし、堕落した状態で、すべての目上の人が、尊敬を受けるに値する価値があるわけではない。だから人類は慎重に、この文化を扱う必要がある。権力に対する強い強調は、お互い兄弟姉妹に接するとき、人々の間に不自然な距離を作ってしまう。
地位に対する強調は、権力の乱用、不均衡の横行、権力層に対する恐怖をもたらす。これは、神様と父母様の前に兄弟姉妹として同じ立場に立つことができる自由心情文化、すなわち天国文化とは反対の文化である。地位に対する強調は、被支配階級が支配階級を崩す可能性を抹殺することができるので、神様の王国を損傷する恐れがある。ドイツの有名な神学者、ハンス•クウィングは、自分の教会、ローマカトリック教会の権威主義的構造の有害な影響について、数十年の間、警告してきた。しかし、彼の警告は、何の役にもたたなかった。現指導者教皇ベネディクト16世の治世により、教会はむしろ、もっと権威主義的になりつつある。クウィングはそのため、ローマカトリック教会が病気になっており、自己破滅の危機に瀕していると信じている。
事実、統一家内部において位置を利用した権威の役割は、家庭教会指導者と氏族的メ​​シヤに対する真のお父様の任命、および摂理の発展とともに歴史に左遷されるべきであった。しかしそれは、まだ存在している。なぜそうなのか。まず、真のお父様は、人の心を見抜かれる特別な能力を持っておられるので、重要な問題を決定する際、大きな権威を持って決定された。それ以外の指導者たちはこれを見て、自分たちもお父様のように行動してもかまわないと、間違って考え、わざわざ食口と自分の間に、大きな権力の差を永続させるのである。第二に、ほとんどの最高指導者たちが、権威主義的な文化を持っている韓国人である。第三に、自分の強化や侍られようとする堕落性は、食口を支配するために無意識のうちに人を騙す。
全般的に動物の世界では階級制構造が自然であるが、彼らは、神様の王国、特に社会で極めて限られた場所のみに制限されているように見える。大部分において、神様と家庭においてのみに制限されているように見える。しかし16世紀、神様によって主導された宗教改革は、指導層の腐敗のため、神様に向かう道を阻んでしまったローマカトリック教会の階級制文化を拒否した。
東アジアの文化を見てみよう。東アジアの文化は、強い集団中心文化を表し、個人主義とは対照的である。ますます拡散している極度の個人主義は、当然、天法に反するだろう。しかし、神様を中心とした個人主義は、良心と倫理道徳を強化する。各個人は、全体にもっと効果的に貢献するため、自分を最大限開発する。
産業化とともにグループ中心はますます崩れていっているが、まだ多くの分野で、その痕跡を残している。強いグループ中心は、家庭や部族の結束を強化する利点を持っている。しかし、それは「自分のグループ」と「違うグループ」の観点を作り、多くの場合、人事不省の戦いをすることあるが、同じ国同士でも戦わせる深刻な限界を表わしている。また、自分が属している集団の人には大きな尊敬の念を持って対するが、外部の者は相手にする価値もないと思ったり、まったく敬意心を見せないという弊害がある。
強いグループ中心のもう一つの弊害は、縁故主義と二重基準による腐敗である – 集団員と部外者に適用する基準に従うこと。集団中心文化はたやすく道徳性を汚しやすい。これは「体面」(他人の前で自分の威厳を維持すること)を重視するアジア人によって、さらに加速された。アジア人は体面のために、どんなこともできるだろう。さらには、目一つびっくりさせることなく嘘をつく。嘘は、どのような形であっても、神様の王国では存在する場所がない(黙示録22:15)。真実は、時には傷つけることもあるが、自分の体面のために、困難な瞬間をまぬがれようとしてはいけない。真実と愛は、コインの両面のようなものである。片方は、もう片方が存在しなければ存在できない。真実の自由のために、多くの人が血を流した。
グループ中心の反対の概念が、万人救済説である。万人救済説は、すべての人が同じ価値を持っており、同じように尊敬されるべきであるという概念である。万人救済説は、万人救済思想とクリスチャンによって形成された西洋文化では一般的な概念である。私はここで、西洋人が、他の人々よりも、あらゆる面で本質的には優れていると話しているのではない(他の人々と同様に、西洋人も奴隷制度及び不平等を根絶するために長い時間がかかった)。過去2千年間、神様の摂理は、欧米を中心に起こった。だから万人救済の思想が、百世代の間、西洋人の良心に深く食い込んだのだ – 他の人々よりも長い時間がかかったわけである。
この二つの例(権威とグループ中心)を通して、私達は、統一家に定着した文化が、どのような文化なのか、天国の文化を成すためには、どのくらいの長い道のりを行かなければならか、時間を置いて詳細に調査しなければならないという結論を得た。私達は原理に基づいて、神様の世界文化について徹底的に研究し、適切な文化を受け入れなければならない。つまり、他の特定の文化の支配ではなく、文化の統合過程が必要であるということだ。その結果は、真実で正直で正義の天の基準に基づいて、人類のために成されなければならない。原理は、天国文化がアダム文化になることを明らかにしている。だから、私達は、未来の文化の正しい青写真を得るために、真のお父様の思想と生活方式を勉強しなければならない。お父様の思想は、世界的である。お父様は、アメリカに本部を置いて、真の家庭をそこで育てられた。お父様は、世界の文化が、一つに溶け込む必要性をよく知っておられたのである。

結論
真のお父様は、毎日のように血と汗と涙を流しながら私達を解放してくださった。この世の中で、そのように愛してくれた人はいなかった。お父様は、私達が破壊的な感情を克服できるように助け、愛する方法を教えることで、罪から世界を解放しようと地上に来られた。お父様がされたすべてのことは、このような目的のためのものであった。人類にとってお父様は、生きている祝福である。しかし私達はなぜ、罪から完全に解放されないのかよく解っていない。
このような時、統一家の危機に危機を繰り返している。それは非常に苦痛なことである。しかし、私達はこの機会を利用しなければならない。組織に革命を起こして、再びこのような危機に陥らないようにしなければならない。それはまるで、霊界にいらっしゃる神様と真の父母様が、急いで私達自身を整理しろとせき急がせているようである。真のお父様が地上におられない今のこの時代に、私達は、すべての食口の能力が、天において効果的に用いられるように、まったく別の型の組織を整備しなければならない。
私達は統一教員として、統一家内外で正義のために語る勇気を持たなければならない。私達は、私達の氏族と地域社会のために、より多くの仕事をしなければならない。公的関係のために一層の努力を傾けなければならず、賢く働き、牧師たちに証言し、政治家に近づかなければならない(実際、政治家になったりしなければならない)、などなど。私達がそのようなことを前もってきちんとできていたら、世界は真のお父様お母様を知ったことであろうし、私達は今日、全く別の局面を迎えていただろう。全政府と国が原理講論を国家思想のシステムとして採用し、祝福家庭を保護する保護権が作られただろう。ドイツの偉大な科学者マックス·プランクの言葉を引用してみよう。「私達は、識別するために科学が必要である。しかし、行動に移すことができる信頼がなければならない」それはまるで、神様が私達と共にあるという信仰、神様の王国を実際に建設できるという信念が私達に不足していたので行動に制約があった、と言うように聞こえる。
私達には確かに、明確な、国家的、大陸的、世界的な戦略が必要である。しかし、私達のモットーは「自分自身を導くため」にならなければならない。真のお父様は、30年前にすでに「第2のレバレンド·ムーン」になりなさいという課題を私達にくださった。私達は皆、地域社会における強い氏族的メシヤとして、堂々と立つことができる「強いアベル」となりましょう。
9月2日の朝、真のお父様が聖和されるような予感がした。私は悲しみに落ちたが、お父様が以前よりももっと共にいらっしゃるということを感じた。私はお父様に祈りを捧げた。「お父様、あなたは私達に必要なことすべてを下さいました。あなたが今行かなければならないのなら、安心して行ってください」メシヤにこれ以上、何ができるのだろうか。一つ残念なことがあるとするならば、お父様が生前、神様の主権の下に統治される国に住むことができなかったという点である。しかし、私は、行けば行くほど、正義感のある人が世界中で雨後の筍のように立ち上がり、神様の王国をこの地に建設するための大きな責任を持つだろうと確信する。その王国は恐れを知らない人、憎しみを知らない人の王国になるだろう。しかし、そのような目的を達成するために、私達は、すべての力を振り絞って真の愛を実践し、憎しみ(カイン-アベル)とセックス(アダム-エバ)の誘惑に負けることなく、心と体の完全な統一を成す方法を探さなければならない。私達統一教員が、ここで希望を失えば、人類に希望を持つことができるだろうか。私達がこのような生き方を固守するならば、神様の完全な愛を受けることができるだろう。それ以上に、望むものがあるだろうか。私達は、完全な健康を取り戻す。私達に罪がなくなるのだ。神様の仕事は続けられなければならない。そしてそれはいつかきっとかなうだろう。
天聖経第12巻にまとめられた真のお父様のビジョンを最後に結ぼうと思う。

「人には趣味がなければなりません。これから、ご飯を食べて生きることは問題ではありません。その次には、喧嘩しながら暮らしますか。楽しみがなければなりません。そこから愛の芸術が生まれるのです。愛の喜劇、悲劇が、愛のすべての文化が創造されるのです。これからの世界は、新しい国際経済機構と秩序の誕生により飛躍的な経済発展が可能となり、人類は豊かな経済生活に伴う時間的余裕をレジャー(leisure)に利用できるようになります。これにより人類は、大自然を理解して学び、その中で神様に感謝し、人種や国籍を超越しお互いを愛して、為に生きる真の人生を楽しむ理想世界が必ず来るということを本人は確信しています」

マーク•ブラムウェル 略歴

英国
1957 リバプール出生
1979 ノッティンガム大学卒業(学業:政治科学、社会学、犯罪学、経済と比較宗教)
1979 入教
1979 – 1981 家庭教会指導者、リバプール市カープ指導者

ドイツとヨーロッパ
1981 – 1987 国際カープ動員、チーム長と市の指導者
コーロニュー大学ドイツ語の熟練証明書取得
ソウルで6000双祝福を受ける(ドイツ人配偶者、3人の子供)
1987 – 1990 ヨーロッパのモバイル教育チームディレクター、講師(140人卒業)
1990 – 1994 カープ開拓
1995 – 1996 ヨーロッパ80日リーダーシップ訓練コース局長及び講師(170人卒業)
1996 – 1997 東ヨーロッパFFWPU地域局長
氏族メシア:1997年、両親の祝福式、親戚の祝福、160双祝福、アルバニア
1997 – 2000 ヨーロッパFFWPU広報局長
1997 – 2002 ヨーロッパカープ会長
2000 – 2002 ヨーロッパ統一教会副会長
2002 – 2008 ドイツカープ会長
2003     天一国主人賞受賞
2005年以降 ギーセンFFWPU地域の青少年クラブ組織員、UPF異宗教間会話におけるユニフィケイショニズム講師、説教者
2010年1月 UPF局長(中央ヘッセン地域)

職業履歴(ドイツ)
2002 – 2003 高校教師
2003    ドイツ軍部、連邦言語機関教師
2003 – 2005 ノイデンブルク応用科学大学社会福祉部外国語主任、家庭学科文化間コミュニケーション講師(終身在職)
2005 – 2011 フランクフルト応用科学大学 英語と文化間コミュニケーション講師(終身在職)

2011以降  ミトゥルヘッセン応用科学大学専門英語と文化間コミュニケーション講師


[1] 真のお父様の8大教本の核心的な原理、統一原理、天法の用語は、この文では、お互い同じ意味として使用される。神様の国、天の国、天一国という用語も同じである。

 

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